2008.12.13 MM第241号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus
       
                         

高ドッキョ (たかどっきょ 1134m)  静岡県静岡市・山梨県南部町  

[静岡百山 ・ 山梨百名山]
                  
 

この山の私の印象等は・・・                              

「 大学時代から気になっていた山にようやく登れた静かな山を楽しんだ 高ドッキョ 」

 *下に感想等の文があります。                                                


【歩いた日】     2008年10月18日(土)


【天候】        晴れ


【コース及び時間】

静岡市湯沢9:51発−10:08登山口−(直登)−10:30登山道10:35−10:53湯沢峠10:58−11:30富士山展望所

11:37−12:14清水港方面展望所−12:18東峰(分岐)−12:21高ドッキョ〈1134m〉12:33−12:34東峰(分岐)−

12:55清水方面展望所−13:31樽峠13:35−13:46樽ヒュッテ分岐−14:02樽峠登山口


        【 登り(板井沢から) 2時間13分  下り(樽峠登山口へ) 1時間25分   合計 3時間38分  】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。


  
湯沢の集落では「蕎麦」を栽培している農家もあった(写真1) 間引きされ倒れた杉の木をまたいで直登する(写真2)
湯沢峠からの登りにある「富士山展望所」から(写真3) 山頂には少し名前が違う2つの標識が(写真4)
山頂付近の山道脇にはたくさんのリンドウが咲いていた(写真5) 黄色く色づいた葉が陽に照らされていた(写真6)

 【感想 等】

 「高ドッキョ」
不思議な名前である。聞いただけでは山の名前とは思えない。
若いときに買った本「静岡県 駅からの日帰りハイク新撰100コース(静岡新聞社)」等にも出ていて記憶の片隅にいつもあった山である。

 今回、清水方面に行く機会があったので改めて、資料を見ると『山梨百名山』と『静岡の百山』では「高ドッキョウ」となっている。
『静岡県 駅からの日帰りハイク新撰100コース(静岡新聞社)』などのかなり前の本では「高ドッキョー」、そして最近の静岡県内のものは「高ドッキョ」である。
 私はあまり名前にこだわらないのでどれでもいいが、山頂の表示は2種類あったのには少々びっくりした。
静岡県版(県内の山にはこの黒い表示がよくある)では「高ドッキョ」、すぐ横に山梨百名山の表示があり「高ドッキョウ」である(写真4)。
静岡県人なので、今回の山のタイトルは「高ドッキョ」とした(正確にはどれが正しいか、私には分からない。HPには3つの名前で書かれている)。

 もっとも、埼玉県にある二百名山「和名倉山(2036m)」は、「白石山」という全く異なる別名を持っている。
山は裾野が広く、生活地からその山を見上げその土地土地でいろいろの名で呼んでいただろう。
それを、誰かが統一し1つの名前になった。しかし、統一しきれなかったところは2つの表示があったりする。
 地方では今でも地図の表示とは違った呼び方で呼んでいる場合も多いだろう。

 あの有名なシェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」も、かつては「ロミオ」ではなく「ロメオ」と表示されていたりする。外国語を日本語に取り入れるときは表示が変わることも多い。
 私がかつて少し暮らした台湾の首都「台北」は、アナウンサーがいうのを聞いていても(タイホク)と言ったり(タイペイ)と言ったりする。漢字を日本語読みすれば「タイホク」であるが、現地の発音に近い表示は「タイペイ」である。

 魚の名前はもっと生活と結びついていて、地方によって呼び名が違うのは多くの人が知っている。例えば、ブリの呼び名は地方で違うばかりか、その大きさによっても4つの呼び方があったりする。
少し横道にそれた。

 「高ドッキョ」とはどんな意味だろうか。前々から疑問であった。
「ドッキョ、ドッキョウ」とは「読経」の意味で、高いところからお経を唱える声が聞こえた、 ということから「高ドッキョウ」というようになったという説や、 峠がなまってドッキョウと言うようになった説などあるそうだ。清水区少年自然の家記には、「昔、この山の山頂の平らなところに修行僧が集まり、高らかに読経を唱えていた声が大平部落まで聞こえたという。高いところから聞こえてくる・・・がなまって高ドッキョウと呼ぶようになったと言い伝えられている」とあるそうだ(静岡県登山・ハイキングコース143選、静岡県山岳連盟編集より)。

 「高ドッキョ」はいくつかの登り口がある。西にある安倍川から登り青笹から来る方法もあるし、徳間峠から来る方法もある。もちろん、山梨百名山でもあるので山梨県南部町の石合や南又から登ることもできる。
 私は時間の都合もあり、国道1号線を清水から国道52号線に入り、但沼から入った中河内にある湯沢から登り樽に下りるコースを選んだ。2つの集落は例によって自転車で移動することにした。(樽峠への道は25000分の1の地形図にも登山道が出ているが、湯沢からの道は載っていない。私が参考にした本はかなり昔の本でコースが荒廃していないか、少し心配ではあった。)

 10時半過ぎ、中河内に着き、樽峠登山口に自転車を置いてきた。そして、中河内から湯沢に向かった。道路は工事中でショベルカーが作業する合間に私の車は通過した。少し行くと、作業人の車を止めてあった空き地があったのでそこに車を止め歩くことにした。下山後、自転車を押しながら登っていくのは少し大変なのである。

 11時少し前、出発した。
湯沢川に沿って舗装道を歩いていく。両側は茶畑が広がり、所々に民家もある。
柿の葉っぱが赤茶色づいていたり、青いイチジクが鳥に食べられないようにオレンジ色のトラの空気を入れたビニル人形があったりと、この地域の自然と人間の関わりを楽しみながら進んで行った。
そばの花も咲いていた(写真1)。

 私は蕎麦が大好きで、JRの駅でお腹がすくと立ち食いでよく天ぷら蕎麦を食べたものだ。
最近はJRはほとんど乗らないので立ち食い蕎麦を食べる回数は減ったが時々食べたくなる。
そんな時は、静岡ならではの「桜エビのかき揚げ天ぷら蕎麦」を食べたりする。

 20分近く歩くと、小さな沢沿いに「湯沢峠、出羽」という小さな矢印があった。
アルペンガイド13「 駿遠・伊豆の山(山と渓谷社、2000年発売)」では、出羽方面に尾根道を登っていく感じの道が書かれていた。
(信じて登って行こう!)と、沢岸の細いコンクリートの上を歩いていった。

 ワサビ田の跡があり、植林された杉林の手前で歩くことができなくなった。
沢も終わり、山道は全くないからである。
もしかすると入口の民家の脇に尾根に出る道があったかもしれないとも思ったが、杉林の中を見ると杉の木の所々に赤いタフロープが巻いてあるのが見えた。
林業従事者の付けたものかもしれないが登った形跡あり、ということでそのまま進むことにした。

 初めはまあまあ普通に登れたが、かなりの急な登りである。
間引きされ倒れた杉の木をまたいで登って行く(写真2)。

 20分余かかったが、ようやく登山道に合流した。
その登山道がどこの部分なのか分からなかった。
高ドッキョへの分岐、湯沢峠を過ぎて「出羽」に向かっている道なのか、まだその手前なのか・・・。

 歩いた時間と自分の感覚からもう湯沢峠を過ぎた登山道だと思って、登山道を右に進んだが引き返した。
思ったより時間はかかったが、それほどは進んでないと思い直したからだ。

 20分ほど進むと、湯沢峠に着いた。
やはり、それが正しかった。登り切ったところには湯沢峠には峠や「湯沢」を示す手作りの標識があった。
有名でない山を歩くときの合っているかどうか、という不安な気持ちがさっと消える喜びはあるが、心臓には良くない場合もある。

 実はこの手前で、どちらへ進んだらよいのかちょっと迷った箇所があった。
踏み跡の多い方に歩いたら峠に出たので良かったが、・・・。

 私が歩いてから20日後、11月10日にこの「高ドッキョ」で遭難しそうな事故があった。
74歳の男性で但沼までバスで来たが乗り継ぎがなく歩いて樽峠に入り、高ドッキョを越えた辺りで日没。家族に携帯で連絡し17時半、救助を依頼。その際ポイント番号25にいる、と連絡があったが、消防でもポイント番号がどこを指すのか分からなかったそうであるが、関係者に問い合わせ調べたところ、「高野槇分岐」であることが分かり、徳間峠登山口を21:00に出発し現場着は22:05。途中から背負って下り、午前2時林道着。救急車で病院に運ばれた。
 助かって良かったが、前号で書いた「観音山周辺」にも少年自然の家で設置したこのポイント番号があり小学生の読図や位置確認に利用されている。また、一般の山でも取り入れられていて、遭難等の時その番号を連絡するように書いてあるのも見かけることが多くなった。最近登った山では、大阪の「金剛山」にあった(近い内にHPにアップする予定である)。
 今回の「高ドッキョ」ではポイント番号が自然の家だけの物で消防や一般の人達のものになっていなかった、というのが残念ではあった。もし、消防が知っていれば、かなり早く助けることができ、病院に運ばなくても済んだであろう。

 ただ、この男性にも大いに問題がある。
下調べが十分でなかったので、登山口までバスで行くことが出来ず、車道をかなり歩くことになった。そのため、日没の早い秋ということもあり途中で暗くなってしまった。また、この男性は普通の皮靴で薄いジャンパーという服装で、雨具やヘッドライトは持っていなかった。また、自分の体力とコースタイムを知っていれば日没になることもなかったであろう。
 こんな事にならないように私たちも気を付けたいものである。

 11時少し前、地蔵のある湯沢峠を出発し山頂に向かった。
日なたでは結構クマササが伸びていて歩くのに苦労した。そのクマササは杉林の中にも少し進入していた。
所々に「清水市少年自然の家」と書かれた先端が赤く全体が白い杭がある。この杭があると子ども達は安心して歩けるであろう。
但し、静岡市と合併してから5年も経っているのにまだ清水市のままとは・・・。

 湯沢峠から30分ほど登ったところに、「富士山展望所」という小さな標識がある場所があった。
そこからは、運良く、写真のような富士山が見えた(写真3)。

 このような「展望所」がコース上に3カ所あった。それが書かれた小さな木の札から、きっと、自然の家で付けた名前だと思うが、一息つくのにはありがたい。

 植林された杉林の中を進む。
30分余登ったところに「清水港展望所」があった。かなり高度を稼ぎ、山頂に近い高度になってきている。
少し歩くと、「東峰」であった。このピークは全く展望のない木々の中にあった。
ここは、樽峠への分岐にもなっている。地図からの山頂は近いのでそのまま進む。

 12時半近く、標高1134mの高ドッキョ山頂に着いた(写真4)。
山頂の木は切り払われ青空が見えているが、周りは全部木に覆われ展望はない。
写真のように中心には2つの標柱が立っている(前述のように書かれている字は少し違う)。
1つは静岡県の山に多い、黒い丸い木の字を書いた物で、もう1つは山梨百名山の立派な物である。
山頂で前者を見ると静岡を代表する山に登ったという実感が湧き(例えば、NO233浜石岳)、後者を見れば海のない山梨県が山にお金をかけ力を入れているのを感じる(例えば、NO148富士見山)。

 山頂でたくさん転がっている丸太の1つをいすに昼食後、下山を開始した。
東峰からは樽峠に向かう。
山頂付近の日溜まりには咲き始めたばかりのリンドウがたくさん咲いていた(写真5)。
すぐに寒くなり雪が降る、短い夏しかない3000m近い高山ではリンドウは夏に咲くので私の感覚としては夏の花であるが、本来は秋を代表する花である。若いとき、高山歩きでよく見かけていたので、どうもそう思ってしまう。

  何の木か忘れたが真っ赤に熟した小さな実やもう紅葉を過ぎ落ちた葉もあった。
ほかにも、ちょうど黄色く色づいた葉が陽に照らされていた(写真6)。
それらが、山歩きを楽しませてくれた。

 山頂から20分余で清水方面展望所に着いた。
南側が開けているが遠くは霞んで見えなかった。

 ロープの付いた急坂を下りなだらかになる。
アザミがたくさん咲いている。
前にも書いたが、なだらかな山歩きは気持ちがいい。
樽峠に近いなだらかな所は山梨県有林のようである。
「ここは山梨県有林です。FSCの森林管理認証を取得し、環境に配慮しながら管理経営しています。」という看板が木に取り付けられていた。

 13時半過ぎ、樽峠に着いた。ここから山梨県南部町石合にも行くことできる。
峠には壊れかけた木の道しるべがあった。
そこで少し休んでから下った。

 峠から10分ほど行くと「樽ヒュッテ」という矢印があった(その手前には水場があり、おいしくいただいた)。
山道のすぐ上にヒュッテはありそうあったが、山道からは見えなかった。
立ち寄ろうか迷ったが、やめにした。

 最近イノシシの掘った跡がある山道を見たり手入れが不十分のワサビ田を見たりしながら下っていった。
樽峠から15分ほどで樽峠登山口に着いた。
入口の茶畑では老夫婦が形を整えるために茶の木を刈っていた。

 前述したように樽峠登山口からは朝置いた自転車で坂道を下り10分で車に戻ることができた。
約3時間半の静かな山歩きをすることができた。

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