2009.02.01 MM第248号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus

       
                         

富士塚 [品川神社] (ふじづか 40m) 東京都品川区

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この山の私の印象等は・・・                              

「 江戸時代時代からの富士山信仰に触れた 富士塚[品川神社] 」

 *下に感想等の文があります。                                                


【歩いた日】     2008年8月8日(金)


【天候】        晴れ


【コース及び時間】

JR品川駅11:07発−11:22品川神社(富士塚)〈40m〉11:42−11:46東海寺11:50−12:10JR品川駅



       【 登り(JR品川駅から) 15分  下り(東海寺経由でJR品川駅) 24分  】


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。


  
都庁展望台からの富士山08.12.15(写真1) 随所に歴史の説明があって楽しい(写真2)
品川神社の左に品川富士はそびえていた(写真3) 浅間神社、富士登山の石碑もあり本格的だ(写真4)
品川富士の山頂は展望もいい(写真5) もう1つのコースから下る(写真6)

 【感想 等】

 NO245の高草山2で、元日の富士山の展望の事を書いた。
また、次のNO246では、山梨県増穂町高下からのダイヤモンド富士について書いた。
もう1つ、書きたい富士山がある。

 それは、東京の富士山だ。

 12月15日、朝、私は東京にいた。
TVを見るとお台場からの富士山の映像が映っていた。
空気が澄んでいて、これならなかなか良い富士山が見えると、急いで「都庁の展望台」に行った。
案の定、すばらしい富士山がそこにあった(写真1)。

 江戸時代は江戸の多くの場所から富士山が見えただろう。
そんな東京から1年間にどれくらい富士山が見えるのだろう。
都庁に行ったついでにそこで聞いてみた。
平成18年で79日だという。1年の内、約22%だ。5日間に1日だ。
と言っても、静岡でもそうだが、冬は毎日のように見え、春や梅雨時は見えない。
ここ15年間のデータがあったが、1年に見える日は70日台から80日台が多い。
そういえば、1月上旬の朝日新聞に高層ホテルのレストランからの「初富士」を見る、という特集が出ていた。

 話がそれた。
今回紹介したいのは、品川富士である。

 東京の品川に富士山?
しかも東京の富士山の中では展望が一番だという。
そして、わざわざ本物の富士山の溶岩を船で運んで来て作ったというから、いつか東京へ行ったら訪ねてみたいと前から思っていた。

 それが、実現したのは、汗が噴き出す真夏、8月8日であった。
京浜急行の「北品川」や「新馬場」から行けばもっと簡単だろうが、静岡からは東海道線でJR品川駅に着く。

 品川駅を下りたら、すぐ近くを通っている国道15号線を南に進んだ。
道路の左側を歩いていたら、左折道路で歩道が切れ歩けなくなったりしたが、
右に渡り歩いていった。道は国道なのでわかりやすかった。
途中には「東海道五十三次 品川宿」の説明板があったりして江戸時代の歴史がわかっていい(写真2)。
東京にはそんな史跡の説明板が至るところにあり時間があるときは歩いたりする。

 8月8日、真夏のほんとに暑い日であった。
数分歩いたら汗をかき、日陰で休みながら水分を補給し、歩いた。

 歩いた時間はとても長く感じたが、15分で品川神社に着いた(写真3)。
見ると神社の左手に、高さ15mくらいの「品川富士(富士塚)」はあった。
この辺の標高は25mなので富士塚の高さを40mとした(25+15=40)。

 階段を上っていくと左側に登り口らしい道があったが、階段を上りきった。
神社の境内は階段を上りきった高台のような所にあり、そこから見ると富士塚は高さ5mほどしかなかった。

 そこには富士登山と書かれた石碑もあり、その近くにはなんと「浅間神社」も小さいながらも建てられていた(写真4)。
手元の資料によると、「品川区の有形文化財に指定されていて、ここに登れば本物の富士山に登ったのと同じ御利益が得られる」という。7月1日には山開きが行われるという。

 作られたのは明治2年だそうだが、江戸時代からの富士山信仰の一端が伺える。
東京には富士講がさかんだったらしく富士塚がたくさんあるという。

 「富士山村山古道3」で田子の浦海岸にある富士塚を紹介した。
こちらは富士山に登る前に安全等を祈願して海岸の石を積んだ物らしいので少し性格が違うかもしれない。

 いずれにしても日本一の高さと美しさを誇る富士山に畏敬の念を抱いた、という事は共通しているだろう。
かつて紹介した「御嶽山(日本百名山)」には、途中に銅像や祠があったが、かつてはそのようなものが富士山にもあったと読んだことがある。御嶽講の人達が白装束で今も大勢が登って行く姿を見ると、かつての富士山もそのようではなかったかと想像される。

 それが、江戸においても手軽に御利益を得ようと繰りひろげられ、賑わったのではないだろうか。
品川富士で、そんなことを考えた。

 境内の浅間神社横の「富士登山の石碑」からは1分で富士山頂であった。
これで御利益があればほんとに楽でうれしい。

 山頂は旗立台があり土の広場になっていた(写真5)。
そして、他には何もないので東側の展望が開けている。
高層ビルが多く、10階、20階のビルからの展望もないようなところが多い東京では信じられない展望であった。
展望を少し楽しんでから、もう1つのルートで下った。

 こんな小さな富士山にも2つの登山路があるとは驚きである。
しかも写真のように七合目、八合目等と書かれた石柱や鎖までつけられている(写真6)。
なかなか本格的である。

 下山後は、近くにあった「包丁塚」や本殿、板垣退助の墓を見た。
そして、近くにある「東海寺」に寄った。歩いて4分ほどである。
ここは、3代将軍徳川家光が沢庵和尚を江戸に呼んで開創させたという。

 見た後は、元来た道をJR品川に戻った。
この日、2008年8月8日は何の日かご存じだろうか。
そう!
北京オリンピックが開かれた日である。

 私はその夜、偶然にもホテルのテレビで、数人の外国人達と自分たちの国が出てくるのを待ちながら開会式を楽しんだのであった。
 入場順がアルファベット順でないので、なかなか予想ができずおもしろかった。

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