05.02.05 MM第129号

   私の出合った日本百名山 by masarus                                

北大武山 (きただいぶさん ペーダーウーシャン) 3090m 国外[台湾五岳]

    
この山の私の印象                           

「 熱帯に属する3000m余の山上で松の木を見た 北大武山 」

【歩いた日】     1991年12月29日(日) 〜 30(日)

【天候】       小雨

【コース及び時間】 

12月29日(日)

 台北5:10発=9:30高雄=11:00武潭検査哨=12:10駐車場(昼食)12:45発−13:00登山口−16:25檜谷山荘(泊)


12月30(日)

  5:15檜谷山荘出発−7:50稜線−8:35大武祠−9:30北大武山〈3090m〉10:02−10:50大武祠−12:30御神木

13:22檜谷山荘14:07−16:35駐車場17:00出発=18:20武潭検査哨=潮州(祝賀会19:00〜19:40)=0:55台北


       【 登り 7時間45分    下り 5時間48分 】

*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。

  
【感想 等】
 台湾五岳第5弾は、北大武山3090mである。
 7人でマイクロバスをチャーターし、12月下旬に2泊3日で出かけた。
 私にとっては台湾五岳の最後の山である。日本百名山登山の最後の100座目にあたる。その記念すべき山であった。

 北大武山は台湾の南部、高雄市の西方にある。
 その高雄市は台北市より暑い。それは、高雄が北回帰線より100kmほど南に位置し、熱帯地方に属するからである。
 そこで、北大武山は3000m以上といえども、多少は涼しくなった冬の時期に登ることに決めていた。
 私にとっては5岳目の山であり、「大覇尖山」に続いての隊長としての登山である。と言っても台湾山岳協会の公式ガイドが一緒なので安心である。
 南湖大山からわずか2ヶ月後であり、NO127号の「南湖大山」で紹介した足の調子が悪かったO氏も参加するので少し心配でもあった。しかし、2回のトレーニングとO氏にフィットした運動靴のおかげで無事登頂することができた。(O氏は登山靴を3足ほど買い試したが、足に合うものは見つからなかった。現在の日本でなら足形を取りオリジナル登山靴を作ることができる。)
 今回は、1人も体調を崩さず予定通り快適に歩くことができた。

 12月29日、私たちを乗せたマイクロバスは、5時10分に台北を出発した。
 高速道路を順調に南に走り、9時半高雄市に着いた。そこから西に向かい、11時、武潭検査哨から山の方に入っていった。
 そしてマイクロバスで行くことができるぎりぎりの所に12時10分に着いた。
 私たちは、そこで昼食を取り、12時45分小雨の中を元気に歩き始めた。
 13時、北大武山登山口に着く。
 7人とも体調も良く、小雨の中を順調に登っていく。
 中腹には何の木かわからないが赤く紅葉した木があった(下の写真)。台湾には2年近く住んでいたが、紅葉した木は見たことがなかったので珍しく思い何枚も撮影する。後日、台北駅の近くの三越で行った『我所見的台湾』写真展で展示したところ、台湾の方も珍しがっていた。
 やがて、雨も止み展望が開けてきて、眼下に雲海が見えてきた。残念ながら山頂方面はガスがかかっていてピークは見えなかった(写真あり)。
 16時25分、檜谷山荘に無事着いた。小屋の入り口には各登山隊が付けていった記念の短冊形のビニールや布のテープがぶら下がっていた。平均の長さは25cmくらい幅は5cmくらいだ。それが50本ぐらいかかっていた。そこには登山隊の名前が記されていた。
 今夜はこの小屋に泊まる。古い小屋だが、小屋の近くにはきれいな沢の水場があり大変便利だった。

 翌30日、雨は止み前日より展望が開けていた。私たちは5時15分に出発した。
 自然林の松がいろいろな格好をしていておもしろかった。(写真参照)。松の中を順調に歩き7時50分、稜線に出た。
 しばらく歩くと大武祠(鳥居)があった(写真)。日本占領時代の名残なのだろうか。平地を含めても、今まで台湾では見たことがなく、初めて見る物だった。
 また、山頂付近には日本式の神社の跡があり、石碑が倒されていた(下に写真あり)。いつ倒されたのか、どんな経緯があるのか私にはわからなかった。また、ガイドにも聞かなかった。
 鳥居といい、神社といい台湾の各地を旅した私であるが、見たことはなかった。50年間の日本統治時代には各所にあっただろうこれらのものを全く目にしなかったのである。それが、3000mの山の上にあったことに驚いた。簡単に人を寄せ付けない所だから残ったのだろうか、それとも他の理由があるのだろうか。あとになって興味と疑問が大きくふくらんだ。
 9時35分、全員が北大武山3090mに登頂した。この山は熱帯に属し3000mと言えども山頂にも、松の木がはえていた。日本では中部地方の森林限界が2600m、北海道で1500mくらいである。南に行くほど森林限界は上がっていくことは知識として知ってはいたが、3000mの山に松がはえているとは思わなかったので驚いた。
 また、山頂には大きな台湾(中華民国)国旗がはためいていた。だれかが記念においていったのだろう。その台湾の国旗をもち、みんなで記念写真を撮った。
 7人のメンバーの中では、今回私のみが『台湾五岳達成』だったので、みんなが祝福してくれた。
 10時過ぎ、時々小雨が降る中を下山を開始した。神社の跡で休憩し見学した。祠は倒されずにひっそりと残っていた。
 
 その後は、雨もだいたい上がり、順調に下った。
 12時半、御神木と言われる大木に着いた。台湾には太くて大きな木がたくさんあるが、この木も大変がっしりしていて気に入った(写真あり)。屋久島がかつてそうであったように、雨が多く木の成長が早い台湾の木は日本に運ばれ神社や家の建築材として使われていたようである。
 13時22分、檜谷山荘に着いた。
 前回のこともあったので1日余裕をみて2泊3日で計画していた今回の登山であったが、調子を崩す人もなく大変順調であった。それで、そのまま下山することにした。
 すこし休んでから、14時過ぎ、小屋を出発した。16時半、マイクロバスに着いた。バスがいないと帰れないな、との思いもよぎったが待っていてくれた。早めに下山するかもしれないとは言ってはあったが・・・。
 17時過ぎバスは出発し、潮州で打ち上げの夕食を取り、午前1時、台北の戻った。

 メルマガのNO.101に書いたが、台湾五岳に登頂し、登頂記録および記録写真を付けて台湾山岳協会に申請をすると認定証とメダルがもらえる。
 私も台湾に住んだ記念に申請し、それをいただき現在も大事にしている。
 
台湾ではめずらしい紅葉が 山の下の方も山頂もガスの中
山頂近くなっても松がはえている 倒されていた神社の石碑
山頂には神社の鳥居が 御神木は風格がある

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