06.12.11 MM第157号
【歩いた日】 2006年8月22日(火) [ 3日目前半 ] 【天候】 曇り 【コース及び時間】 行者還小屋5:53発−6:48一ノ垰−7:15トンネル西口への分岐7:20−8:00聖宝ノ宿跡8:05−8:58弥山 9:08−9:31八経ガ岳 【 行者還小屋〜八経ガ岳 3時間18分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。 |
【感想 等】 3日目が始まった。 朝起きると、霧雨だった。下の写真のようにガスも出ていて霞んでいる。 夕方のように雷雨でなくて良かった、と天候が回復することを祈って合羽も着ずに6時少し前に出発した。 あまり展望もきかないので、なだらかな尾根道をどんどん進んでいく。 20分ほど歩くと霧雨がやみ、ガスも晴れてきた。 木々の間から弥山・八経ガ岳方向の山が見えてきた。 出発してから1時間くらいで一ノ垰だ。 近くには歴史を感じる大木が生い茂っていた。 そして、下の写真のように壊れかけた一ノ垰避難小屋がひっそりとあった。 尾根の方向が西に変わり30分ほど行くと、見覚えのある風景に出た。 そこには登山者3人が休憩していた(下の写真)。 ここは7年前に日本百名山大峰山に登ったときに歩いた道なのだ。 私もそうだったように、ピークハンターは行者還トンネル西口から大峰山(八経ガ岳)をピストンで登る。 ここはその行者還トンネル西口から登り尾根道に出た合流点だ。 あの時は何を考えていたのか、写真がほとんどなく記録も多くない。 私にとってその前に歩いた大台ヶ原山の方がはるかに印象が深かったのだ。 深夜に到着し、たくさんのシカにあったり森を歩き山頂から見た展望に感激したり・・・。 しかし、改めてこのなだらかで歩きやすく太古からの木々が生い茂る尾根を歩いて思った。 山深いここはもっとすばらしいところだと。 私は歩きながら、木々の写真を何枚も写した。 疲れていないので軽くのどを潤して出発した。 彼らとは「天気が良くて良かった。何とか1日持ちそうだ。」なんていう話をした。 彼らは九州から来たと言っていた。 朝、霧雨だった天気もかなり回復し、晴れ間ものぞき始めた。 20分ほど行った山々の展望が開けたところで老夫婦が休んでいた。 今日、2グループ目の出会いだ。はやり日本百名山の山だ。 他のところでは全く人に会わないのに、こうして歩いている。 少し話をしてすぐに出発した。 彼らは私の家の近く、藤枝市在住で、退職して百名山を始め2年で56座という。 かなり熱を入れて登っていることがわかる。(ちなみに私の百名山は30年かかった) 8時、聖宝ノ宿跡に着いた。 緑に囲まれた中に、1m余の理源大師の座った銅像が新しい標識と共にあった。 さあ、ここからが登りだ。「聖宝八丁」と名前が付いているようだ。 ブナなどの木々が生い茂る道を登っていく。 夏といえども木々の日陰なので暑くはなく、大変ではない。 9時少し前、弥山小屋に着いた。前はなかったような高床式のような2階の位置に家があった(記憶にない)。 そこから3分で弥山だった。 写真のように立ち枯れの間を進んで行くと、鳥居があり山頂には白木造りの神社がある。 山頂では10分ほど休んだり景色を眺めたりして近畿地方の最高峰でもあり、日本百名山の八経ガ岳に向かった。 八経ガ岳は弥山より標高が20mほど高いだけなので目の前につぶれた三角形に見える。 中間辺りに来ると「オオヤマレンゲ保全対策事業」とかかれた柵がある(下の写真)。 これは前回見たのもはっきり覚えていたが、シカ等の食害から守るものだ。 その柵も前回より増えていた。 年々、シカやサル、イノシシ等が増え農家や林業家達は困っている。 今夏、静岡市の奥にあるヤナギランを見に山伏岳に登ろうと思ったが、食害で3株しか咲いていないと言うのを聞いてやめた。共存するにはどうしたらよいのだろう。 9時半過ぎ、標高1915mの八経ガ岳に着いた。 見覚えのある鉄の杖と山頂の標識があった(下の写真)。 近畿の最高峰といえ、独立峰ではないので抜群の展望とはいえない。 下には渓谷、東側には大台ヶ原、南にはこれから向かう釈迦ガ岳につながる稜線が見える。 紀伊山地の山深さがここでも実感された。 |
朝起きると霧雨、その中を出発 | 壊れかけた一ノ垰避難小屋がひっそりと |
行者還トンネル西口から大峰山への登山者 | 弥山の参道の木々は立ち枯れている |
「オオヤマレンゲ」をシカ等の食害から守る | 懐かしい八経ガ岳に到着(7年ぶり) |