2008.07.14 MM第224号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus
       
                         

富士山村山古道3 (田子の浦〜村山浅間神社) [日本百名山]

(ふじさんむらやまこどう 500m) 静岡県富士市・富士宮市

    
  この山の私の印象等は・・・                         

「 海岸からの舗装道歩きは大変疲れた 富士山村山古道 」

 *下に感想等の文があります。                                         


【歩いた日】     2008年6月1日(日)

【天候】        晴れ

【コース及び時間】


9:40JR吉原駅発−9:44木之元神社−9:55田子の浦海岸−10:05富士塚−10:10依田橋東−10:25左富士−

10:54日吉浅間神社11:03−11:30法伝小東11:35−12:16岳陽中東12:26−12:44三ツ倉分岐−13:20大淵第一小

−13:53大淵団地入口−14:29次郎長14:34−15:24村山浅間神社



   【 登り 5時間15分    】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。

  
田子の浦「鈴川海岸」はテトラポットが邪魔していた 海岸の自然石を積んだ「富士塚」
日吉浅間神社には親子の参拝客が 新しい手作りの看板があり、見落とさないで済んだ
不審者の取り締まりのため東西に見付を設けたという ようやく着いた村山浅間神社

 【感想 等】

 カナダのケベックで開催されてたユネスコの第32回世界遺産委員会は7月7日、「平泉の文化遺産」について「登録延期」を決議した。これは日本政府の推薦遺産としては初めて「登録」を逃した、と言うことであるが「富士山」を世界遺産に押している静岡・山梨両県にとっても他人事ではないと思う。

 一昨年のNO.144「村山古道1」で村山浅間神社から西臼塚、NO.145「村山古道2」で西臼塚から富士山富士宮登山口を紹介した。また、富士宮口から富士山頂までは7月、9月、10月を紹介してきた。
 かつては田子の浦海岸で身を清めてから富士山に向かったという。当時はどれくらいの時間をかけて登ったのだろうか。

 村山古道1で紹介したように、村山古道を復旧しているグループは田子の浦海岸から4日に分けて登るようだ。
私はあと、村山浅間神社までが残っていた。当時は自転車で走って終わりにしようか、とも考えたが『富士山村山古道を歩く(畠堀操八著、風濤社』が発刊されたのでそれを参考に歩いてみようと思った。

 田子の浦に近いのはJR吉原駅だ。
まず、駅に南側すぐの所にある「木之元神社」に寄ってみた。
それほど大きい神社ではないが、白壁に赤く塗った柱があり少し違った雰囲気の神社だった。
富士市の指定天然記念物になっている高さ11.6mのムクロジがあった。

 そこから南方向、海岸に進み右に曲がっていくと海岸に出ることができた。
田子の浦港があり堤防で多くの釣り人が魚を釣っている(写真)。
そして、海の向こうには伊豆半島が見えるのに、残念ながら反対側の富士山は中腹より上が雲に隠れている。

 本来なら海に降り、手や顔を拭ってからスタートしたいところである。
ところが見たこともないくらい巨大なテトラポットが海岸を塞ぎ全く近づくことができない。
前述の本によると、東に数百m行けば海岸に降りることができる、といったことが書いてあったがざっと見たところ降りるところが見えなかったので、釣り人にお願いしバケツの水で手を湿らせ良しにした。

 そして、海岸から少し入ったところにある「富士塚」に向かった。
富士塚といえば、富士山信仰のシンボルである。
(東京にはたくさん残っていると言うことを聞く。次回上京した折には見たいと思っている。)
その富士塚は富士山の溶岩の石を積み上げ作ってあるという。

 ここの富士塚は写真のように海岸の自然石である(写真)。
説明板によると、「昔、富士登山をする人々が登山の安全を祈って海水で水垢離をした後、海岸の石を一つづつ置いていったもの」と書いてある。他の説もあるようだが、結構大きな石が多く運ぶのに大変だったと思う。長い歴史の中ではいろいろな理由で積まれたのかもしれないが、この説を一番に信じたい。

 さあ、海抜0mの海に寄り、富士塚を拝み、歩く準備が整ったところで出発だ。
この日は写真で見るとおり、快晴。建物いっぱいのアスファルト歩きは自然に中と違って暑いし疲れやすい。それを吹き払って10時過ぎ、村山浅間神社に向かって出発した。

 村山浅間神社に行くたくさんの道路がある中、どの道路を通ればいいのか、よくわからない。
そこで、前述の本を手に、静岡県広域地図のコピーに昔のルートを赤線で記入して持ってきた。
本の記述でははっきりしないところは、わかった2点を結んでルートを作っていった。ルートは細い道が多いようだが、見つけられるか心配である。

 まず、JR吉原駅に向かい、線路沿いに東に進み、日本製紙前の踏切を通り線路の北側に出た。モーターボートがたくさん係留されている沼川を渡り、依田橋付近で新幹線とR1号をくぐる。
しばらく行くと、「左富士神社」という神社があった。石碑があり、この辺は「名勝左富士」だという。地図表示のバス停も「左富士」である。
富士山が見えないので良さがわからないが、この辺に来ると右にあった富士山が左に見えてくるそうだ(道は200mも行くと左にカーブしてまた右富士に戻ってしまうと言う)。
観光用の石碑には最新技術で歌川広重の浮世絵をコピーしてあった。見たことのある有名な風景である。かつての風景を想像できていい。

 そこから道なりに進んでいくと岳南鉄道の「吉原本町駅」を越え、歩道に屋根のある商店街に入る。時間はまだ11時前なので閉まっている店が多く、人通りもまばらである。
途中から右折し「日吉浅間神社」に向かった。
地図をよく見なかったので隣の寂れた感じの吉原公園に着いてしまった。公園の前には和田川が流れ少し高台にある神社には近づけない。
仕方がないので公園を越え裏から行くことにした。と言っても、道は定かではない。
階段を上っていき、裏の住宅街に出ると細い舗装道があったので歩いていくと何とか神社にたどり着くことができた。

 神社の説明板によるとBC93年、崇神天皇の時代に建てられたという。大変歴史のある神社だ。先ほどは入り込んだ、寂れた吉原公園はかつてこの日吉浅間神社の跡地だという。浅間神社というのは富士山信仰からきているのでそのことが書いてあると思ったがそうでもなかった。
 富士山頂には「浅間大社富士山頂上奥宮」があるが、富士山は浅間大社のご神体である。富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」は全国1300社余ある浅間神社の総本宮である。神社は時代の波に翻弄されてきたので、この日吉浅間神社も説明板によると14世紀には富士山修験僧によって管理されていたようである。
 神社には幼稚園くらいの子を連れたお母さんが参拝していた。いつも来ているのだろうか、それとも素直な子なのであろうか、2人が自然な感じで拝んでいたので「いいなあ」と思った(写真)。

 まだまだ先は長いので少し休んで出発した。
西の方向に進みたいので神社の下の巾3mほどの道を進んでいくと、人が出てきて「ここは私有地です」ときついお言葉。「済みませ〜ん」と急いで引き返した。その後も2回ほど行く手を阻まれた。橋の架かっていない和田川が行き止まりを作っている。仕方ないのでまっすぐ商店街に戻り進むことにした。

 吉原5丁目でR139に出て、細い道を歩き伝法沢から県道72号に入った。この県道を伝法川沿いに登っていく。今まではほとんど平であったのでようやく登りになって少しうれしかった。今日は標高500mまで上がらなくてはならないのだ。

 アスファルト歩きは慣れないせいか、どうも時間や距離の感覚がわからない。
かなり歩いたのでもう左折の場所まで来たと思い、岳陽中学のところで曲がってしまった。
歩いていくとT字路になっていて違うことに気づき、日陰で昼食休憩にした。

 昼食を食べたら元気が出て、20分弱で左折の県道88号線に着いた。
県道を数分行くと写真のような石碑と手作りの標識があった。
石碑には「東 三ツ倉 左 むら山道」とある。新しい木の標識がなければ見落としていたかもしれない(写真)。

 しばらく行くとガードレールが道を塞いでいる。そう言えば、本にも出ていた。第2東名高速の富士インターに繋がる道路で分断されているのだ。ガードレールをまたぎ、車に気を付け直進した。道がなくなったところもあったが、何とか進んで行ったら入れないように柵がしてある。
 茶畑を進んで行くと、工事中の第2東名にぶつかった。100mほど東側に橋があったのでそれを越え進んでいった。

 ここまで、ところどころ道を間違いながらも何とかコースを外れないで来たと思っていた。
しかし、どう間違えたのか、いつの間にか先ほど上がってきた県道72号線沿いの細い道を歩いている(実際のコースは三ツ倉から北西に進まなくてはならなかったのだ。)。
多分、「左 むら山道」と書いてあったのに左に行かずまっすぐ進んできたのだ。

 方向はかなりそれてしまっていた。
そして、はっきりしないコースを探しながら歩く気力がなくなりつつあった。
「大淵第一小学校」の前に来てコースがそれていることを確信した。

 「中野」の交差点を県道76号線に左折し、「穴ヶ原入口」から北上することにした。
このコースはバス路線になっているので現在地を確かめながら歩くことができる。
「大淵団地入口」「次郎長東」と進んでいき、県道158号線と合流している「次郎長」に着いた。

 ここまで来れば、あと少しだ。
JA近くを右折し北上していった。

 道路脇に「東見付」という案内が出ていた(写真)。
当時、ここに不審者の取り締まりのため東西に見付を設けたという。

 まっすぐ上っていき、国道469号線の下をくぐり、次の交差点を右折すれば村山浅間神社だ(写真)。
神社に着いたのは3時半近くであった。
ご神木「千年杉」の大きなが私を迎えてくれた。
案内板には樹高47m、目通り9.9mとでている。神社の歴史を感じる高さと太さである。

 境内には石造りの「水垢離場」がある。道者がここで身を清め、不動明王の守護を願い山中の安全を祈願した所だと言う。富士登山は今とは全く比べようもないほど大変であったことは誰にもわかる。
 他にも、「護摩壇」などがあり、じっくり見学した。

 今回はかろうじて神社に着くことが出来たが、古道をどれくらいたどれたかはわからない。
神社の隅にたくさんの手作りの標識が置いてあった。
これからも、誰もが歩きやすいように整備してくださることを期待する。

 とりあえず、田子の浦海岸から富士山頂まで繋がった。

 私の出合った百名山HPトップ   発行済みMM 「日本百名山」TOPに戻る   masarusにMail

inserted by FC2 system