05.09.04 MM第112号
【登頂日】 1992年 8月19日(水)
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【感想 等】 玉山3952m。 台湾で最も高い山である。 かつて、日清戦争で日本が勝利し清国から台湾を譲り受け日本の領土になり、日本で一番高い山になった。 そこで、「新高山(にいたかやま)」とも呼ばれた。日本の国土の中で最も高い山になったからだ。 私が登ったのは、90年と92年の2回である。今回は、後者の92年のことを書く。 台湾北部、首都の台北から8月中旬に2泊3日で出かけた。 出発前日、装備の確認等のためミーティングをし、17日は9時半前にチャ−ターしたマイクロバスで出発した。 高速道路を飛ばし、観光地、阿里山の自忠民宿に18時半過ぎに着き、そこに泊まった。 翌18日は5時にマイクロバスで出発し、東埔上から5時半に歩き始めた。 登山口の塔々加鞍部に6時頃着き、参加者の体調をチェックし登山道をどんどん進んだ。 今回の参加者は台湾最高峰ということもあり、18人にふくれあがった。 10人に対して1人のガイドが必要なので2名の台湾山岳協会の公認ガイドが来てくれた。 混成部隊なので、隊がバラバラになることもよくあるが、トランシーバーも必要ないくらい列を組んで登っていった。 途中、ガスが出てきたり、下の写真のように木の橋が多数かかっているところもあったが、さすがに国家公園でありよく整備されていて歩き易かった。 参加者全員が9.3kmを快調に歩き、宿泊予定の排雲山荘に11時過ぎに着いた。 排雲山荘は3528mにあり、玉山の稜線が見える。 時間も体力もあったので、13時前、小雨中をガイドと有志4人で玉山西峰に向かった。 竹林の中を掻き分けながら進んだ。 14時7分、3528mの玉山西峰山頂に着いた。山頂は展望が全くない松林の中にあった。 熱帯の台湾である。3500mを越えても森林限界ではなく松が生えている。 山頂近くに日本式の神社があったのにはびっくりした。 日本統治時代は全国のいたるところに神社があったと思われる。しかしそれらは日本の敗戦と共に壊されなくなった。この山奥ではそれが免れたのだろうか。私には詳しいことはわからないが、そう思った。そして雨の中、15時45分排雲山荘に戻った。いい運動になった1時間半だった。 夕食はみんなでカレーライスを作って食べた。なんと台湾のガイドの作ってくれた日本式カレーが一番うまかった。 3日目の19日は山頂でご来光を見るため4時前に出発した。ヘッドライトを付け順調に歩き、5時35分、玉山山頂に着いた。 そして写真のように雲海の中からのご来光を見ることができた。 展望もばっちり見えた。特に東峰の稜線が大きくりっぱに見えた(写真)。次回は是非、そちらまで縦走したいと思った。 山頂には3mの蒋介石の像がある。 古い本には玉山の標高が3997mと出ている。そしてこの像の高さをたして4000mだと聞いたことがある。(本当かどうかは知らないが・・・) 下山も同じコースを通り下った。頂上直下は鎖の付いたガレ場だったのに明るくなって気づいた。 みんなで休み休み下ったが、体調が悪くなる人もいず、東埔に12時50分に着いた。 みんな揃ったところで、すぐにマイクロバスで台北に向かった。 そして三義で夕食を取り、21時に台北に到着した。 玉山は、よく整備されていて楽しい山歩きだった。 |
鑓ヶ岳へ向かってガスの中を行く | 登山口の塔々加鞍部で休憩 |
国家公園であり、木橋などよく整備されている | 枯れ木の中を行く |
玉山山頂からのご来光 | 玉山山頂からの東峰の稜線の展望 |