2009.01.11 MM第245号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus

       
                         

高草山2 (たかくさやま 501m)   静岡県焼津市・藤枝市岡部

 [静岡の百山]

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この山の私の印象等は・・・                              

『 元日、「今年もよい年に」とご来光に祈った 焼津アルプスの主峰・高草山 』

 *下に感想等の文があります。                                                


【歩いた日】     2009年1月1日(木)


【天候】        快晴


【コース及び時間】

高草山中腹「笛吹段公園」P6:35−6:53高草山〈501m〉7:10−7:30高草山中腹「笛吹段公園」P


       【  登り 18分   下り  20分    合計 38分   】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。


  
なんとかご来光に間に合った(写真1) 太陽は駿河湾の向こうの伊豆半島上から出る(写真2)
太陽が昇るとほとんどの人がすぐに下山(写真3) 高草権現に初詣(写真4)
快晴の中富士山もくっきりと(写真5) 昨年11月に大井川町と合併した新焼津市を見下ろす(写真6)

 【感想 等】

 かつては、1月1日に焼津市東部コミュニティー主催で焼津アルプス主峰・高草山の山頂で「初日の出を拝む会」などというものがあった。山頂ではお雑煮や竹筒に入れて温めた「かっぽ酒」が無料で振るまわれたものだ。
 役員になると大変で、大晦日も準備をし元日も5時に起きて山頂に運んで準備しなくてはならない。
また、参加する人達も暗い山道を家から近いそれぞれのコースを歩いて登ってこなくてはならない。
そのため、「初日の出を拝む会」は場所を海岸に変更した。
 その後、大晦日・元日はゆっくりしたいという意見が強く、海岸の方も中止になってしまった。私などがボランティアを募って継続してやろう、と声をかけたのだが中止を覆すのは無理だった。

 そんなこともあり、今では多くの人が海岸で初日の出を見たり拝んだりしている。
スポーツ少年団や実年会など数グループが酒や雑煮・つまみなどを持ち込んでたき火を囲んでいる様子も恒例になった。

 その、一昨年の正月の海岸からの初日の出は、前にHPで紹介した。
また、焼津アルプスはこれまでに何回も紹介している(焼津アルプス高草山花沢山満観峰)。

 私は毎年、元日に初日の出を拝むのを習慣にしている。
今年は久しぶりに、焼津アルプス主峰から初日の出を拝んでみたくなった。
大晦日、紅白を見て、行く年来る年の生中継を見てから寝た。

 朝は少し寝坊し、6時過ぎに家を出た。
今回は麓から歩くのは時間的に無理なので、中腹の「笛吹段」まで車で行くことにした。

 車で登っていくと、もう下ってくる中学生達がいてびっくりした。
何をした帰りなのか、それとも歩くのが目的なのか、途中で諦めたのか・・・。

 赤く染まっていた東の空も少しずつピンクから薄灰色っぽい色になってきた。
焼津市の夜景もだんだん色が薄くなってきた。

 笛吹段公園の駐車場には車数台が止まっていた。
自転車も途中途中に10数台が止めてあった。
自転車をそこに置いて歩いて登っているのだろう。

 笛吹段公園には20人くらいがいて、日の出を待っていた。
時刻を見たら6時半を過ぎていた。
静岡県地方の日の出時刻は6時54分だ。
「日の出は近い、急がないと」、山頂への急坂の山道を早足で登って行った。

 すぐに、古墳遺跡に着き、道沿いにある消毒水用の水溜の氷をちらっと見てひたすら登った。
途中、3グループを追い抜いた。
こんなに急だったかなぁ、こんなに大変だったかなぁ、なんて思いながら登った。

 石脇口からのコースに合流した。
ここからはなだらかになり、あと少しで山頂だ。
少し汗ばんできた。

 日の出1分前に山頂に着いた。元日からラッキーだった。
間に合わなかったら中腹からでも見えるか少し心配だった。

 山頂には100人ほどの老若男女がご来光を待っていた。
車では山頂に登ることのできない、山の上ということもあり、たき火をしたり宴会をしたりする人はなかった。

 駿河湾の向こうにある伊豆半島の山々の上から日が昇るのであるが、地平線近くには少しだけ雲があった。
7時2分、太陽が顔を出した(写真1)。
「今年も自分にとって、家族にとって、皆さんにとってよい年になりますように・・・」と、お祈りした。
今年のご来光は雲が少なく、なかなか良かった(写真2)。

 3分後、太陽がまん丸く完全に出ると、年輩の方が音頭をとり、万歳三唱が始まった。
狭い山頂に100人がまとまってご来光を見ているので、心はすぐに1つになった。
心が1つになることの気持ちよさを元日から味わえてよかった。

 その1分後には、みんが下山していくのにはびっくりした(写真3)。
その素早さ。
早くからご来光を待っていた人達にとっては長い時間寒かったことと思う。
そして、もう山頂には用はないのだろう。いや、これから別の用があるのだろう。

 もちろん、ここからは富士山が展望できる。
まだ、富士の雪は少しピンクに染まっていた。
「初富士」もなかなかいい。
昔から初夢に見るのがいいとされる「一富士、二鷹、三なすび」。
本物の方がもっといいだろう、と勝手に決めている。

 一昨年の「海岸からのご来光」のHPにも、初富士を載せてある。
毎日のように通勤途中で、そして職場でと富士山を眺めているが、初富士は格別。

 私はまだ山頂に着いてから10分ほどしか経っていなく、まだ汗が噴き出していた。
寒さ対策で持ってきた二重ウールの手袋もオーバーズボンも羽毛服も全く必要ない。
また、ぎりぎり着いたのでカメラの三脚も使うことができなかった。

 山頂に残ったのは数人だけだった。
山頂の高草権現に初詣をした(写真4)。
そして、少し付近を散策した。

 眼下の焼津港も静かにたたずんでいた。
また、山頂のベンチ群も座る人もなく今年初めての朝日を浴びていた。

 私も下ることにした。

少し下りたところに、満観峰への分岐がある。
そこには少し前に木を切り、富士山の展望ができるようにしてある。
そこからもう一度、富士山の写真を撮った(写真5)。

 樹林に囲まれた山頂等は、そのまま自然な木々を大事にするのか、展望ができるように木を切るのがいいのか意見が分かれるところだろう。
これまでにも、せっかくピークに着いたのに全く展望がなく少し残念に思ったこともある。
また、大峯奥駈道では、100kmもある長いコース上で展望がきくのは送電線を立てるために木を伐採したところであった(コース南部)。

 石脇コース分岐のベンチでは、老夫婦がおむすびを食べていた。
正月の朝からおむすび・・・と思ったが、2カ月前、11月1日に大井川町と合併した新焼津市を見ながら元日の朝食も悪くないな、と思った。その新焼津市の写真を載せてある(写真6)。

 そこの日溜まりには菜の花が咲いていた。
少し下ると、お茶の花がまだ咲いているのが目に留まった。
秋の残り、気の早い春、そして水溜に張った薄い氷・・・、いろんな季節のものが混ざっていて面白かった。

 同じコースをすたこら歩いたが下りに20分かかった。
下りながら、「なかなか急なのぼりだったんだなぁ」、と改めて思った。
登りにかかった時間が18分間というのは、かなり急いで登った、ということがわかった。

 元日から良い汗をかくことができて良かった。

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