05.01.21 MM第127号

   私の出合った日本百名山 by masarus                                

南湖大山(なんこたーさん ナンフーダーシャン) 3740m 台湾五岳 

    
この山の私の印象                           

「 1日18時間歩き 意識がもうろうとし亡霊まで見た 南湖大山 」

【歩いた日】     1991年7月21日(日) 〜 23日(火)

【天候】       晴れ 後 小雨

【コース及び時間】 

 7月21日(日)

思源亜口12:55発−13:36南湖大山登山口−15:40多加屯−19:23雲陵山荘(泊)


 7月22日(月)

雲陵山荘4:15発−11:00カール地形・南湖荘11:20−13:45南湖大山〈3740m〉14:40−南湖荘16:00−22:10

雲陵山荘(泊)


7月23日(火)

雲陵山荘7:15発−10:35多加屯−12:20南湖大山登山口−12:55思源亜口


       【 登り 15時間38分    下り 13時間40分 】 *休憩時間をかなり含む。


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。

  
【感想 等】
 
 台湾五岳紹介第4弾は、南湖大山3740mである。
 南湖大山は台湾で4番目に高い山で、太魯閣国家公園の西部の山塊にある。

 10人でマイクロバスをチャーターし、台北から2泊3日で出かけた。山岳ガイドは日本語のできるベテランの謝さんと若い林さんだ。大変心強い。
 午前6時35分、私たちは台湾の首都、台北を出発し、東海岸の宣蘭から、山間の道路に入る。そして、終点の思源亜口に12時20分に着いた。そこで、みんなで昼食を取った。

 10人のメンバーとガイドの計12人は、13時少し前に歩き始めた。40分ほど歩き、13時36分、南湖大山登山口に着いた。
そこから2時間ほど歩いた多加屯でO氏が歩けなくなった。靴が足に合っていなかったのだ。氏は足をかばいながら、スローペースでなら歩けた。
それで、みんなで彼の荷物を分けて持った。みんなで分ければ、1人あたりはそれほど重くはならなかった。O氏はほとんど空身になった。
 団体の場合、歩く速さは最も遅い人のペースになる。コースに慣れていれば別であるが、ここは外国であり、誰もが初めての山である。
 O氏の速さに合わせ、牛歩で歩いた。
 宿泊する無人の山小屋「雲陵山荘」に着いたのは19時半頃であった。それから食事を作り、翌日の計画を話し合って21時30分に寝た。
 体調がすぐれないO氏の登山をどうするかも話し合った。O氏本人が行きたいという気持ちがあること、隊長が山頂まで連れて登りたいということから全員で山頂へ行くことになった。(1人、外国の無人小屋で待つのも辛いものがある)。
 21時半に床へついたのはいいが、何匹ものネズミが走りまわり、うるさくて眠れなかった。顔を舐められかけた人もいた。

 翌22日、2時50分に起床した。みんなで食事を作り、ヘッドライトを付け4時15分出発した。早い時間に出発したのは、足が悪い人がいるので早めに出発し活動時間を長くとるためである。夕方には小屋に戻る計画である。
 私は、少し睡眠不足で眠かった。荷物はアタックザックだけなので軽くて良かった。小屋に残した食料はネズミに食べられないようにザックの奧にしまい込んだ。
  
 快晴に中、先頭と最後尾にガイドがはさみ、各人が自分のペースで歩き、途中のチェックポイントでみんなを待つという方法を取った。
 ある時は早い集団と遅い集団に別れ、ある時は3つのグループに分かれて進んでいった。
 尾根に出ると下の写真のように対面の山塊に独特の形をした5岳の1つである「大覇尖山」が見えた。(この時は3カ月後に登ることになるとは夢にも思わなかった。)
 また、これから登る南湖大山の山塊も写真のように大きくそびえて見えた。
 松林の中を進んでいくと、やがて潅木になり草原に変わった。写真のように広大な草原にさわやかな風が吹き、とても気持ちが良かった。髪の毛も汗で湿っていたので、帽子を取って歩き、気持ちがよい風を浴びた。その距離もかつて経験したことがない長さであった。
 それから山塊の尾根に出た。そこにはさまざまな高山植物が咲いていた。例えば、白い花が大きめのウスユキソウの仲間、ツガザクラの仲間、紫色のキキョウの仲間等々。写真のような黄色のリンドウ?は初めて目にした。
 途中、ロープを張ってある岩場もあり変化に富んでいる。
 10時20分、、眼下に南湖山荘のあるカール地形が見えてきた。その向こうにでかでかと南湖大山がある。
 そして、カールの中の南湖山荘に11時に着く。それは無人の小さな小屋だ。もう少し大きければ、ここに泊まる方法もあった。
 南湖山荘で仲間が来るのを待ち、11時20分直登コースでいよいよ山頂に向かって出発した。何人かは岩場を登れないというので、ガレ場をトラバースし登ることにした。
 直登コースの私たちは13時45分、ようやく南湖大山の山頂に着いた。(ガレ場コースの人達は14時20分だった。)早朝、山小屋を出てから9時間半かかった。予定より2時間遅れであった。いつものペースではなく、休み休みだったので体力的な疲れは少なかった。時間がかかった分だけ喜びは大きかった。360度の展望を満喫した。後続隊が来るまでに時間があったのでいつもより山頂を楽しめた。全員そろったところで記念撮影をし、下山を開始した。
 
 みんなが来るのをカールある南湖山荘で待ち、16時にベースキャンプの小屋に向かって出発した。私は足の調子が悪いO氏に声をかけながら歩いた。1日の行動時間が長く誰もが疲れてきていた。そのため、荷物はアタックザックだけだったが、スピードは上がらなかった。
 やがて日没も過ぎ、ヘッドランプをつけての行動になった。
 私は基本的には景色を見たいので夜間の照明をつけての行動はしない。団体ではそうも行かない。この日は朝晩両方のライトをつけての行動であった。
 21時を過ぎると、朦朧としてきた人もいて、崖の下に女性が2・3人歩いているのを見た、という。しかもガイドの謝さんも見たという。この辺りで何年か前、滑落して亡くなっているという。
 私も睡魔に襲われそうになったが、残念ながら幽霊は見ることができなかった。
 小屋に着いたのは22時10分だった。なんと、18時間かかったことになる。長い長い1日であった。
 
 小屋に着くと、置いておいたリュックに穴が空いているものがあった。それは、中に食料の米が入っているリュックであった。米をネズミにかじられたのである。少々ネズミに対して無防備であった。
 元気な人ですぐに夕食を作り、食べた。そして、23時半、寝る。

 翌23日は、小雨であった。その中を麓に向かって7時15分出発した。
 10時35分、多加屯に到着した。その頃には雨は上がった。
 そして12時20分、南湖大山登山口に着いた。
 マイクロバスの待つ思源亜口には12時55分に着いた。私はO氏の荷物を持って一番に着いた。
 帰りには宣蘭で全員登頂の祝杯を挙げ、19時に台北に戻った。

 毎回、2回のトレーニングをしてから登ってもこんなこともある。この時、私が隊長であったら、かわいそうではあるがO氏には山小屋で待機していてもらったかもしれない。複雑な思いの山行きだった。
 帰ってから3〜4日経ってから、頭からふけがたくさん出るなぁ、と思った。中には1cm四方くらいのものもあった。そんなふけは見たことがないので少し考えたら思いついた。2日目の18時間行動で日に焼けて頭の皮がむけたのだった。暑かったけど、気持ちよい風が吹いていたので帽子をとって歩いたのだ。
 いろいろなことがあった南湖大山であった。
「思源亜口」過ぎで 2日目、対面に5岳の1つ、「大覇尖山」が見えた
これから登る「南湖大山」が遠くに見える 快晴の中の草原歩きは気持ちよい
南湖のカール、山頂は近い 多くの高山直物が励ましてくれる

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