07.01.28 MM第163号

   私の出合った日本百名山 by masarus
       
                         

大峯奧駆道(おおみねおくがけみち) 11 (世界遺産)

[  大森山(1078m)、五大尊岳(825m)、大黒天神岳(574m)  ]

    
  この山の私の印象                                  

「 晴天に恵まれ展望を楽しんだ 大森山 他の山々 」


【歩いた日】     2006年8月25日(金)  [ 6日目 ]

【天候】       晴れ

【コース及び時間】

 玉置神社5:18出発-5:38玉置辻-5:50水呑金剛-6:57大森山<1078m>7:02-7:29篠尾峠7:38-8:02五大尊岳

<825m>8:10-9:02金剛多和ノ宿跡9:07-9:25大黒天神岳<574m>9:30-10:17山在峠(昼食)10:37-10:56吹越峠

-11:48七越峰11:57-12:42熊野川の河原-12:54中瀬13:05-13:10大斎原13:15-13:20熊野本宮バス停

       【  玉置神社〜熊野本宮バス停  6時間45分   】

*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。

  
【感想 等】
 
 夜は畳の上の布団で快適に眠ることができた。
やはり布団はいい。ぐっすり熟睡できた。

 寝る前に少し大峯山最終日の日程を確認した。
今まで順調に予定通り歩いているが、6日目のコースタイムは約9時間だ。
そして、熊野本宮からJR線に接続する最終のバスは15時10分。

 バス停のある熊野本宮に宿泊しても良いが、前回中辺路を歩いたときそこは散策している。
その最終バスに間に合うには遅くとも6時には出発しなくてはならない。

これまでも5時台に出発してきたから大変ではない。

 そんなことを気にしていたからではないが、朝は4時半に起きた。
泊まっているのは1人だから、他の人には迷惑はかからない。
荷物をまとめ5時に朝食を食べ始めた。
まかないのおばさんが昨夜から用意してあるのを暖めるだけなので何時にでも食べることもできる。(おばさんは通いなのでこの時間にはいない)
ご飯は保温ジャーからよそい、みそ汁は卓上コンロで温めた。
めざしが冷たいのは少々堪えたが冬ではないのでぼりぼりかじった。

 そのうちに神主さんの朝のお勤めが聞こえてきた。
昨日の夕方もそうであったが、誰もいなくても誰も聞いていなくても行うのだ。
宗教人のすごさがそこにある。
しかも崇神天皇の創建と伝えられる由緒ある神社のお勤めの声は格別違って聞こえる。

  5時15分過ぎ、神主さんの声と太鼓の音を聞きながら「今日も良い1日になってほしい」と心の中で祈って出発した。
太鼓の音は静まりかえった中腹の杉林の中まで聞こえてきた。

 神社から20分ほど下ると玉置辻だった。
そこまで来ると太陽が昇ってきて空が赤く焼けてきた(下の写真)。
これが山深い熊野の自然だ、そのダイナミックさに感激した。
今日も快晴だ。

 そこには舗装された車道があり、その道を3分ほど下っていった。
何となく違う気がして地図を見るともう1本の柵をした砂利道がが奥崖道であった。
急いで玉置辻まで戻りあたりを探すと小さな標識があり、自分が標識を見落としていたことがわかった。

 平坦な車道歩きは簡単だ。
すぐに水呑金剛に着いた。
そこから山道に入り旧篠尾辻までは急な登りだ。
旧篠尾辻からは緩やかな尾根歩きになり7時前に1078mの大森山に着いた。
その手前の切り通しで展望が開けた。
快晴の空の元、山々から立ち上る水蒸気が雲海になって眼下に広がっていた(写真)。
またまた良いのもを見た、とうれしくなってしばらく見とれてしまった。

 朝の出発が早かったので、予定より1時間早い。
この分なら最終バスには楽々間に合うので時間は気にしなくて済む。

 木々に囲まれた大森山からの展望はない(下の写真)。
標高30mくらい下ったところに大森山南峰(1045m)がある。
そこも三角点はあるものの木々がじゃまをして展望がない。
そこへ行く途中、3匹のウリ坊に会った。
イノシシの親がいるのではないかと警戒したが親には会わなかった。
昨日はリスに会い、今日はイノシシの子。
人間には会わず、会うのは動物ばかり。
それだけ、熊野の山々が自然を残しているということである。

 尾根を歩き南下すること約30分、篠尾峠に着いた。
今日は昨日の暑さとは違い、涼しい西風が吹き気持ちがよい。
まだ7時台ということもあるかもしれないが・・・・。

 篠尾峠で10分近く休んでから20分ほど行くと825mの五大尊岳に着いた。
ここも木に囲まれていて西の方角のみ木の間から展望がある。
果無山脈(はてなしさんみゃく)などが見える。

 少し休んだ後、クマササを掻き分け下っていく。
途中、結構急な下りを降りていく。
そして、「蟻の戸渡り」と呼ばれているやせ尾根を通る。
五大尊岳から1時間くらいで金剛多和ノ宿跡だった。
金剛多和ノ宿跡には小さな祠があり、中には役行者と御世童子が祭ってある(下の写真)。
ここは峠になっていて、右に行くと上切原、左に行くと大小森に行ける。

 それらの道を通って入山しやすいからか、松茸が多いのか
「松茸採取禁止」「許可なく入山禁止」の看板が立ててある。
大峯奥崖道の多くが自然林であるが、民家に近いところは植林され個人の所有だ。
当然、そこで育っている木々や草花等も個人所有になる。

 私の家もかつては山でミカンを作っていた。
一番困ったのは山芋堀の人たちであった。
うちでは自然にできた山芋は掘らないので掘られて困ることはないのだが、
彼らは深い穴を掘ってそのままにしていくのだった。
斜面にそんな穴がいくつも空いてしまい落とし穴のようになったり崩れたりした。

 松茸取りもそうだが、モラルを守ってほしいものだ。

 そこから少し登ると大黒天神岳(574m)だ。
9時半前に着いた。予定時刻より1時間半以上早くなっている。
そこはNHKのテレビアンテナがあり、木が切られている。
そこに正月飾りに使うウラジロがたくさん生えていた。
子供の頃、おじいさんに頼まれて近くの山に取りに行ったことを思い出した。

 なだらかに尾根を下って行き、10時過ぎ山在峠(さんざいとうげ)に着いた。
その手前では蛇行した熊野川が見えた。
この川を見ると、ゴールはそう遠くないと思った。
この山在峠でお昼にした。
玉置神社で作ってくれた弁当は質素だったが、おいしかった。

 舗装道を2回横切り、吹越峠に向かった。
ここまで来ると、もう標高は200m〜300mしかない。
木が伐採されていて眺めが良く、右手に熊野川を見ながら歩く。
20分ほどで吹越峠に着いた。
その先にNHK中継施設があり、そこがかつて熊野神社があった、大鳥居にある大斎原(おおゆのはら)の展望が最高の場所だった。
1年前に来た時を思い出しながら10分ほど眺めていた。

 ゴールの熊野本宮は手に届きそうなところにある。
しかし、まだまだだ。
直接は行けないので七越峰を越え、備崎橋を渡らないとならない。

 12時少し前、七越峰に着いた。
良く整備されていて公園のようになっていた。
歴史があるばかりでなく、広場や子供用の遊具もあるので市民の憩いの場所でもあるのだろう。
ここからは3方へ下る道があり、私は少し間違えぐるっと回ってしまった。

 備崎橋まで行き、U字型に遠回りするのも良いと思ったが
かつては熊野川を渡り熊野本宮に行ったという記事を読んだことを思い出した。
熊野本宮はたくさんの神を祭ってはいるが、本来水の神様だ(と私は信じている)。
(だから熊野川の河原にずっと社殿があった。そこが現在の大斎原である)

 七越峰から川沿いまで下り歩いていると、河原に降りる道があった。
運良く、何日も雨が降っていないので川の水量が少ない。
浅瀬を探し登山靴を脱ぎ川を渡った。
河原の石は50度くらいの熱さで足の裏がひりひりしたが、川の水は冷たく気持ちよかった。
川の深さは膝上くらいだった。
気持ちよかったので10分ほど水に浸かって休むことにした。

 浅瀬は支流が2つに分かれていて、川と川の間の河原歩きが裸足では熱すぎた。
わずか10数mであったが、靴を履こうか迷いつつ裸足で歩いた。
足を濡らしてから歩いたがすぐに乾いてしまった。

 8月下旬の大斎原はほとんど観光客がいなかった。
石碑を読んだり、大鳥居をじっくり眺めたりして熊野本宮に向かった。
バス停には最終バスの約2時間前に着くことができた。

 無事大峯奥崖道を歩けたお礼を言いに熊野本宮大社にお参りした(写真)。
昨秋とは違い、社殿内では撮影禁止になっていた。
(しかし、撮影している人が大勢いたのには閉口した。)

 予備日を使わずに済み1日余裕ができたので、翌日は熊野那智大社のある那智山周辺を散策して帰路に着いた。
玉置辻からの朝日。 大森山手前からの雲海
大森山の山頂 金剛多和ノ宿跡には小さな祠がある
吹越峠付近から大鳥居にある大斎原を展望 世界遺産熊野本宮大社

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