05.05.30 MM第139号

   私の出合った日本百名山 by masarus
       
                         

於茂登岳(おもとだけ) 526m    沖縄県(新百名山) 

    
この山の私の印象                           

「 前を行く登山者の落石で危機一髪だった 於茂登岳 」

【歩いた日】     1981年3月25日(水)

【天候】       薄晴れ

【コース及び時間】 

 於茂登岳登山口9:40発−11:00於茂登岳〈526m〉11:25−11:55於茂登岳登山口

       【 登り(NHK中継塔索道) 1時間20分    下り 30分 】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。

  
【感想 等】
 
 2003年5月の第1号からメルマガを購読している方にはお話ししたが高校2年からサイクリングを始め、全国を走った。見知らぬ土地を走り、風景や文化・人々に触れるのは大変楽しかった。大学時代には北海道をサイクリングしながら登山もし、10座に登頂した。その時の様子の一部は日本百名山の山として紹介した(NO.98〜NO.100号)。サイクリングの多くは排気ガスを吸いながら国道を走る。美しい自然を見る時間より道路や車を見る時間の方がはるかに多かった。自然が多いところを求めて行動していたら日本の南北のはずれや山岳地帯にたどり着いた。

 そんなわけで、かつて石垣島、小浜島、西表島、竹島を旅したのだがその時、沖縄の最高峰「於茂登岳」に登った。
私と於茂登岳の出会いは、大学時代にサイクリングで訪れた石垣島の民宿だ。毎晩、泡盛を飲みながら蛇味線に合わせ歌った。その泡盛の名が「於茂登」であった。そして沖縄の先島諸島のとりこになってしまった。(今はなかなか行くことができないのが残念である)

 今回、急に当時の様子を書いてみたいと思ったのは、図書館の新刊の本棚に「屋久島ジュウソウ(森 絵都 著)」という本があり読んだためだ。著者の彼女は山歩きの初心者でその時の様子を食べたものまで細かく記録している。そんなので1冊の本ができるの?と、思ったと共にその初々しさに、私もそんな時もあったな、と思い於茂登岳を思い出したのだった。
 また、このたび「於茂登岳」は新百名山に選ばれたので当時の記録や写真を引っ張り出し書いてみようと思ったのである。

 もう訪ねたときから25年も経っているのでかなり変わっていると思うので、これから登る人の参考にはならないかもしれない。
 名古屋空港から沖縄で乗り継ぎ石垣島に着いた。石垣島には航空会社と提携したホテルや民宿が観光客を集め賑わっていた。かつての素朴さがやや薄れ残念ではあったが、下の写真のように昔ながらの民家や海は変わらずありほっとした。こんな海岸や村を散策し海で泳いだりした。真ん中左の写真の川にはタイが遡って来るという。釣りをしたいと思ったが今回は時間の余裕がなかった。

 於茂登岳のある石垣島では、高校時代の友人の所に泊めてもらった。8時半過ぎ、友人のバイクを借り登山口に向かった。ガソリンが少なかったのでスタンドで入れ、その時給油に来ていた若者に登山口までの道を聞いた。
 彼は途中まで一緒に行く、と言ってついて来てくれた。お礼を言って別れたが、心配になったのか追いかけてきて麓まで行ってくれた。そして、一緒に登る、と言い出す。彼は手提げの荷物にサンダル履きだ。
 9時40分、その彼と2人で登り始めた。亜熱帯の木々の中を登っていく。どれほどか登ったとき、少し道が険しくなったな、と思った。多分、道を間違えていると直感で思った。しかし、前には蝶取りの2人、登山者2人がいたので心強かった。
 急な坂を登ったり降りたりの繰り返しできつい。前日の海水浴で日に焼けてナップサックを背負うと痛い。枝が体に触っても痛い。
 一緒に登った彼が1時間くらいすると登るのが嫌になり、「帰る」と言ったが山頂まで行けば、本物の登山道に合流するからと言って登頂を勧めた。
 山頂に近づくとガスで前がよく見えなくなった。そして、行けども行けども同じような急坂。土が滑る。その泥だらけの道にはヒルもいた。血を吸われなくて良かった。
 そんな時、私より5mほど前を登っていた登山者が、雨でゆるんだ石を滑らせた。最大の大きさ、20cmほどの石が3つ落ちてきた。私はその音を聞き、反射的に身を伏せた。石はナップサックに当たって落ちていった。頭に当たるかと思ったが、ほんとにラッキーだった。(これ以降、急坂では落石に注意し、十分な間隔をとるようになったのは言うまでもない。)

 山頂までは80分かかった。11時に着いた。やはりもっと歩きやすい道がそこにはあった。ブロックを置きコンクリートで固めてあった。間違えて鉄塔を造るための道か何かを歩いてきたのだろう。
 下の写真のように、山頂には鉄塔と建物があった。
 山頂で写真を撮ろうとナップを開けると、ガラスの破片があった。よく見ると、レンズのフィルターが割れ、レンズの淵が潰れていた。落石でナップサックに石が当たったとき割れたのだ。カメラやレンズそのものに影響がなくて良かった。不幸中の幸いであった。
 山頂で一緒に登った人がおにぎりとあぶらげをくれたので遠慮なくいただく。山頂はガスで展望がきかないので下山することにした。
 
 下りは、本物の山道、歩きやすく30分で降りた。
 現在のガイドブックを見ると、道は一本道で途中から分岐や合流する道はないと書いてある。しかし、当時、あったのだろうか。今となってはわからない。
 帰りは時間があったので、刈り入れ中のサトウキビ畑を見た。まだ水牛を使ってサトウキビを集めるとはのどかでいい。
前回行ったときは、農家のおじさんの歩いている水牛の写真を撮ろうとして追いかけたら、「水牛が驚く」と、どっちかられた。また、サトウキビ工場で砂糖を搾る様子も見学した。
  
窓ガラスを使わない昔ながらの家も健在だった 海岸にはこんな形の岩が多数あった
この川にはタイが遡って来るという(底地ビーチ付近) 於茂登岳山頂には鉄塔が
山頂より下山、登山道にはセメントが 刈り取られたサトウキビ畑と集めるための水牛

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