2009.01.25 MM第247号
*下に感想等の文があります。
【歩いた日】 2008年11月30日(日) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 大阪府千早赤坂村「金剛登山口」バス停7:43発−7:45登山道−8:14中間地点8:19−8:46金剛山転法輪寺8:52− 8:54葛木神社(葛木岳山頂)〈1125m〉9:11−9:20[一の鳥居]−9:22高天分岐−10:05高天滝10:12−10:17 高天彦神社10:21−11:00奈良県御所市「かもきみの湯」バス停 【 登り(千早赤坂村から) 50分 下り(御所市へ) 1時間38分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 【温泉】 かもきみの湯(500円) 奈良県御所市 |
登山道は紅葉も終わり、落ち葉がいっぱいだ(写真1) 【中間地点】 間伐材を歩道整備に活用(写真2) 転法輪寺の「金剛錬成会員1000回以上登拝者名」(写真3) 山頂近くの転法輪寺は静かであった(写真4) 葛木神社が金剛山の山頂である(写真5) 「かもきみの湯」は駐車場も広く立派だった(写真6)
【感想 等】 前回のメルマガのmasarusのコーナーで都会の交通の便の良さを書いた。 都会に行ったときには大いにそれを利用したいと思っている。 関西に行ったので、奈良県御所市にある「金剛山(日本二百名山)」に行くことにした。 調べてみると大阪からのアプローチが大変良いのである。 南海電鉄で河内長野まで行き、南海電鉄バスで金剛山登山口で降りればいいのだ。 自然が少ない都会では、アプローチをよくすれば採算が取れると言うことだろう。都会にとっては貴重な山である。 6時半過ぎにホテルを出て南海電鉄で河内長野に着いたのは7時13分だった。 予定より早く出発したので1本前の電車に乗ることができた。 バスは電車到着から2分後、7時15分があった。 それで走ったら、ぎりぎり飛び乗ることができた。 バスはまさに出ようとドアが動きかけていたのだ。 朝早い7時15分のバスだというのに満席で座れなかった。 年輩の方々がリュックを背負って乗っている。山の会の方たちが多いらしく、いろいろな話に盛り上がっていた。 バスは7時41分、金剛山登山口に着いた。降りたのは数人であった。 多くの人達はこの先まで行って「金剛山ロープウェイ」で登ってから歩くようだ。 私は靴のひもを縛り直し、すぐに出発した。 バス道路から少し入ると駐車場やトイレがあった。 10台ほどの車が止めてあり、10数人が出発の用意をしていた。 杉林の中の林道を歩いていくと、道路脇にきれいなエプロンをし花が飾られたお地蔵さんが置かれている。 その感じからよく拝まれていることがわかる。 考えてみれば、「金剛山」の金剛は仏教に関係がある言葉だ。 信仰が厚いそんなものがあっても不思議はない。 そんな小さなお地蔵さんが所々にあった。 すぐに水場があった。 まだ歩き始めたばかりなので、少し味だけみて歩き続けた。 まずまずのおいしさだった。 このような水場の水はどうしておいしいのか、いつも思う。 ミネラルが多いのか、殺菌のための塩素が入っていないからか、 思い込みやまわりの風景なのか・・・。 千早城趾の看板を過ぎると、山道になった。 巾は一間ほどあり、丸木を横にわたし階段状にしてある。 傾斜もそれほどなく歩きやすい。 まだ、8時だというのに下ってくる人が多く、びっくりした。 山頂までコースタイムで2時間余、登って下って来るにはその1.5倍はかかるはずである。 不思議に思いながら順調にすたこらと、歩いていく。 登る人は数人追い抜いただけであった。 30分近く歩くと、勾配が少し急になった。 ピッチがやや速すぎたので少し疲れが出て、汗が噴き出す。 あたりは紅葉も終わり、落ち葉がいっぱいだ(写真1)。 さくさく音を立てながらリズムカルに登って行く。 枯れ葉を踏む音が歩くリズムを作ってくれる。 急坂を登ったところに、「中間地点」の表示があった。 中間というのは「道のり」の中間なのか、「コースタイム(所要時間)」の中間なのか・・・。 時間なら、まだ30分しか歩いていないので、山頂には約1時間で着くことになる。 本に出ていたコースタイムがオーバーなのか、それとも私の体調がいいのか・・・。 そこには間伐材らしい丸太が皮をむいて切りそろえられて置いてあった(写真2)。 どうも歩道の整備に活用しているようである。 里山を歩いていて、間伐材や倒木がよく放置してあるのを見かける。 もし、このように使えれば一石二鳥である。 形がそろった物が、ある程度の量がそろわなければできないことだが。 数分歩くと、葉を落とした木々の間から山の尾根が見えてきた。 感じからして、先ほどの「中間地点」は所要時間の中間のようだ。 20分ほど歩くと、また急な道になり、 先ほどの間伐材が足元や手すりにふんだんに使われている。 両側には大きな杉の木が生えている。 山頂が近い感じだ。 金剛山転法寺に着いた。 休憩を入れて約1時間だ。 これなら、荷物を持たない人達が登頂し8時前に下山することも可能である。 なぜそんな人達がいるのか、寺の入り口にあるそのために作られた壁を見てわかった。 彼らは登頂回数を競っているのだ。 そこには「金剛錬成会員50回以上登拝者名」と書かれ名前の札が掲示されていた。 しかも壁の大きさもすごいが、会員の人数も多そうだ。 励まし合ったり競い合って「登拝する」。 隣に目をやると「金剛錬成会員100回以上登拝者名」とある。 そして、その奥には「金剛錬成会員1000回以上登拝者名」がある(写真3)。 上の方には5000回以上の名前も出ている。 信仰と健康で心身共に幸せになる、まさに一石二鳥だ。 紅葉が終わった山に、早朝から早歩きで通り過ぎていった人達のことが少しわかった。 その写真には大きなデジタル温度計が写っている。 気温は0度。 そんな掲示板を眺めていたら少し寒くなってきた。 気温が0度しかないなんて寒くなって初めてわかった。 手袋をはめ、寺の境内に進んでいった。 8時半過ぎのこの時間に境内にいる人は数人である。 朝早く登るか、これからゆっくり登るのか二分されているのかもしれない。 静かな境内では、ちょうど関係者が本堂の扉をあけていた。 休みながら地図を見ると、金剛山の山頂はこの先の葛木神社のすぐ北側であった。 歩いていくと2分ほどで葛木神社に着いた。 神社は人の気配もなく、静かにたたずんでいた。 そこには「金剛山頂 2008年11月30日」と書かれた記念のプレートまで用意されていた(写真5)。 その親切さには驚いた。 もう少し時間が経つとロープウェイで大勢のハイカーがやってくるのかもしれない。 少ない参拝者や登山者のために毎日、日にちまで変えて表示板を用意するとは思えない。 こんなプレートがあるのは多くは観光地である。 きっと、山頂を探したり訪ねたりする人が大勢いるのだろう。 神社より1〜2m高いであろう本当の山頂は神社境内にあり入ることができない。 神社の説明板によると、最初に造られたのは2000年前の崇神天皇の時代だという、由緒ある神社である。 お参りして「一の鳥居」に向かった。 この辺が意外とわかりにくく、地図とにらめっこをしながら歩いた。 1つ道を間違えるだけで全く違った所に下りてしまうからである。 付近には大きな杉の木が多かった。 これもこの神社の長い歴史を物語っているのであろう。 木製の鳥居を越え、「一の鳥居」分岐に着いた。 新しいきれいな「金剛山頂周辺マップ」があったが、これから行きたい高天神方向のことが書かれていない。 書かれているのは転法寺周辺の金剛山キャンプ場や香南荘など大阪府関連の物ばかりである。 案内板でいつも思うのは、このような偏った案内が道間違いや遭難を生むと言うことである。 この案内板では、地図を持っていなければ「御所市」方向に下ることはできない。 全く表示がないのだ。地名だけでなく、そこに行くための山道さえ書かれていないのである。 今回は「日本二百名山 登山ガイド[下](山と渓谷社 07.2)」を参考にして歩いている。 十分時間がなかったので、ガイドブックの通りのコースである。 日本二百名山を歩かれている人も多いと思うが、この本だけを頼りにこのコースを歩くとしたらかなり大変である。 (以前、日本百名山の本だけを頼りに軽自動車に泊まりながら山歩きをしている老人にあったことがある) この案内板だけではない。 今までたくさんの似た掲示板を見てきた。 県境・市境等にあるのにもかかわらず、自分の所の情報だけを載せ隣の様子はほとんど載せてない。 それは、市町村のHPの案内でも同様である。 どうして利用者の便宜を考え、協力して作るなりそちらも載せるなりできないのだろうか。 県・市の看板なりHPは、利用者のための公共のサービスであるし、どちらも同じような税金で作られているのである。 地形図を見てなんとかわかった。 ダイヤモンドトレイルを少し行ったところに御所市方向に下りる道があることが。 2分ほど行ったところに、その分岐はあった。 杉林の中の急な道をどんどん下っていく。 90%は間違ってはいないと思うものの、もし違っていたら登り返すのはつらいだろうな、と思いながら下りていく。 20分ほど下りると、高天/金剛山山頂と書かれた標識がありほっとした。 杉林の中をどんどん下っていくこと40分余、高天滝に着いた。 手前に休息所兼小屋といった建物があり、その向こうに滝があった。 滝を見ながらそのベンチで少し休んだ。 ここまで下りればすぐに林道だ。 杉林の中の3mほどの舗装道路を下っていく。 ここでも紅葉はほとんど終わっているが、赤くはない黄色だけのモミジがあり驚いた。 偶然私が今まで見たことがないだけかもしれないが・・・。 高天滝から5分で高天彦神社であった。 神社はそれほど大きくはないが、参道には大きなヒノキが両側にあった。 こんなに大きなヒノキ群を見るのは久しぶりである。 神社の案内板には、「…御祭神を祖神とした葛城族は、大和朝廷に先行する葛城王朝を築き、亡びた後も平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた」とある。 ここもかなり歴史ある神社なのだ。 氏子が黙々と掃除をしていた。 山の上の車道をどんどん下っていく。 国道や県道ではないので道路標識はない。 自分が下っている道がだぶん合っているだろうとは思うが、自信は半分だ。 先ほどの高天彦神社の氏子に聞いて置けばよかったと後悔する。 民家は少ないし、人は全く歩いていない。 下の集落が見えてきたところに1軒の農家があり老夫婦が作業の手を休めていた。 道を尋ねると、親切に教えてくれた。コースはあっていた。 この辺の民家は家の壁に木の板を使っている家がまだある。 「まだある」というのは、私の地区でも伝統的な家は30年ほど前までは木製の壁を使っていたからである。今は、それを使う家を見たことがない。 高天地区は木が十分にあり伝統的な木造建築が今もつくられているのかもしれない。 それは風雨で痛みやすいが温かみがあっていいなぁ、と思いながら歩いていくと、やっと、めあての「かもきみの湯」が見えてきた。 そして、国道24号線に出て少し南下し、やっと「かもきみの湯」に着いた(写真6)。 この高天彦神社からの舗装道路40分の下りが一番長く感じつらかった。 しかし、予定よりかなり早く、11時に着くことが出来た。 「かもきみの湯」は駐車場も広く、大きな建物でびっくりした。 ガイドブックのこのコースに飛びついたのは、大阪ならのアプローチの良さとゴールの温泉である。 「かもきみの湯」は設備がそろっていてなかなか快適であった。 |