06.08.11 MM第144号
【歩いた日】 2006年7月15日(土) 【天候】 快晴 【コース及び時間】 富士宮市村山浅間神社6:58発−7:49送電線交差−8:50送電線(197番)−(森林の中、けものみち)−9:50天照教 10:06−10:20緑陰広場−11:02富士山中宮八幡−11:18富士山スカイラインの道路(西臼塚への道路)〈1400m〉 【 登りのみ 5時間04分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。 |
【感想 等】 メルマガNO.137のmasarusのコーナーで触れた「富士山村山古道」に挑戦した。 メルマガ読者のみなさんからの情報を募ったが、残念ながら「富士山村山古道」についての情報は集まらなかった。 それでは、家から近いし「私が挑戦し情報を発信しよう」と、ネットや古道復旧に力を入れている関係者への電話等で調べ実際に行ってきた。 関係の方から、昨年は「まだ十分整備されていないから知らない人が歩くのは無理だからやめた方がよい」と、言われた。 あれから一年、私はこの一年間で多くの人が歩いていれば踏み固められた道ができているのではないかと考えた。 新聞でも「村山古道」について時々取り上げ、記事が出ている。 その記事の中の一つに、今年は「二ヶ月かけて、3回に分けて4日間で登る」と出ていた。(1日で休まずに登る、というものもあった。) そのコースは次のようなものであった。 一日目 田子の浦海岸〜村山浅間神社(約20km) 二日目 村山浅間神社〜西臼塚(約10km) 三日目 西臼塚〜富士山七合目 四日目 富士山七合目〜富士山頂〜下山 私は日程の全部には参加できないので、一部だけ参加させてほしいと頼んだが、全行程参加でないとだめだと断られた。 それなら自分で歩こうと、コースについて電話で伺った。 その結果、次のようであった。 ・まだ標識等の充分な表示がない。 ・出版された本や登山ルート図はない。 ・案内人がいないとわからないだろう。 ・途中までは赤いビニルテープが、その先は赤い布を目印に付けてある。 田子の浦海岸から村山浅間神社までの国道や県道歩きはいつか行けたら行くことにし、今回はパスし村山浅間神社からを歩くことにした。 富士山の山頂へはこれまで7回登っているが、いつも新5合目からである。そこはちょうど森林限界である。 それ故に展望は良いが、樹木などの自然に囲まれた富士山の印象は弱い。 一昨年は紅葉の時期に「大沢崩」と「西臼塚」に散策行き、美しい自然と大木があることを知った。 その前の年は「青木ヶ原樹海」を散策した。富士五湖や周辺の山には何回も出かけている。 富士山を丸ごと知るにはやはり下から歩かなければならないと、以前から思ってはいた。 その機会がないのと、コースがわからなかったことで実現しなかった。 今回、踏み跡と目印があることで俄然、歩けるような気になってきた。 今回は私にとって初めての登山ルート図のない山歩きである。 そのため、2,5000分ノ1の地図とコンパスを用意し慎重に準備した。 予想されるコースも家で地図を見ながら確認をした。 2,5000分ノ1の地図には多くの点線の道が出ている。これらの1つが「村山古道」だろうと考えた。 それらの1つを辿っていけば何とか目的地に着けそうな気がした。 早朝家を出て、午前6時半に「村山浅間神社」に着いた。出発の準備をしていると神社から運動着のおじさんが下りてきた。 村山古道について聞くと、地図上で教えてくれた。 そのコースは私の予想より東に回り込み天照教に出てそこから上がっていくというものだった。 説明を聞いていて失敗が1つわかった。今回25,000分ノ1の地図を4枚と広域道路地図のコピーと市販の富士山登山地図を持ってきたのだが、天照教まで回り込むとは考えつかず、25,000分ノ1の地図1枚が足りなかった。(失敗1) 登山ルート図を使っての山歩きでは考えられない失敗である。まあ、何とかなるさ、と思い7時少し前に出発することにした。 下の写真のようにおじさんの行ってしまった村山浅間神社は静まりかえっていた。 神社の左の道を進んでいくと写真のように復元した石畳の古道があった。ボランティアを募り復元している様子を新聞で読んだことがある。 この石畳の道も300mほどで舗装道へつながり終わっていた。少し行くとまたあったので進むと30mほどで石の山が表れ途切れていた。 どうも復元工事はそこまでのようで、その奧は草がぼうぼうで道は見えなかった。 舗装道に戻り少し歩くと小さな交差点に出て、そこには村山古道の簡単な地図をかいた看板があった。 そこから見ると、これから登る富士山が大きくそびえて見えた(下の写真)。 その看板を見て送電線に沿って歩いていけば、何とか天照教の建物にたどり着けそうなことがわかった。 しかし、看板の位置等も大ざっぱで、2本ある道のどちらを通ったらよいか、最初から迷っってしまった。 それで、送電線の方向に近い山側の道を選んで歩いて行った。 歩き始めてすぐに、幅2mくらいの牧草を刈ったような道になった。 送電線を点検するための道なのか、農家の人が牧場に行くための道なのか、何なのかわからなかった。 村山古道ではないだろうことはわかったが、他に道は見つからなかった。 草を15cmほどに刈ってあり歩きやすかった。 簡略図の看板から歩き始めて5分、軽登山靴の中が湿ってきた。 今日は久々の晴れなのでメッシュの布製軽登山靴を履いてきていた。汗かきでいつも、すぐに靴の中が湿ってくる。それで今回はこれを選んだのだ。 しかし、ここまで草が露で濡れているとは思わなかったのだ。ゴアテックスの夏用登山靴にすれば良かったと後悔した。(失敗2) 赤いビニルテ−プを見つけたらそこから本物の「村山古道」に入ろうとひたすら歩いた。 道には下の写真のようなマツムシソウなどの花が咲いていて目を楽しませてくれた。 しかし、送電線下には木々は生えていず、直射日光が降り注ぎ暑かった(下の写真)。 また、富士山や周りの様子はあまり見えず、展望も良くなかった。 暑さで休憩のたびに水分の補給をした。 途中2・3回赤いビニルテープを見つけ森林の中に入っていったが、すぐに赤いテープがとぎれ元のコースに戻らざるをえなかった。 歩き始めて約2時間、また赤いビニルテープを見つけた。今度は本物の村山古道に思えた。 しかし、森林の中を100mほど行くと赤いテープは消えた。 送電線下のコースもそろそろ外れないと行き過ぎになるような気がした。 そこで、歩いた跡がある感じの枯れた沢を登っていった。 深い森林の中は下草が生えないのでとても歩きやすかった。 やがて10分ほどでその枯れ沢も消えた。 私は完全に道を見失った。 しかも、展望もなく自分の現在地が全くわからない。今はやりのGPSがあれば、簡単だろうな、と思った。 しかたないので下の写真のようなけものみちをコンパスを頼りに、北に向かって進むことにした。 その道はしかの糞があったり、動物のにおいがしたりした。 すると、2頭の鹿が現れこちらを見ていたが、すぐにどこかに消えた。 まだ9時半、いくら道に迷っても半日歩けば周りの舗装道路に出る、と自分を落ち着かせた。 森林に入って50分、ようやく白線を引いた立派な舗装道路に突き当たった。 そこからは富士山の中腹は見えてきたものの、それでも現在地を示す標識もなく、自分がいる場所がわからなかった。 それで、とにかくその舗装道路を歩いて登ってみることにした。 歩けば、車も来るだろうし、道路標識もあるだろうと思った。 車が1台、バイクが1台通り過ぎた。 道を聞こうと思ったが、道に迷ったのが恥ずかしくて、もう少し歩いてからにしようと決めた。 10分ほど歩くと道路の左に建物らしき物が見えてきた。 その前には大型バイクで山に上がってきた2人組が休んでいた。 建物の入口の表示を見ると、そこはなんと私がめざしていた「天照教」であった。 大変ラッキーなことに、道に迷いながらも天照教に着いてしまった。 天照教入口の日陰でバイクの2人組といろいろ話をした。 その中に、20分ほど前に外国人3人組が海岸から出発して山頂めざして上がっていった、というものもあった。 私は15分ほど話しながら休憩した後、彼らを追った。 彼らがこのコースをどうして知ったのか、いろいろ調べて地図とコンパスを持って登ってきた、私でも迷ったのに彼らはどうだったのか知りたかったからだ。彼らは、天照教から古道ではなく車道を歩いて行ったとバイクの人は言った。 天照教を出たところの道路に、2枚目の村山古道の簡単な地図をかいた看板があった。そこからは赤いはっきりした標識があった。 15分ほどで、緑陰広場とかいたベンチや建物群に着いた。そこには「富士山中宮八幡」40分という標識もあった。 標識に沿って快適に登っていった。 富士山中宮八幡は説明の看板もあった。 そこから約20分、11時半前に標高140mの富士山スカイラインに出た。道路に沿って左に歩いて行けば西臼塚だ。 思ったより早く着いた。1Lあった水筒の飲み水は出だしの炎天下歩きで残り150ccになっていた。 道路沿いの料金所か西臼塚に行って水を汲もうとも思ったが、やめた。 時間もあるのでそのまま5合目をめざすことにした。(富士山村山古道2へ続く) |
近くの老人から話を聞き村山神社を出発 | 古道を復元した石畳 |
かなり遠くに富士山が見える | マツムシソウが咲いていた |
送電線の下の道を進む | けものみちを北に進む |