2008.11.24 MM第239号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus
       
                         

富士山4[11月] (3776m) 静岡・山梨県 [日本百名山]

 

この山の私の印象等は・・・                              

「 麓が紅葉の中、雪が少ないのにびっくりした11月の 富士山 」

 *下に感想等の文があります。                                                


【歩いた日】     2008年11月1日(土)


【天候】        晴れ


【コース及び時間】

富士山五合目富士宮口6:45発−7:00新六合目−7:38新七合目7:44−8:15七合目8:23−8:53八合目9:00

−9:30九合目9:36−10:00九合五勺10:05−10:32頂上浅間大社奥宮10:46−10:53剣ヶ峯〈3776m〉11:06

−11:14頂上浅間大社奥宮11:28−11:40(ピッケルを取りに)12:05−12:08九合五勺12:12−12:23九合目

−12:40八合目12:45−13:03七合目−13:22新七合目13:27−13:31新六合目−14:03五合目富士宮登山口P


           【 登り 3時間25分  下り 2時間04分   合計 5時間29分   】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。


  
富士宮五合目は紅葉真っ最中だった 小さなカラマツのハイマツも黄葉(高さ1m)
登山道の石に外国人の新しい落書きが・・・ザンネン! 頂上浅間大社奥宮の下は雪で少し白かった
ちょうど600回富士山に登頂した人と会う(頂上浅間大社奥宮) 剣ヶ峰3776mは静かであった

 【感想 等】

 
毎日、富士山の様子を見ている。富士山の見え方で朝の気分が違ってくる。

 今年は初冠雪が大変早く、8月9日だった。
そして、富士山は今年の夏は今までの最高の人出だった。
世界遺産登録をめざしての活動が活発に行われたことや日本紹介の旅行書などで富士山が紹介され外国人が増えたためだろう。
前にも書いたように、知り合いを富士山に連れて行くつもりで2回のトレーニングを積んだが、あいにく行けなかった。

 私は富士山を眺めるのも登るのも好きだ。毎年一度は富士山に登りたいと考えている。
夏に行けなかったのでどうしようか、と考えたが11月ならまだ登れるだろうと、アイゼンとピッケルを持って完全装備で出かけていった。

 富士山の山頂をめざすのは、今回で10度目である。
富士山については、今までmasarusのコーナーを含め何回か紹介している。
富士山に関係するHPとしては、昨年の7月山開きの富士山9月の富士山一昨年の10月の富士山宝永山村山古道1村山古道2村山古道3で紹介した。


 富士山五合目富士宮口は標高2400mにある。星がきれいだった。また、ご来光も山の端からであったが、紺色の空の中徐々に真紅に染まりすばらしかった。
いい日になりそうだぞ、と6時45分出発した。
駐車場には10余台止まっていたが、出かけたのを確認したのは数人だった。

 ちょうど、この五合目辺りが紅葉の上限であった(写真1)。
あいにく上部はガスに覆われていて、少し風花が舞ってきていた。今シーズン初めての雪、やはり富士山だ。

 登山口には写真に少し写っているように、日本語、英語、中国語などの言葉で「新6合目から上は通行止め」と、書かれている。新6合目は、宝永山に行く通り道である。そこまでは道路が閉鎖されるまでは通れるのであろう。
寒空の中、快適に登っていく。
少し登ったところにあるトイレは、開山期以外は閉まっている。
新6合目までは行くことが出来るのであるから、せめて道路が閉鎖されるまでは使えるといいのに、と毎回思う。

 10分ぽど歩くと、振り返った方向に愛鷹山の山塊が見えてきた。
あいにく少し霞んでいる。

 駐車場から15分で新6合目の「宝永山荘」に着いた。
ビニルシートで覆い、閉まっているようであった。
そして登山道には前回(10月)と同じ「通行止め」の看板が掛けられていた。
先に歩いている2人組が2組200m、400mほど前を歩いている。

 高度のためか品種なのか矮小化した高さ1mくらいのカラマツが黄葉してきれいだ(写真2)。
10分ほどで下にいた2人組に追いついた。
彼らはアイゼンピッケルを持ち、両手にストックという完全装備だ。
前にも書いたが私はストックを使わないので、ほぼ彼らと同じ装備だろう。
20年ほど前のオールシーズンの皮の登山靴にウールの冬用ズボンを穿いてきた。
股引類は穿いていない。ザックの中には厳冬期用のオーバーズボンが入っている。

 すれ違いざまに彼らと少し話す。
2人の内の1人はなんと今日で282回目の富士登山だという。
1年に1回は登りたいという私との差に唖然とする。
その情熱はどこから来るのか・・・・。

 7時半過ぎ、新七合目小屋に着いた。
シーズンオフの小屋は閉まっているだけでなく小屋の名前や看板もないところがある。
下山中、この辺で観光客に何合目か聞かれた。
小屋の名前を書いてあるところから数えないとわからなかったりする。

 静かだ。
私は静かな山が好きなので、込み合う時期や込み合う時間を避けてしまう。
静かな山で風の音や鳥たちの鳴き声などを聞くのが好きだ。
風も弱く、今日はほんとに静かであまり音が聞こえない。

 登山道脇に少し雪が残っている。
最近の低気圧通過で降ったものだろう。

 8時過ぎ、七合目小屋に着いた。
ガスが流されてきた。ガスは薄いが視界は50mほどだ。
山頂付近はもっとたくさんのガスがかかっている。山頂に着いたときこのガスが取れていることを祈る。

 富士山は日本国民の山になっていて登山者も多いので、約30分おきに小屋がある。
休むのにちょうどいい。
逆に他の山のようにどこでも休めるわけではない。
特に、登山者が集中する夏は登山道で休んでいると他の登山者が通れないくらいだ。

 うれしいことに山頂付近のガスが少し薄くなってきた。
少し歩くと、登山道の真ん中に、昨年はなかった落書きを見つけた(写真3)。
「BONG・MARIE  was HERE  AUG15 2005」とある。
前からあったのかもしれないが、海外の世界遺産に落書きした日本人のことで大きなニュースになったばかりだ。全くいただけない。
8月15日と言えば、日中はもちろんのこと、夜間も多くの登山者があったろうにこうして平気で落書きをする人がいる。これは外国人であろうか、残念である。

 ここまで来ると山道の脇に張ってあるロープにも雪が付いている。
下には雪はあまりないので水分を含んだ冷気(ガス)が通過したのだろう。

 八合目が近づくと、登山道にかなり雪が付いてる。
積もったものでもなければ、前から付いていたものでもない。
昨夜付いたばかりといった感じで白くなっている。

 今回は少し睡眠不足もあり、少し頭痛がする。
ペースはそれほど遅いわけではないが、どうも調子が出ない。
久しぶりに履いたオールシーズンの靴が重く、歩くリズムが狂っているのかもしれない。
(ちなみにその靴の重さは2.6kgである。主に履いている靴は1.6kgである。)

 そのせいかどうかはわからないが、今回は周りに目がいく。
登山道脇でボール状の「火山弾」をいくつか見つけた。

 8時過ぎ、 「これより奥宮境内地」と書かれた看板のある八合目に着いた。
半年ほど前、朝日新聞に「富士山頂住所はどこ?」という記事が出ていた。
お手元に地図があるなら富士山頂付近を見てほしい。
静岡県と山梨県の県境が抜けている。県境が決まっていないのである。
そのためかどうかはわからないが、徳川家康が富士山頂を富士山本宮浅間大社に寄進したのを最高裁が認め、八合目以上の所有権は大社にあるそうであるが今でも登記できないでいるそうだ。

 登らせていただく私たちはどちらでもいい。
楽しく登らせていただくのが一番だ。
日光の男体山(日本百名山)は、ご神体への登山ということで、登るには参拝料500円が必要であった。
出羽三山の月山(日本百名山)は山頂に要塞のような大きな神社が構え、やはり参拝料500円がいる。そして、ピークがどこであるのか戸惑う。探すと、北側100mくらいの所に忘れ去られたようにぽつんとある。
オーバーユースを抑えたり、必要経費を負担するのはやむを得ないが、国民の財産である自然を誰もが楽しめる形に保ってほしい、と切に願う。

 八合目小屋の少し上には、木でできた鳥居が構えている。
そこからが神域である。
割れ目に5円玉が挟まっている門のように立てられた2本の柱には5cmほどのエビのしっぽが伸びている。
今まで以上に岩肌に雪が付いている(写真4)。
足取りも重く、1歩1歩ゆっくり登っていく。

 9時半、九合目小屋「萬年雪山荘」に着いた。
石に大きく書いてくれてあるのでありがたい。標高は3460mだ。残り300mである。
ガスはすべて退き、快晴になった。ほんとにラッキーである。

 時々、静寂の中を「ゴー」という音がする。
初めは自衛隊の演習かと思ったが、それがジェット機の音であることがわかった。
富士山を目印にして成田空港を発着しているのだろうか。
快晴の中、機体もはっきり見える。また便数も多くひっきりなしだ。

 10時、九合五勺小屋に着いた。
あとは最後の登りが待っているだけだ。
足取りはますます重いが、ゆっくり登っていく。
信じられないことに雪はほとんどない。
前回の10月15日の厳冬期の富士山とは打って変わって、晩秋の富士山頂といった感じである。
温暖化のせいか、日によって違うと言うことか、あまりの違いに驚く。

 10時半過ぎ、頂上浅間大社奥宮に着いた(写真5)。
10月の写真と比べてほしい。
10月は雪に覆われ真っ白であるが、今回は全く雪がない。
オーバーズボンも目出冒も、いやアイゼンもピッケルも必要なかった。
少し冷たい風はあるものの神社の陰にいれば気にならない。

 奥宮で休んでいると、数人登ってきた。
なんと毎日登っている人、毎週登っている人、等で常連だと言う。
しかも写真のように登頂600回をお祝いして垂れ幕を付け、常連で記念撮影をするという。
今日はその記念の日なのである。

 途中であった282回の人に驚いたが、600回の人に会うとは・・・。
実は彼のことは地元に新聞記事で少し知っていた。
9月中旬の記事で533回登頂し登頂回数日本一になったというものであった。
一日二登頂も多くあるという。
9月中旬から50回以上登ったのだ。
集まった人は普通に見える人達であるが、富士山にかける情熱が並大抵のものではないのだ。
聞いてみると強風で飛ばされたり骨を折ったり滑落したりといった経験もあるようだ。
それでも登りたいのが富士山なのだろう。

 まずは、山頂に登っておきたいと、彼らと別れ1人山頂、剣ヶ峰に向かう。
せっかく持ってきた出目帽をかぶり出発する。
風はやや強いが飛ばされるほどではない。
右手の火口を見ながら歩いていく。
最後の登りの鉄の手すりにはエビのしっぽが7cmほど伸びていた。
山頂では風を除けながら1人休んでいたが、静かであった(写真6)。

 すべてが真っ青い空の中にたたずんでいた。
眼下には奥宮をはじめ火口を囲む富士山外輪山が少しだけ雪を付けたたずんでいた。
今回は10月のように気温が低くないので、デジタルカメラでも十分作動する。
前回取れなかった分もたくさん撮影した。

 昼食は山頂で取ろうかと思ったが、広々とした頂上浅間大社奥宮でべることにした。
下っていくと彼らはまだ話していた。
もう1人登ってくる人があるようでそのことを話していた。
私が山頂にいる人の特徴を話すと、もう1人というのはどうもその人のことであった。

 食事をしながら彼らとまた話す。
話は尽きないが、きりをつけ11時半頃、下山を開始した。

 10分余下り、あと少しで九合五勺小屋というところで奥宮前にピッケルを忘れてきたことに気づいた。
全くドジの自分にがっくりする。
ピッケル忘れは2度目だ。
鳳凰三山(日本百名山)で雪の中に転んだとき置き忘れている。その時は運良く拾ってくれた人が郵送してくれた。

 取りに戻ることにした。
疲れている体にむち打って一番急な坂を上り返す。
空身なので何とか歩くことができる。

 15分ほど登り、あと少しで奥宮というところでザックに私のピッケルをくくりつけて下りてくる人があった。
あの282回目という彼であった。
お礼を言い、彼と話しながら下っていく。
かつては月に何回、毎月1回連続等決めて富士山に登っていたという。
そうでなければ回数が300回近くはいかない。

 12時過ぎ、ザックの所に戻った。
20分余時間がかかったがよい話を聞けて良かった。

 下りは宝永山周辺の草の紅葉や稜線の変化を楽しみに下っていく。
逆光に光る清水の三保の細長い砂州も見えてくる。

 途中、石に躓き親指の爪を痛める。
案の定、下山後爪を見ると内出血して紫色に染まっていた。
1年に1・2度やってしまう。
特にオールシーズンのこの皮靴が良くない。力一杯ひもを締めても完全に固定できないからである。
着色爪が取れるには半年かかるが、痛みは3日ほどで引く。
大したことはない。

 14時過ぎ、富士宮登山口に着いた。
正味で登り3時間半、下り2時間。頭痛があったが、ほぼいつものペースであった。

 登山口周辺が紅葉ということもあり、新六合目辺りから多くの観光客で賑わっていた。
駐車場も上の部分は満車であった。


 今月11月13日は今年春以降、一番のくっきりとしたすばらしい富士山が見えた。
それは、地元新聞でも夕刊一面で紹介していたくらいきれいだった。
空気が澄んだこれからはきれいな富士山が見える日が多くなる。

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