2008.02.04 MM第203号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus
       
                         

大山 (おおやま 328m) [愛知県渥美半島 田原市]

    
  この山の私の印象等は・・・                                  

「 地形図だけで渥美半島の最高峰を楽しんだ 大山 」

 *下に感想等の文があります。                                         


【歩いた日】     2007年12月17日(月)

【天候】        晴れ

【コース及び時間】


越戸9:17発−9:44大山〈328m〉10:00−10:20標高250m峰−10:43サシバ峠−10:58展望台

11:10和地−(自転車)

   【 登り 27分  下り(和地へ) 1時間10分   合計 1時間37分 】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。

  
越戸を上がっていくと神社が出迎える 一等三角点のある「大山」山頂
山頂の向こうの灌木に赤い布を見つけたが・・・ 12月中旬にきれいなピンクのツツジの花が
私有地のため通行止めか! 高台から小学校周辺と海が展望できる

 【感想 等】

 
前号(NO.202神石山・湖西連峰)で浜松周辺に高い山がないので神石山に一等三角点がある、と書いた。
ここ愛知県の南西、渥美半島も高い山がない。この大山が名前の通り一番大きい山でここに一等三角点がある。

 ただ328mしかないので、日本300名山等には含まれていない。
そんなわけで私の手元にはこの山に関する資料が全くない。(きっとインターネットで調べれば少しは資料はあると思うのだが・・・)

 「大山」といえば、日本百名山の1つ、鳥取県の大山(だいせん)。かつてメルマガNO.63で紹介した。
そして、丹沢の大山(おおやま)。これは日本三百名山の1つでもある。メルマガNO.166で紹介した。
全国には麓から見て大きい山である、大山がいくつもあると思う。
その内の1つ、愛知県渥美半島にある大山の紹介である。

 まず、この大山をどのように歩いたか、である。

これまでもいろいろな山の歩き方をしてきたが、今回は知らない土地で地形図だけをたよりに山に登りたくなった。
私のお気に入りの掲示板に県内の三角点をくまなく歩いて報告し合っている人達がいる。
ある三角点は紛失したりまたある三角点は新しくできたりといったことがあるようだ。またある三角点は藪に包まれていて雪に埋まる一定の時期だけしか到達し難かったりするそうだ。
 私は三角点にはあまり興味はないが、彼らの歩き方に興味がある。

 ある人は1か月に1つの三角点の発見に楽しみを見つけている。
ある人は電力会社の検索路をくまなく歩きいろいろなルートから三角点に到達している。

 私はいろいろな歩き方をするのが好きだ。
登山ガイドを参考に歩くのも不安が少なくて良い。
また、その登山ガイドブックを少し変えて歩くのも楽しい。
今回のようにガイドブックや友人からの情報等も全くなしであるくのもまた楽しい。
(詳しくは近々にいろいろな歩き方のついて書きたいと思っている)。

 焼津アルプスなど、知っている地元の山であれば地形図はなくても、また歩いたことがなくても登山道についてや下山する場所などについて見当はつき、例え道に迷ってもそれほどひどい迷い方はしない。
 では、あまり知らない土地での山歩きではどうかと、今回試してみることにした。

 渥美半島近くに行く予定があったので、ロードマップで調べた。
6万分の1の地形図に出ている渥美半島の山は4つ。
それほど少ない。
それで南側の国道42号線から登って行ける、渥美半島で一番標高の高い「大山」を選んだ。

 2万5000分の1の地形図で見ると越戸の集落から山頂までは細い実線、山頂からは点線が分岐を5つ持ち、和地まで続いている。地形図を見て歩きたいコースがすぐに決まった。この越戸から和地までのコースを歩いて自転車で戻ってくる。
これだけ山道が枝分かれしていれば、例え廃道になっていても1つくらいは歩き通すことができるだろう。
また、いくら「大山」と言えども、山がそれほど大きくないので道に迷って計画以外の場所に下りても、最悪の場合でも何とか歩いて車まで戻ることができるという感じである。

 9時過ぎ、下山口の和地の郵便局前に自転車を置いて越戸に向かった。
越戸では、近くの商店で登山口を聞き、国道から少し入ったところに車を止め出発した。

 目の前には、上の写真のように集落を守る神社「白山比祥神社」の鳥居が構えている。
(始め、この鳥居の近くに車を止めようとしたが、「氏子以外駐車禁止」というようなことが書かれていたのでやめた。)

 低く注連縄のかかった鳥居をくぐると巾2.5mくらいの細い道が3方に分かれていた。
山頂は直進方向だが、地形図では1本だけ右に曲がっているように書かれている。
確率3分の1、間違っていれば5分歩けばわかるだろう、とにかく行ってみよう、と右の道を選択する。

 曲がりくねったやや急な道を登っていく。進行方向が北に変わったので登っている道が合っているだろう事を確信した。
未舗装のこの道の傾斜・曲がり方では私の車では登ることが出来ないと思いながら歩いた。
あまり手の入っていない木々の間からメジロの鳴き声が聞こえてきた。

 20分近く歩くと、大山の中腹にあるもう1つ神社を示す手作りの小さな標識があった。
道はなだらかになり、電柱や無線中継施設などが見えてきた。
手前に目をやると「大山」と書かれた標識があった。標高328m、一等三角点のある大山の山頂である(写真)。

 道幅のある山道を30分もかからず登ってきた。
登山口から山頂まで道案内の標識は全くなかったが、山頂には立派な標識があってびっくりした。
これほど立派な標識があるならコース上にも案内があっても良さそうだ、とも思った。

 中継施設の向こうに案内板や登山コースを示す標識等があるかもしれない、と行ってみることにした。
施設の周りにはフェンスが張られ斜面でもあり歩きにくい。
一番西側に行ったがそれらしき物はなかった。
ウバメガシだろうか、ジャングルのように密集した中に木に縛られた赤い布切れを見つけた(写真)。

 「お、登山道だ!」
赤い布切れは多くの場合、登山道を示す目印である。
帽子を深くかぶり、枯れた枝を手や体で折りながら進んでいった。いばらで進行を止められるが、強引に進んだ。
しかし10mほど進むと踏み跡は全くなく、進めなくなった。
近くに2mほどの石があったのでよじ登ってみたが、進行方向に歩いた形跡は全くなかった。
どこまでもジャングルのような藪は続き、その向こうに静まりかえった伊良湖岬が見えるだけだった。
この藪は、知らない土地で素手で歩けるほど優しい藪ではない。

 退散を決めピークの標識の所に戻った。
そして今日はこのまま車に戻るしかないか、と地形図を見ると、山道を示す点線がピークを通らずに登ってきた道からそのまま北の方向に伸びていた。
信じ込みと言うのは遭難の最大の原因ではないかと思うのだが、赤い布切れの方向には登山道は書かれていなかった。
だめでもともと、コースを探して行ってみようと思った。

 自衛隊が芝か何かの植物を植えているのか、立入禁止の柵がある脇を通り50mほど北に進むと小さいが新しい標識が付けられていた。
「よかった。地図上の点線の山道はあったんだ。」
もし途中で行き止まりでも戻ってくればいい。時間は十分ある。

 巾1mくらいの山道を下っていくと伊川津に下る分岐に出た。そこにも小さな標識があった。
地元の山の会か何かで登山道を整備してくれているのだろう。
また雨乞山への標識もあった。大山から雨乞山へのルートも出来ているんだ。

 展望はあまりないが、ほぼ平坦な尾根歩きは快適だ。
また標識があり、「臍(ヘソ)岩」「梔(クチナシ)岩」「ナグサ」と3方向が示されている。
岩に名前が付けられていること、また標識の木ぎれは白いペンキが塗られ、その上に黒いペンキで書かれている。しかも丁寧に先は赤で縁取られている。
こんな事からもこのハイキングコースを育てようとしていることが伺える。

 尾根をかなり西に回り込んだので大山山頂の無線中継施設が見えてきた。
たいして時間は経ってはいないが、かなり向こうに見える。
足下にはシダ類が多くなり、なんとピンクのツツジも咲いている(写真)。しかも1本ではなく3本も。
ツツジと言えば春の花である。ヤマツツジはぼけたような橙色の混ざった赤色だ。
これが自然のツツジか否かはわからないが、狂い咲きだろうか。

 少し歩くと2つ目の分岐に出た。
そこには手作りの標識と共に、市か県かの行政が設置した立派な標識があった。
そこには私が歩いていこうとするコースは「1.2km先 通行止め」という板が張り付けられていた(写真)。
どうも私有地になり通行止めになったようだ。
1.2km先ならまだ歩けるし下山路も他にあるだろう、と計画した方向に歩くことにした。

 高さ3mくらいの灌木のトンネルを進んでいく。
次の分岐には3方向中2方向に「通行禁止」が書かれている。
進めるのは「大山」のみだ。すなわち今歩いてきた道以外は通行禁止、というのだ。
日本百名山の両神山のように地主ともめているのだろうか。
通れなければ戻ってくればいい、進んでみることにした。

 10時43分、サシバ峠に着いた。
そこには「和地・大山」の標識が生きていた。
和地まで行けるかもしれないという希望が湧いてきた。
メロンや菊を作る温室や海(遠州灘)・対岸の紀伊半島鳥羽のシルエットも見えてきた。

 そこから数分で「花の村」分岐に来た。「和地」の表示は消してある。
最悪の場合、ここから下れば「和地」の集落まではそれほど遠くない。
安心して表示のない「和地」に向かった。

 しかし表示を消してあるくらいだから、あまり通る人はいないのだろう。
山道には腰の高さまでシダが茂りその中にたくさんのいばらが混じっている。
ズボンにいばらのとげを刺し、無理矢理歩いていった。
ジャージ生地のズボンは伸び縮みをして歩きやすいがとげからは守ってくれない。
肌に達したとげは容赦なく太腿に刺さり少し血がにじんだ。

 11時少し前、展望台に着いた。
下の小学校から上がってくる階段がある。和地小学校で作った展望台なのだろう。
そこからは広い海、そして和地の集落が手に取るように見える(写真)。
いろいろな学習に使える裏山を持った小学校というのもいいだろう。
そんなことも考えながら景色を眺め、無事ここまで歩けた喜びをかみしめた。

 枕木で作った急な階段を降り、小学校の横を通って和地郵便局に置いた自転車に向かった。
越戸までは自転車で7分であった。
越戸では菊畑で作業するおばあちゃんと話した。
お祭りの時には大山中腹にある神社まで軽自動車で行くという。
温室の菊で生計を立て幸せそうな家族の話をたくさん聞かせていただいた。

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