2009.02.16 MM第250号
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【歩いた日】 2008年8月22(金) 【天候】 晴れ後、一時雨、曇り 【コース及び時間】 10:25大森代官所跡(石見銀山資料館)11:33−11:50羅漢寺12:10−(昼食 12:10〜12:20)−12:40龍源寺間歩 13:06−13:10坂根口−13:39降路坂の茶屋跡〈440m〉13:44−14:07五老橋14:12−14:25町(雨宿り〜14:40) −14:53中村の題目塔−15:20清水金柄杓(道迷い)15:38−15:55松山の道標−16:10やきものの里−16:30温泉津 (才市の湯、温泉津散策)17:40−17:44JR温泉津 【 合計 3時間31分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 【温泉】 才市の湯 (JR温泉津駅近く) 300円 |
大森代官所跡(石見銀山資料館)からスタートだ(写真1) 龍源寺間歩へは「福神山間歩」等を見ながら歩いた(写真2) アナグマが私に気づかないようで近づいてきた(写真3) 「町」という集落に着いた(写真4) 「清水大師」先には石を敷いた道も残っていた(写真5) JR温泉津そばに「才市の湯」という小さな温泉がある(写真6)
【感想 等】 島根県大田市まで来て、世界遺産「石見銀山」に行かない手はない。 そして、せっかく行くなら歩かなくては・・・。 調べると、石見銀山には掘り出した銀を背負って港まで運んだ道があった。 資料館等を見てから温泉津まで歩いてそのコースを下り、温泉津温泉に入ろう、コースがこれで決まった。 JR大田駅前からは石見銀山の資料館のある大森代官所跡に向かうバスが出ている。 三瓶山(NO.249)[日本二百名山]から大田駅に戻ると、すぐ出発するバスがあった。 たいへんラッキーであった。(食料の買い込みはできなかったが・・・) バスでは温泉津の沖泊に住んでいるという70才くらいのおばさんの隣になった。 大阪から旦那さんの定年後、温泉津の沖泊に戻ってきたと言う。 大阪での通院と比べ、JRとバスを乗り継ぎ、病院に通うのが一日がかりで大変だと嘆いていた。 大森代官所跡に行く途中にこの辺では大きい総合病院がある。 私が温泉津まで歩くというと、「温泉津に着いたら沖泊まで来なさい、お茶くらい出すよ」、との事であった。 うれしいお誘い、よし、行こう! と思った。 やがてバスは病院に着き、「行けたら寄らせてもらいます」と、話し彼女と別れた。 大森代官所跡には30分弱で着いた。 まず、石見銀山資料館(入館料500円)に入った。 1時間以上かけてじっくり見学した。 資料は思ったより少なかったが、銀山のことが少しわかった。 ここ石見銀山は、16世紀に世界有数の銀山としてヨーロッパの地図にまで出ていたのはすごいことである。 (平泉が世界遺産登録延期になったのが少しわかる気がする。私は日本の世界遺産すべてを見て歩いた。そんな私としては平泉の方が世界遺産としての価値が高いと思うのであるが・・・。「世界遺産」として選定委員に納得させるには世界との繋がりがあったり、普遍的価値として外国人に理解されやすいものがよいのだ。) この資料館の展示が今後、もっとディープな展示になるよう期待したい。 保存された町並を見ながら歩く。 古民家を改修して作った店も多いが、昔からの家もたくさん残っている。 不思議な感じだ。 なぜここにはこんなに残っているんだろう。 多くの地域で、より快適な生活を求め、近代的な現代風建築に変わっていった。 そんな中で、ぽつんとこの集落は昔ながらの家並みが残っているのである。 山奥の片田舎だからできたことだろうが、ものを大切にする風土もあったのかもしれない。 パンフレットを見ると、この街並みは国の重要伝統的建築物群保存地区に指定されている、とある。 江戸時代の面影や風情を残している、とも書かれている。 街並みに合わせた周りが木で覆われた自動販売機があったりして楽しく歩ける。 資料館から15分余で羅漢寺に着く。 羅漢寺は石窟の中の五百羅漢など、境内写真撮影禁止で入場料は500円だ。 羅漢の石像は素朴な物が多い。 他でも五百羅漢を見たり写真を撮ったりしたことがあるがやや料金が高いといった感じだ。 混んでくると写真撮影は大変かもしれないが、撮影は可でも良いように思った。 道路を隔ててお寺と五百羅漢と両側にあるが、すぐに見終わった。 JR大田駅で時間がなかったので、食料がない。 また、ここの集落にはコンビニが見あたらない。(歩いたコース以外の所にあるのかもしれない) 時刻は12時を過ぎたので、近くのカフェに入って食事を頼んだ。 腹ごしらえの後、駅でもらったパンフレットを見ると近くに「観光案内所」があった。食後、そこに寄った。 せっかくなので、これから歩く「温泉津・沖泊道」について教えを請い、資料をいただいてから出発した。 温泉津・沖泊道を歩く人は少ない感じで、引き出しの中から探し出すようにしてパンフレットを取りだしてくれた。 稲が実る田んぼや史跡「吉岡出雲墓」の看板、「福神山間歩」等を見ながら歩いた(写真2)。 暑い中であったが、龍源寺間歩への遊歩道は結構多くの観光客で混んでいた。 カフェから20分、最後の見学場所、「龍源洞間歩」に着いた(入場料400円)。 資料館と並んで銀を掘った洞窟”間歩”は見ておかなければ・・・。 みんなそんな気持ちで暑い中を歩いているのだろう。 間歩の中は涼しかった。 代官所直営の5つの間歩の内、ここだけが常時見学できる。 一方通行の約300mの地下坑道を坑夫の作業する姿を思い描きながら見学した。 13時過ぎ、いよいよ石見銀山街道「温泉津・沖泊道」へ出発だ。 平日の午後ということもあるのかもしれないが、向かうのは私だけである。 龍源寺間歩から4分で坂根口であった。 島根県の立てた標識が方向を教えてくれる。 また、「坂根口番所跡」があったと立派な新しい標識が立てられている。 比較的ゆるやかな傾斜の山道を登って行く。 この山道は「中国自然歩道」になってはいるが、沢の上に巾30cmくらいの細い山道もあった。 昔どんな状態だったかは知らないが、重い銀を背負ってでは滑り落ちそうだ。 30分歩くと「降路坂(ごうろざか)」に着いた。 銀を担いでの登りはかなり大変だったろうが、約440mのこの坂が標最高地点である。 かつては茶屋があったというが、そこで休んで温泉津へ下っていっただろう。 この日は湿度の多い暑い日であった。 荷物の少ない私でも汗だくで、水分の補給をしないと歩けない。 代官所跡から4.9km、温泉津温泉まで8.2kmという標識もある。 合計13.1kmのコースである。 道は丸太が敷かれたところや50cm巾の所などいろいろな形状であった。 静岡にあるようなシャガの葉が茂っているところもあった。 そのうちに、物思いに耽っているのか1匹のタヌキが山道を私の方に歩いてくる。 ちょっと顔がいつも見ているタヌキとは違う。 ちょうど、昨日、偶然付けたNHKTVの「ダーウィンが来た」でアナグマをやっていた。よく見間違えるといってタヌキとの違いを解説していたが、それからするとこれはニホンアナグマのようだ(写真3)。 分布を調べると、本州、九州、四国に広く分布しているそうだ。地域によっては絶滅のおそれもあるという。 私は首にかけていたカメラを構え、音を立てないように立ち止まってみていた。 アナグマは私に気づかず、どんどん近づいてきた(写真3)。 15m、10m、5m・・・。 やっと私に気が付き、あわてて茂みに走り込んだ。 その後、石垣に沿ってイノシシが掘った跡もあった。 14時過ぎ、「五老橋」に着いた。 降路坂の西側の登り口である。ここまで来れば、あとは小さな起伏があるだけだ。 「町」という名の集落に着いた。温泉津まではあと5.6kmだ。 写真のように眼下に田んぼと家が見えてきた(写真4)。 田んぼにはイノシシの害から守るためであろうか、電気柵や網が付いている。 集落の舗装道路をしばらく歩いていると、雨が降ってきた。 夕立といった感じだったので、無人の車庫で少し休ませていただいた。 15分ほど休むと小降りになったので傘をさして歩くことにした。 湿度が高いと思ったら雨とは・・・。 しかし、すぐにやんだ。 よく実った田んぼを見ながら西田の集落を過ぎ、「中村の題目塔」に着いた。 また山道に入る。 杉林の中の道を歩いていく。 ぬかるみにイノシシの足跡があった。 標識は立派なものが、ちょうど良い間隔で立てられていて迷うことはない。 そんな中、標識の指す方向にある細い山道を下ってしまった。 観光案内所でもらったカラーのパンフレットには舗装道路であったが、ぼうっとしていたようだ。 背丈ほどのススキなどの草が余りにも生い茂っているので、道を間違えたかな、とも思ったが下ってみた。 国道9号線近くの舗装道路に出た。 かどの家のおばあさんに聞くと、やはり間違えていることがわかったので引き返した。 かつては歩かれた道だとは思うが、夏草が生い茂っていて登り返すのも大変であった。 20分ほどのロスタイムであった。 元のコースに出ると、すぐの所に「清水の金柄杓」の標識があった。 「清水大師」先の山道にはかつての石を敷いた道も残っていた(写真5)。 苔むし、風情がありいい。 この下には国道9号線のトンネルがある。 16時近く、「松山の道標」に着いた。 あとは温泉津への舗装道路の下りだ。 しばらく歩くと、「温泉津1.0km、沖泊1.3km」という分岐の標識に着いた。 湿度の高い中歩いてきたので疲れ気味であった。 おばあさんの家のある沖泊まで行って、また1km以上歩きJR温泉津に行くか、直接温泉津をめざすか・・・。 今回は温泉が呼んでいる「温泉津」にそのまま下ることにした。 登り窯のある「やきものの里」を過ぎ、どんどん下っていった。 見ると郵便局がある。 地図を見ると手前の交差点で右折するのを忘れていた。 標識がたくさんあるのでそれに頼っていて、地図を見なかったのできっと標識を見落としたのだろう。坂を戻る気はしない。 少し通りを歩いていくと、「才市の湯(さいちのゆ)」という小さな温泉があった(写真6)。 常連のおばあさんが風呂から上がり話をしていた。 温泉かどうかを聞くと、「温泉津温泉と同じいい湯だよ」というので、中を見せていただいた。 こぢんまりとしているが濁り湯で泉質も良さそうである。 16時半のこの時間、誰も入っていない。 よし、決めた。 歩くのに疲れたのでここに入ることにした。 「ナトリウム−塩化物・硫酸塩泉」の湯に独占で入浴でき、疲れを取ることができた。 詳しく見ると、「小浜温泉」と書いてある。ここは、温泉津町小浜なのだ。 その後、荷物を預け、温泉津の温泉の方に散策に行った。 温泉津港を越え、少し歩くと「ゆうゆう館」という資料館・休憩所があった。 温泉津温泉がこんなに近くなら来ても良かったな、と思ったが、後の祭りである。 電車の出発の時刻が迫っていた。 温泉の女将がザックを玄関に出し待っていてくれた。 ゆっくり見ていたので、遅れたら次の電車にしようと思っていたのだが、女将の行為を無にしたくなかったので急いで歩き、電車に乗り米子に向かった。 |