05.01.14 MM第126号

   私の出合った日本百名山 by masarus                                

茅ヶ岳 (かやがたけ) 1706m  二百名山・山梨百名山 (山梨県) 

    
この山の私の印象                           

「 小雪の中を深田久弥終焉の地へ今年の初登りをした 茅ヶ岳 」

【歩いた日】     2006年1月2日(火)

【天候】       小雪

【コース及び時間】 

 深田記念公園8:06発−8:46女岩8:53−9:17敷島分岐−9:35茅ヶ岳〈1704m〉9:40−10:17金ヶ岳〈1764m〉

10:25−10:57茅ヶ岳−(尾根道)−12:02深田記念公園


       【 登り(女岩経由) 1時間22分    下り(尾根道) 1時間5分 】 
        *他に「金ヶ岳」までの往復に約1時間かかった

*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。

  
【感想 等】
 
 2006年の初登りは「茅ヶ岳」に決めた。
長い間、日本百名山を楽しませていただいている私にとって、「日本百名山」の著書である深田久弥は特別な存在である。
その深田久弥の終焉地がここ「茅ヶ岳」である。
 家からそれほど遠くはないし、一度行ってみたいと考えていた。

 中央高速の韮崎ICから「昇仙峡ライン」を北東に上がって程なく『深田記念公園』がある。そこが登山口の1つだ。
今回はしっかり計画を立ててこなかった。韮崎IC過ぎのコンビニで昼食を調達しようと考えていたが、通り過ぎて忘れたことに気づいた。
戻っても5分はかからなかったが、非常食もあるしお昼には下山できると思い、戻るのをやめた。
(正月早々から、こんな具合である。皆さんはこんなへまを真似をしないでくださいね)

午前8時、50台ほどおくことができる駐車場に着いた。本日、1月2日の天気予報は山間部で雪であった。
車は4台止まっていた。まだ雪は降っていない。何とか、天候はもつかもしれないと急いで準備をした。
 名前を「茅ヶ岳」というだけあって、茅(ススキ)が枯れながらもたくさん生えていた。

 8時過ぎ、歩き始めた。深田記念公園に寄るのは下山後にゆっくりとることにし、すぐに山頂をめざした。
林道を歩いていくと、開拓地の跡であったことを示す廃墟が点々とある。今では入ることができないところに乗り捨てられたトラックも止まっていた。苦労して開拓したがあきらめざるを得なかったのか、正月早々から日本の反映の影を見るような気分だった。
 林道はなだらかで歩きやすかった。
 40分ほど歩くと林道も終わり、女岩に着いた。写真のように水場で多くのつららが垂れてはいるが戸井伝いにおいしい水が流れていた。少し休んでいると、小雪が降ってきた。予想より早い降り出しであった。

 そこからはジグザグの山道である。落ち葉が深く積もり歩いていて気持ちよかった。
 20分ほどで大明神・敷島への分岐に出た。地面は真っ白になっていた。滑らないように軽アイゼンを付けた。
 そこから5分ほど上がったところに「深田久弥終焉の地」を示す石柱があった(写真)。35年前の3月、氏はこの山で脳出血で倒れ、68才で帰らぬ人になった。そこで手を合わせ当時の様子を想像し、山頂に向かった。
 15分ほどで、1706mの茅ヶ岳山頂に着いた。
 山頂は少し多くなった雪が降り、霞んだ中に金ヶ岳が見えた(下に写真あり)。山頂は潅木を高さ50cmくらいに刈り込み、見晴らしを良くしてあった。
 地元からの老人が1人尾根道から登ってきた。彼は雪も降ってきたのでそのまま下山すると言って下りていった。
 私は時間もあるので茅ヶ岳より60m高い金ガ岳に行くことにした。少し下ってから10分ほど行くと石門があった。石門は何か霊力がある感じで、神秘的であり好きだ。高さもちょうど人間が通れるくらいであった。
 10時過ぎ、三角点のある南峰に着いた。山頂を示す標識はない。そこから10分ほどで金ヶ岳であった。潅木に山頂を示す、小さな「金ヶ岳」の標識が着いていた。山頂は写真のように低い潅木である程度の展望はあるが、残念ながら降雪のため見えなかった。
 山頂だけでなく、登山路にもひとっこ1人いない。また、雪も少し強くなっていた。それで、少し下がったかぜの来ない場所で休憩を取った。そして再び、茅ヶ岳に引き返した。
 11時前に茅ヶ岳に着いた。やはり山頂でも誰にも会わなかった。
 今日出合ったのは、登るとき追い越した単独の2人と山頂であった地元の人1人だけだ。
 下山は尾根道を通ることにした。ヤマケイのアルペンガイドには出ていないが、尾根伝いに深田記念公園まで下りることができる。
 しかも、山火事を防ぐために昨年、10mくらいの幅で尾根の木々を伐採したという。
 
 私はすぐに下り始めた。
 標識があり、下っていくと、すぐに「千本桜」への道と分かれ、潅木の中を下りる。しばらくすると、下の写真のように伐採した尾根道に出て快適に下っていった。積雪は2cmくらいになり、雪に埋まった根ですべり、数回こけた。
 深田記念公園近くなると、踏み跡が多くなりどの道を行けばよいのか少し迷ったが、登るとき目にした見慣れた看板を見つけ道が間違いでなかったことを確認した。12時過ぎ、深田記念公園に着いた。
 公園には深田氏の説明の看板や東屋、ベンチなどがあった。もちろん、「百の頂に百の喜びあり」という氏の有名な言葉の石碑もあった。これは氏の自筆文から刻んだものだそうだ。ここから茅ヶ岳や甲府盆地が見えるということであるが、残念ながら雪に霞んでうまくは見えなかった。

水場もある「女岩」 深田久弥の終焉の地
茅ヶ岳山頂 茅ヶ岳より60m高い「金ヶ岳」
深田公園への尾根道 深田記念公園

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