2008.10.13 MM第234号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus
       
                         

福成山(ふくなりさん 227m)・

    大岩山(おおいわやま 192m)・

       賤機山(しずはたやま 171m)

                   静岡県静岡市
 

      この山の私の印象等は・・・                         

「 弟の弔い山歩き第2弾は 秋分の日に鯨ヶ池〜賤機山 縦走 」

 *下に感想等の文があります。                                         


【歩いた日】     2008年9月23日(火)


【天候】        晴れ


【コース及び時間】

鯨ヶ池北側P14:00発−14:30鯨ヶ池南への分岐14:35−14:38福成山〈227m〉(福成神社)−15:10一つめの鉄塔

(214m地点)15:15−15:30三つ目の鉄塔15:35−16:00賤機山〈171m〉・賤機山城趾(TV局中継所)−16:13

浅間山〈140m〉16:19−16:27浅間神社


            【  合計 2時間6分   】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。

  
縦走スタート地点の鯨ヶ池は静かにたたずんでいた 放置された茶畑がトンネル状になっていた
福成山には「福成神社」があった 茶畑の向こうに日本平や駿河湾が見える
曼珠沙華(彼岸花)が日溜まりに咲いていた 「福田ヶ谷」を過ぎると麻機遊水池が見えてくる
「浅間山」山頂にはすばらしい展望と観音像が待っていた 100段の急な階段を降りるとゴール、静岡浅間神社だ

 【感想 等】

 
10月5日、肝臓ガンで緒方拳が亡くなった。「太閤記」で主役を演じた豊臣秀吉に私は大変感銘を受けた。今でも、秀吉というと当時の緒方拳が浮かんでくる。もちろん、その後も俳優として多くの映画ですばらしい活躍をした。ご冥福をお祈りする。
 1年前にも書いたが、弟が4年前に亡くなった。やはり同じ、肝臓ガンであった。緒方氏より若かったので進行が早く、寝違えたのか背中が痛いと言って検査をし、ガンが見つかり手術を待つ間に進行し、いろいろな治療をしたが手遅れになってしまった。ガンは、ケースバイケースでまだまだ治療法が完全には確立してないのだな、と痛感した。
 実は父親も、私が30歳の時胃ガンで亡くなっている。ガンが遺伝するなら私も十分に気をつけなければいけないところである。父親は地方銀行で営業部長の時ガンになった。日常の様子を見ていて、原因はストレスであると思った。というのは、かなり健康には気をつけていて、食べ物に好き嫌いはなく野菜中心の食事、そして、家で体操したりドクダミ茶を飲んだりし、職場までもよく歩いて行っていた。もちろん、アルコールもほとんど飲まないし太ってもいなかった。
 私がストレスを貯めないように気をつけ健康に留意しているのは、親父がガンにかかった年に近づいてきているせいもある。健康があって初めて幸せになるための基礎・土台がある、と思っている。
 読者の皆さんの中にも一時的に健康を損ねている方やリハリビ中の方もいると思う。それらの方々は、より良い方法を見つけ、今より一歩でも二歩でも良くなることを祈っている。

 そんなわけで、弟が死んでから4回目の秋分の日を迎えた。弟の仏壇と墓参りのついでに、弟がリハリビを兼ねてよく歩いていた賤機山に行こうと思った。
弟の仕事休みが水曜日だったので山歩きの情報交換は時々したものの、一緒に歩いたことは20代での富士登山以外になかった。
 昨年はお盆に弔い山歩きとして「だいらぼう」を歩いた。

 今年は、200号記念で歩いた「鯨ヶ池〜竜爪山真冨士山」によって、山梨県の七面山から真富士まで尾根歩きが繋がっていた。
 そこで今回は、全部の尾根を繋げるように「浅間神社から鯨ヶ池まで」を歩くことにした。
 夏と違って日が短くなりかけているので途中で日没になってしまわないか、少し心配だった。遅くなったら墓参り等が大変になる。それで、時間短縮に車までの戻るのは自転車を使おうと、車に自転車を積んでいった。

 コースの下り口である「浅間神社」に自転車を置き、「鯨ヶ池」に向かった。
14時、鯨ヶ池北側に車を止めて歩き始めた(写真)。
風もなく、池の水面はなめらかだった。写真にはあまり写っていないが、釣りを楽しんでいる人も多かった。
ここは前回「真冨士山」まで縦走した時、車を停めた場所である。縦走を全部繋げるにはこの上の桜峠から歩こうと思った。

 この周辺は第2東名高速の工事が進んでいる。近くにインターチェンジの道路も出来てきている。
前回は工事中で桜峠方向には入ることが出来ず「山脇」の集落から真富士山への縦走に入ったが、今回はこの箇所の工事は終わっていて登ることができた。
 新桜トンネルの左側から上がる道を登っていくと、隣にある桜峠隧道を下に見て農道を上がることができた。
 そして、茶畑の中の道を進み尾根近くに出た。しかし、縦走路を探すが上手く見つからない。

 尾根から西に下ったところにある農道の終点から山道があるのかもしれないと思い、下りてみたがそれらしきものはなかった。
もう一度尾根まで探してなければ、かすかな尾根の踏み跡を歩くかルートを変えるかのどちらかしかない、と考え丁寧に生い茂った草の中を探しながら茶畑との境を登っていく。
「少し前までは工事中でここから入山できなかったので草ぼうぼうの中に登山道が隠れているに違いない。地形図にはちゃんと登山道の点線が出ているのだから。」

 「あった!標識が・・・」
尾根から10mくらい下がったところに黄色の20cm×10cmほどのプラスチックのプレートが杭に付けられていた。プレートには縦走路を示す赤い矢印が付けられている。
その近くをよく見ると草が生えているその奥に、高さ1m、巾50cmほどの暗い空間が続いていた。
探すのに10分ほどかかったが、登山道があって良かった。
ヤブ漕ぎは時間と体力がかなり必要だ。しかも服にびっしりトビツカミが付くことが多い。とげのある草木も多し・・・。ほんとによかった。

 前回の真冨士山縦走の時もそうであったが、里山では十分整備されているコースでないと「登山口」で迷うことが多い。工事や開発で地形図通りではないからである。

 草を掻き分け入っていくと、中は茶畑のトンネルに続いていた(写真)。
前号の「浜石岳・さった峠」ではみかん畑の放置跡のことを書いたが、今回は茶畑の放置跡だ。茶の木は放置するとどんどん伸び2mを越える。その中を歩いた跡がありそれがトンネル状になっているのである。かがんで進んでいく。

 15分ほど進むと、次は竹藪だ。太さ20cmほどの竹林だがその中に錆びた荷物用のケーブルや傾いたプレハブの作業小屋があった。それらが竹藪の中に埋まっている。農業を放置してからかなりの年数が経っていることがわかる。

 14時25分、静岡市教育委員会の立てた立派な標識があった。「鯨ヶ池−浅間神社」と書いてある。道は正しいことが確認された。
このコースは近くの小学校の遠足でよく使われているコースである。しかし、こんなに草ぼうぼうでは小学生にはちょっときついかな、それとも春の遠足時期には草を刈り取るのだろうか・・・。
 そんな考えながら歩いていると、右に下りると「鯨ヶ池」という標識があった。そのコースはかなりよい山道だった。

 その疑問は10分ほど歩いたところにある福成山(227m)の福成神社で解決した(写真)。
山の上に大きな木に囲まれて神社はあった。福成神社は思ったより立派な神社でびっくりした。
そこに看板が立っていた。HPの写真の前の方にその看板が写っているので少し読めると思う。
看板には「お願い 登山者の皆様へ」という題で、第2東名高速道路建設工事中のため平成22年3月末まで通行できない、という内容であった。私が登ってきたところから先が通行止めであった。
 そのため、「鯨ヶ池」までの山歩きならこの手前にある分岐で下りれば目的は達成される。小学生の遠足でもそうしていると思われる。
桜峠までは行けるので、これまで看板を目にしなかったのだ。

 ここからはよく歩かれている道であった。整備されていて歩きやすい。
数分歩くと右方向に安倍川が見えてきた。広い川幅の中に幾重にも細い流れが蛇行していて銀色に光っている。
左手には日本平や駿河湾が見えてくる(写真)。
そして、満開の曼珠沙華も咲いている(写真)。
そうだった、今日は彼岸の中日、秋分の日だった。
彼岸花はその名の通り、彼岸ぴったり咲く。不思議であるが、きっと体内時計を持っているに違いない。
昼と夜の長さがわかってそれが同じ頃に咲くとか・・・。

 しばらく歩くと、さりげなくヤマホトトギスが咲いていた。
うちの庭に咲くホトトギスも花壇の隅っこにさりげなく咲くが、ヤマホトトギスの方がもっと白っぽくもっとさりげない感じだ。
「福田ヶ谷」上近くに来ると、尾根に農道が来ている。
里山で耕作されていてみかんやお茶を作っているので無理もないが、車で来ることができるなんて少しがっかりだ。
しかし、すぐにまた細い山道に戻る。

 左手には麻機遊水池が見えてくる。山の裏側には行ったことがなかったので初めて見る風景である(写真)。
ため池のある風景もなかなかよいものである。
近くにある「こども病院」「流通センター」はこの辺にあることは知っていたが、滅多に行くことはないので知らなかった。

 「松富4丁目」への分岐を過ぎると、1つ目の送電線の鉄塔に着く。
近くには標高214mのピークがある。
ここまで歩き始めてから1時間10分である。

 放置されて高さ2mほどに伸びた茶畑を1.5mほどの巾で刈ってくれてある。鯨ヶ池近くの茶畑と違って歩きやすくてうれしい。
茶の木の白い花が所々に咲いている。10月になるともっといっぱい咲くだろう。

 3分ほどで2つ目の送電線の鉄塔に着く。
 みかんの実も5cmほどになり青々と実っている。
早稲は10月中旬、普通の温州みかんは11月から12月に収穫である。
この日初めてのハイカーに会う。母子とおじいちゃんの3人組で、鯨ヶ池方向に向かっていた。
茶畑の中のわかりにくい箇所で間違えた方向に歩いていたのでコースを教えてあげた。

  15時半、3つ目の送電線の鉄塔に着く。
ここにも舗装された農道が来ている。ここは「池ヶ谷」地区である。
車が1台止まっている。農作業をしているのだろうが、人は見えなかった。
コスモスが植えられた柵の中に、「県営麻機畑そう土地改良区 竣工記念碑」と書かれた立派な石碑が建っていた。

 少し農道を歩き、コンクリートの階段を上る。
しばらく歩いたところのピークは、標高192mの「大岩山」である。
少し行ったところの地下には、国道1号線の静清バイパス「賤機山トンネル」が通っている。
尾根を歩いていて、山から見渡すとバイパスが通っているのが見える。

 尾根歩きは気持ちがいい。
ここまで来ると人が多い。荷物を持っていないところを見ると、近所の人が散歩か体力作りをしているのだろう。
腰を下ろして休むようにベンチも作ってあったりする。

 これまでのコースと違い小さな起伏がある。そこには歩きやすいように丸木を埋め、階段を作ってある。
起伏がないところには、竹で柵があり耕作されている畑もある。

 16時、TV局の中継所に着いた。ここが賤機山(しずはたやま)171mである。
ここには城跡があり、説明の看板があった。南北朝時代(今川氏が築城)から徳川家康が駿府入りまで使われたことが詳しく書いてあった。
 明治時代の初め、浅間神社の裏山、この賤機山にちなんで「賤ヶ丘」とする事となったが、「賤」がいやしいを意味したことから「静」の字を当て、「静岡」となったそうである。私の住む「静岡」由来の山である。

 そこから10分余、変わった大木などを見ながら歩き、観音像のある広場に出た。ここが「浅間山」の山頂である。
散歩の年輩の人が多くてびっくりする。
また、東側の展望がよい。日も西に傾いてきたので余計に家並みが鮮やかである。
県庁の高いビル、駿府城のあった駿府公園の緑、谷津山の山塊、八幡山などもはっきり見える。
浅間神社からここまで何往復もトレーニングしている人もいる。

 ここからは舗装された道があり、今まで以上に整備されている。
少し荒れた花壇脇には彼岸花がたくさん咲いている。

 少し下ると、「国指定史跡 賤機山古墳」がある。詳しい説明板の模型も展示されている。
私は歴史に興味があるので、回り込んで詳しく説明などを見た。

 そして、100段の急な階段を降りるとゴール、浅間神社だ。
16時半近くの神社は静かであった。無事に歩けたことを感謝し、お参りした。

 それから、自転車で30分かかって鯨ヶ池まで戻った。
そして弟の家に行きお線香を上げ、墓参りをした。
静岡市の展望を楽しむ充実した山歩きができた。

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