06.10.29 MM第152号
【歩いた日】 2006年10月8日(日) 【天候】 快晴 【コース及び時間】 富士山山頂剣ガ峰〈3776m〉発10:05−10:12富士宮浅間大社奧宮10:20−10:58長田尾根登山路建設 記念碑11:05−11:27七合八勺小屋11:37−11:43七合小屋−11:57宝永山分岐−12:08宝永火口分岐 −12:20宝永山〈2693m〉12:30−12:42宝永第一火口12:47−13:00宝永・水ヶ塚分岐−13:26富士宮 新五合目P 【 下り(御殿場口から宝永山経由) 2時間40分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。 【温泉】 天母の湯(富士宮市) 1時間 400円 |
【感想 等】 富士山2(MM第151号)からの続きである。 体が飛ばされそうになりながらの強風の中、ようやく富士山頂にたどり着けたが、帰らなくてはならない。 追い風の下りなので慎重に一歩一歩ずつ重心を下げて歩く。 来たときより少し風が弱かったのでスムースに進めた。 あと少しで奧宮という時、私の近くまで1人の男性が10mほど風で飛ばされてきたのでびっくりした。 それは前号(富士山2)の最後の写真のような水たまりが氷った所であった。 きっと写真を撮っていてバランスを崩し氷の上を滑ったのだろう。 足下には写真のような地面にエビのしっぽができていた。真冬にはこれがどこまで伸びるのだろうか。 その人は座った格好だったので怪我もなく、目を合わせた時お互いに笑ってしまった。 下りはわずか7分であった。 奧宮の風がこないところで、景色を見ながら軽く昼食を取り、下山するための御殿場口に向かった。 少し歩くと「銀名水」があった。昨年「お鉢巡り」をした時、「御殿場口」と書いた標示があったという記憶をもとにそれを探し歩いた。 左手の火口や銀世界を見たり強風に絶えて歩いていると、右下に山中湖が大きく見えてきた。山中湖は山梨県だ。 「勘違いをしていた、これは行きすぎた」と戻る。 しかし、風が強くなり、なかなか進めない。 下半身に力を入れて、じっと耐える。 そして左の方を見ると雪の付着した白い柵が見えた。 「しめた、あの柵まで追い風に乗って行ってみよう。下山道があるかも知れない」と、ひらめき足をもつれさせながらたどり着いた。 その白い柵は錆びた鉄柵に雪が付いているものだった。鉄柵は下へと延びていた。足下には火山灰のごろ石が多く、今でも使われているとは思えなかったが、下っていけば下山道につながると思い降りて行った。一刻も早く強風の銀世界から抜け出したかった。 風は強烈な追い風。手すりを持たないと転げ落ちそうだ(右上の写真)。 眼下には手前に宝永山、その向こうには輝いた海の中に伊豆半島が手に取るようにある。 この御殿場口コースは以前に1度だけ通ったことがあった。 下山後、御殿場から静岡に戻るのに鉄道の時間がかかったのでそれ以降使っていない。 火山灰の砂地を走って降りる「砂走」は気に入ったが・・・。 降りてきている人の中には、布のズック靴が火山灰のゴツゴツで破けてしまった人もいたのを思い出す。 降りるに従って風は少しずつ弱まったが、ごろ石が多く足場は良くない。 足をくじきそうだ。それで、なるべく手すりを持ち降りて行った。 しかし、手すりは所々で壊れていて、支柱がないところ、ぐらぐらの所などがあった。 やはり、右の斜面を見ると、ジグザグに正規の登山道らしきものがあった。 30分ほど下ると、『長田尾根登山路建設記念碑』と書かれた所に出た。 そして、自分が歩いてきたコースには入れないようにロープが付き、登山道は右斜面に延びていた。 『長田尾根』って少し聞いたことがあると思いながら、帰宅後調べると、富士山強力として活躍し後に気象庁職員になった長田輝雄さんを偲んで鉄柵を作ったということがわかった。 長田輝雄さんは、富士山を知り尽くしていたが、冬季登山中、御殿場口コース七合目付近で強風に煽られ頭から岩に激突して亡くなったそうだ。 そんなベテランが・・・。しかもここよりも下で強風に煽られたとは・・・。 『長田尾根登山路建設記念碑』の下にも鉄柵は延びていたが、崩れかけていたので宝永山とは少し離れる感じではあったが、コースロープ付きの一般的コースを歩いた。 30分くらいで小屋を2つ過ぎた。富士宮口もそうであるが、小屋は冬の風雪に耐えることができるように完全に締め切ってある。標示もない。現在何合目の小屋かは地図を見て見当を付けるしかない。ここ御殿場口コースは風雪が激しいのか、利用者が減っているのか壊れた小屋もいくつか放置されている。 多分2つ目の小屋は七合目小屋だ。 コースは宝永山からどんどん遠ざかっていく。 それと共に山中湖が姿を現してくる。 相変わらず風は強く、ロープがあるところは掴まって下って行った。 右の方には宝永山から上に延びている登山路も見える。鉄柵沿いに行けばそのコースに降りることができたかも知れないと思いつつも、なかなかない宝永山への分岐の標識を探した。 七合目小屋から15分ほど下ったところに右に延びる踏み跡を見つけた。(標識は全くない) 30年間培った直感で宝永山への道だと思い、入っていった。 かなり急斜面を横切る感じの踏み跡であったが、少し歩くと岩に消えかけた黄色のペンキが見えた。 はやりこれが宝永山へ続く道であった。 分岐から10分余で宝永火口への分岐に着いた。(下の真ん中左が分岐手前からの写真である) そこには1組の老夫婦が休んでいた。服装や荷物からして、富士宮口から歩いてきたのだろう。 この分岐から400mほどで宝永山だ。 下の写真で見てもすぐそばである。 そして山頂には1人座って休んでいる。 私は休憩は山頂でと決め、平坦な尾根を歩いていった。 風は強く足を取られそうになった。 風は富士山方向から吹き下ろす感じで、右手方向から私の体に強烈にぶつかってくる。 その風は、快晴の中で気温が上がった地表を通過してくるので冷たくはなかった。 200mほど進んだところで立っていることができなくなった。 私は風下に顔を向けしゃがみ込み強風に耐えようとした。 すると地面の小石や砂が巻き上げられ顔や頭にぶつかってきた。 我慢しながら腕と尻で少しずつ進んでいった。 山頂が近づくにつれさらに風が強くなった。 低気圧に吹き込む強烈な風は中央アルプスの宝剣岳で経験した(日本百名山空木岳に記録あり)。 その時は雨混じりではあったが、つかまる岩もあり三点確保で何とか通過することができた。 あとは、雨飾山でリックが転がるほどの強風に見舞われたことがある。 あの時も最後の数mは這ってたどり着いた。 あの時の風も、ガスが晴れた後の快晴の中での冷たくない強風であった。 あの時は、山頂付近の木々が強風に吹かれ揺れていた。 今回は写真のように、辺りに揺れるものが全くなく、強風が吹き付けていることさえわからなかった。 しかし、体が吹き飛ばされそうな強風が吹いているという事実がそこにはあった。 困ったなあと思いつつ、山頂を見た。 よく見ると、山頂の登山者は休んでいるのではなく、強風で動けなく鎖の付いた杭に掴まっているのであった。 あと50mで山頂だ。 ここでじっと強風に耐えるより、私も柵に掴まって風が弱まるのを待とうと思い、しゃがんだまま前進した。 12時20分、やっとの思いで山頂の杭にたどり着けた。 飛ばされないように杭にしがみついた。 数本あるうちの最も北側の杭は1本抜けて転がっていた。その杭は細い鎖が付いているのでなんとか山頂に転がっていた。 宝永山は2度目であるが、こんなに風が強いところとは知らなかった。 風に吹きさらされながら風が弱まり動き出すチャンスを待った。10分ほど待った。 しかし全く風は弱まらない。 試しに風が弱いかもしれない風下の傾斜を尻をついたままゆっくり進んで見に行った。 そこはかなりの急斜面で歩くことはできないことがわかった。 待っても風は収まりそうにない。 尻と腕でゆっくり進めば分岐までの400mなら何とかなるだろうと、はだかの尾根を進み出した。 風下に向いている顔に小石や砂が猛烈にぶつかってくる。 目も十分開けていられない。鼻や耳や首にも巻き上がった砂が入ってくる。 それに耐えつつ少しずつ進んだ。私が移動した跡は小石や砂が飛んでなくなりのっぺりした地面になっていた。 そうこうしているうちに杭に掴まりずっと耐えていた登山者が、向かい風の斜面を、体を投げ出すように倒してゆっくり進み出した。風下より傾斜がゆるいが石が飛んできそうだし体が吹き飛びそうでかえって危ないと思っていたが、風でバランスを取り立って進んでいる。 私も座ったまま四つん這いで風の方を向いてみた。 息は吸いにくいが、小石や砂が飛んでこないだけましであった。 私も真似をして斜面に行き、風上に体を倒しバランスを取って立ち上がった。 歩ける!! 彼は尾根から5mくらいの所を分岐に向かってゆっくり進んでいったが、私は火口に向かって斜めに降りていった。 その方が風が弱くなることを知っていたからだ。 5分ほど下ると風を気にして歩かなくても良いほどになった。 そこで靴を脱ぎ強風で入り込んだ小石を取り除いた。 尾根に目をやると、彼は私の方向にはついて来ないで尾根の少し下を分岐に向かってゆっくり進んでいた。 2人とも無事危機を切り抜けられて良かった。 12時40分過ぎ、宝永第一火口近くに降りた。ここも風が強かったので、岩陰で5分ほど休憩した。 下の写真のように草モミジの紅葉が始まっていた。 13時、宝永・水ヶ塚分岐まで登った。 ここまで来ると、富士宮口の駐車場からのハイキング客が多数いた。 宝永山や眼下に見える宝永第一火口の眺めもなかなかいい(写真)。 紅葉ハイキングを楽しんでいるのだ。 私は宝永遊歩道を通り、紅葉を楽しみながら富士宮口の駐車場に戻った。 写真のように駐車場の周りは紅葉真っ盛りで混んでいた。 髪の毛の中にも砂がいっぱい入り気持ち悪かったので靴を履き替えるとすぐ車に乗った。 13時半の富士山スカイラインは4kmも車の列ができていた。紅葉真っ盛りの快晴でみんな車で登ってきたのだろうが、駐車スペースはに限りがあり、1台出ないと次の車は入れないのだ。 日没までに駐車場に着くことができるのだろうか・・・。 そんなことを考えながら車を走らせ、いつも利用する「天母の湯」に着いた。 髪の毛を3回洗っても黒い火山灰の砂が洗い桶の底にたまった。 目の周り、鼻の中、耳の中も何回拭いても真っ黒だった。 火山灰の全てを洗い流しさっぱりして帰路に着くことができた。 メモ帳のカバーのビニールの中にもリックの中にも砂が入っていた。風の力恐るべしだ。 遭難しなくて良かった。 |
富士山地面のエビのしっぽ | 長田尾根の手すりにつかまり下る |
宝永山はのんきそうに佇んでいるが・・・ | 宝永山火口付近の紅葉 |
新六合目への分岐付近から宝永山と火口 | 富士宮登山口の紅葉 |