2008.09.04 MM第229号
*下に感想等の文があります。
【歩いた日】 2008年7月17日(木)〜18日(金) 【天候】 晴れ(17日) 雨(18日) 【コース及び時間】 7月17日(木) (NO.227で紹介 西穂山荘5:50発−6:40西穂独標6:45−7:02ピラミッドピーク7:07−7:38西穂高岳) (NO.228で紹介 西穂高岳〈2909m〉7:50−8:45間ノ岳〈2907m〉8:55−9:23天狗岳9:33−9:45天狗のコル9:55− 11:08ジャンダルム〈3163m〉11:13−11:37ロバの耳下11:46−12:00馬の背−12:08奥穂高岳〈3190m〉 12:19−12:43穂高山荘) 穂高山荘12:57−14:05涸沢小屋14:17−14:30涸沢ヒュッテ (2食付きで宿泊) 7月18日(金) 涸沢ヒュッテ6:10発−7:39本谷橋7:45−8:30横尾−9:03新村橋9:08−9:18徳沢9:28−10:09白沢出合10:15 −11:11水場−11:45霞沢岳分岐−11:50徳本峠小屋(2食付きで宿泊) 【 下り1(穂高山荘〜涸沢ヒュッテ) 2時間21分 下り2(涸沢ヒュッテ〜白沢出合) 5時間15分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
穂高山荘からの下りは雪がいっぱいだった 7月中旬でもこんなに雪が多いとは・・・(涸沢) 涸沢ヒュッテはすいていて快適だった 涸沢ヒュッテからの下りも雪がいっぱいだった 本谷橋まで来ればあとは雪もないし起伏が少ない 10時過ぎ白沢出合に着いた
【感想 等】 中ノ湯〜焼岳〜割谷山、西穂高岳、ジャンダルム、奥穂高岳・・・と3泊4日で縦走した。 その第5弾は2日目の続き「涸沢(2309m)」と3日目の「徳本峠(2140m)」である。 7月17日、西穂高山荘を午前5時50分に出発し、ジャンダルム、奥穂高岳を越え穂高山荘に13時前に着いた。 計画では穂高山荘に泊まるつもりであった。コースタイム10時間という事であったし、穂高山荘は日本で最も人気のあるすばらしい山小屋であるからだ。前号でも少し書いたが、重い荷物を背負って縦走してきたとき天候が悪くて穂高山荘で連泊した。その時も穂高山荘で快適な2日間を過ごした。 13時前に穂高山荘に着いた。そして下を見ると、涸沢には予想以上の雪が残っていて真っ白であった。 天気がいいので小屋のスタッフが屋根に上がって休んでいたりテラスでくつろいでいた。 天気がよく風もなかったので、西穂山荘からジャンダルムを越えて穂高山荘までの山歩きは楽しく順調なものだった。 実際にかかった時間は、西穂高岳から約4時間、西穂山荘からは5時間半であった。 10時間のコースタイムということで夕方の到着になると思ったが、早く着きすぎて自分でもびっくりした。 西穂山荘にチェックインする時、翌日の予定も書き込んだのだが、受付で「雪が多くてアイゼンがなければ穂高山荘から降りれませんよ。」と言われた。 数日前に私が穂高山荘に電話した時は雪について全く触れなかったのに、雪が多くて下山できないとは驚きだった。すぐに穂高山荘に電話をして確かめると、雪は多いがステップを切ってあるのでアイゼンがなくても下山できると言われた。 そんなわけで安心してここ穂高山荘に来ることができた。 しかし、写真のように雪の多さは半端ではなかった(写真)。 朝早いと雪が凍っていることも考えられる。また、これから天気は下り坂である。 それで、本日の内に涸沢まで下ることにした。できれば、白沢出合か徳本峠まで行ければこれからの日程を1日詰めることも出来る。体調はよく、疲れは全くない。 13時少し前、涸沢に向けて下山を開始した。朝から天気もよかったのでかなり雪も柔らかくなっていた。 だから心配なく下っていくことができた。 約1時間で涸沢小屋近くに来た。灌木の中に入り、登山道から雪はなくなった。 そして14時5分、涸沢小屋に着いた。もう涸沢ヒュッテはすぐそこ、目の前にある。 涸沢小屋の人に聞くと、通りたかった「パノラマ新道は雪のため不通」という。 まだ通ったことがなかったので屏風の頭を通って新村橋に下ろうと思っていたがだめになってしまった。 いつも利用している横尾谷沿いに歩き、横尾経由で白沢出合に行くしかない。 本日はここ涸沢までにした。 ゆっくり山小屋生活を味わおう。少し高台にある涸沢小屋で10分少しのんびりした。 写真のようにこの涸沢は雪がいっぱいである(写真)。 その中をこの涸沢小屋に登ってくる人も多い。 その様子を見ているのも楽しい。 登ってくる人が一段落してから涸沢ヒュッテに向かった。 傾斜はあまりないので楽しみながら雪道を歩いた。そして14時半、涸沢ヒュッテに着いた。 受付をすませ、素敵なテラスでおやつを食べながらのんびり穂高の山々や涸沢の雪などを眺めて過ごした。寒くも暑くもない山や緑に囲まれた中で過ごすのは気持ちがよいものだ。 西穂山荘もそうであったが、ここには衛星デジタル放送が受信できる大型テレビが設置されている。そして地域のスポット天気予報を随時流してる。それを見ると天気が崩れてくることがはっきり分かった。本日中に涸沢まで下ってきてよかったと思った。 やはり、夕方になり小雨が降ってきた。大型TVに小屋番が「涸沢の四季」のビデオを流してくれ、それを見て過ごした。 この日の宿泊者は20人弱だった。3連休前の梅雨時のせいかもしれないが、あまりに少ないのでびっくりした。以前書いたが紅葉に時期はテントの張る場所もなく、定員250人に対し700人位という1畳に3人くらいの宿泊者だ。その時には廊下にも食堂にも寝るそうである。 今回はほんとに少ないので、食事も壁の写真や外の風景などを見ながら落ち着いていただくことが出来た(写真)。 また、ふとんもゆるゆる敷け気持ちよく寝ることが出来た。 18日は未明からすごい雨だった。トタン屋根に当たる雨の音で夜中に何度か目を覚ました。 本日は徳本小屋までである。午後出発しても小屋には着くことが出来るだろう。そして、TVの天気予報では9時過ぎに雨はやみそうである。 6時少し前に朝食を取り、空の様子を見ていたが、朝の内に出発することにした。山の天気は局所的に変わってくるし、待っていると歩くのが嫌になってしまう。 午前6時10分、思い切って小雨の中を出発した。穂高の山々は上部がガスで隠れている。 少し歩くと、まだまだかなりの残雪である。コースミスをしないように雪には赤いラインが引いてある(写真)。 昨日の穂高山荘からのステップ切りといいありがたい。登山者の滑落事故が減ると共に安心して歩くことができる。 7時近くなった。樹林帯に入ったと、安心したのも束の間また雪渓の中だ。 スリップしないように慎重に下っていく。 この日は雨のため、気温が下がらなくて良かった。雪は固くなっていないので軽アイゼンがなくても何とか下ることができる。 この雪渓の中を布製のズックで登ってくる人がいてびっくりした。いくらなんでもそれではすぐに靴下まで濡れてしまう。 7時40分、本谷橋に着いた。ここまで来れば、雪はない。あとは針葉樹林の中の巾が広い石畳の登山道を下っていくだけだ。 雨の中ではあるが、今日も順調にそして快適に歩くことが出来ている。 8時半、横尾に着いた。 そこには懐かしの梓川があった。 本日で山小屋3泊目である。もう3日間風呂に入っていない。 予定では梓川の水で体を拭くことにしていた。しかし雨なのでやめた。 かつて、縦走して何日も風呂に入らなかったので川で体を拭いていたら、アブが来て額の辺に止まりそうになった。それで、あわてて手で払ったら眼鏡が飛んで川に落ちてしまった。急いで川の中を手探りで探したが流れが速く見つけることは出来なかった。きれいな川ではあるが、ちょっと苦い思い出がいっぱい詰まった川である。また、かつて槍ヶ岳から下山し槍沢にテントを張った時の苦い思いでもある(「槍ヶ岳のHP」参照)。 横尾山荘前では数人が休んでいた。 9時過ぎ、新村橋に着いた。当初の予定では涸沢からパノラマ新道を通り奥又白谷からここに出る予定であった。標高は1581m、涸沢から700mほど下ったことになる。 そこから10分で徳沢だった。ここまで来れば、白沢出合はすぐそばである。 「徳沢園」には庇もあるので雨宿りをしながら少し休憩することにした。 公衆トイレや徳沢園のテントだろうか、旧式の黄色のテントが並んでいる。 また上高地からはそれほど起伏もないので行きも帰りも2時間くらいだ。そのため雨の中ではあるが観光客の姿もちらほら見える。 9時半近く、徳沢を出発した。まだ、小雨が降っている。 涸沢に向けてか槍ヶ岳か、それともその途中までなのか、多くの登山者とすれ違う。 韓国語も聞こえてくる。 そう言えば、涸沢ヒュッテには韓国語の表示もあった。日本語、英語と並んで韓国語の表示があるということは、韓国のガイドブックに紹介され多くの韓国人が来るのであろう。 10時過ぎ、白沢出合に着いた。 あとはこの往来の多い梓川沿いの道と分かれ徳本(とくごう)峠に登るだけだ。 白沢沿いの林道を15分ほど歩くと山道になった。 川沿いの道なのでたいして急ではなく合羽を着た身には助かる。 1時間ほど歩いたところに雪渓がかなり残っていたのでびっくりした。 こんな所でも雪があるんだ。 11時45分、霞沢岳への分岐を過ぎ5分で徳本峠に着いた。 峠にある小屋は、台風で飛ばないようにするためか屋根には木を載せ、外壁には青い工事用のビニルシートを張った貧弱なものだった。また小屋が倒れないように丸太を斜めに立て支えてあった。 2日間宿泊してきた「西穂山荘」「涸沢ヒュッテ」とは違う山小屋滞在になることが想像された。 雨はそのころになってやっと上がってきた。 コースタイムだと、上高地から白沢出合まで1時間、そこからここ徳本峠まで2時間20分で合計3時間20分になっている。 霞沢岳に登るには普通、上高地から入山する。(今年から島々からのコースも復旧したので、その後1人上がってきてテントを張っていた。) 徳本峠小屋には5人の関係者が老朽化した小屋の建て替えについて話していた。 この日泊まる登山客は私1人だという。 しかも12時前に着き、小屋の管理人は打ち合わせで忙しそうである。 私はする事もなく、濡れた合羽などを干したりしてぼっーと過ごした。 14時頃、60代の夫婦が峠に登ってきた。 彼らは地図もなかったので、知り合った友人に会うために歩き、 「徳沢」と「徳本峠」を間違えて登ってきたのだった。 「徳」があったので早とちりしたのだ。私もやりそうである。 彼らは、体力がなく山を楽しみたい人向けに私が提唱している方法をはしごで実行しているのでびっくりした。 詳しくはメルマガのmasarusのコーナーに書くが前日木曽駒に登り、今日は上高地、明日は西穂高岳に登るという。 そんなはしごの仕方もある。 夜はマトンの焼き肉パーティーであった。 山小屋関係者が差し入れた3kgのマトンと野菜を一緒にいただいた。しかも、ビール付きで・・・。 シーズンオフに山小屋に宿泊すると食事が良かったりわきあいあいで過ごしたりでき楽しいことが多い。 今回はシーズンオフではなかったがラッキーだった。 肉は20代が3人いたので彼らが大量に食べ、終わらせた。私はもっぱら聞き役に回り、長野や松本の話、建築の話を興味深く聞いていた。 管理人が酒に酔い寝てしまい、また料理を食べ終わるとお開きになった。10時頃床に就いた。 この日の宿泊は私1人だったが、ちなみに翌19日の3連休初日はすでに予約がいっぱいで、申し込みの電話を何回も断っているのが聞こえた。 (次号 「霞沢岳」に続く) |