2009.09.07 MM第275号
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【歩いた日】 2009年8月19日(水) 【天候】 快晴 【コース及び時間】 富士宮五合目P4:58発−5:10新六合目(雲海荘)−5:41新七合目(御来光荘)5:46−6:10元祖七合目(山口山荘) 6:15−6:35八合目(池田館)6:40−6:59九合目(萬年雪山荘)7:04−7:12A氏に会う7:14−7:21九合五勺 (胸突山荘)7:25−7:44浅間大社奥宮7:48−7:58剣ヶ峰〈3776m〉8:07−8:13浅間大社奥宮8:15−8:29 九合五勺−8:52八合目−9:08A氏と合流−9:38七合目9:47−10:17新六合目10:21−10:32富士宮五合目P 【 登り(富士宮ルート) 2時間30分 下り(富士宮ルート) 2時間10分 合計 4時間40分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
7月13日、3トンの石が落石し車を直撃して死者が(写真1) 自衛隊が訓練で登っていた(写真2) 7月の山は花々が出迎えてくれる(写真3) 七合目過ぎには大量のペットボトルが投げ捨てられて(写真4) 富士山にはいつ落ちてもおかしくない石が多数(写真5) 郵政民営化されてもやっている「富士山頂郵便局」(写真6) 山頂で記念写真を撮るためにできた列(写真7) 元気に下ってくるA氏と3人のお子さん達(写真8)
精進湖はいつものように静かだった(写真9) | 白糸の滝・音止めの滝は観光客で賑わっていた(写真10) |
【感想 等】 台湾の玉山など台湾五岳(日本百名山のような代表的な5つの山)に一緒に登った沖縄に住む友人A氏から「子どもを連れて富士山に登りたい」という連絡を受けた。 静岡に住む者にとって、せっかく来る友人には富士山の良さを充分感じる旅にしてほしいと思った。 一緒に来るお子さんは小学校1年生、2年生、中学2年生の男の子3人である。 10回ほどのメールのやりとりで彼らの3泊4日の「富士登山の計画」は次のようになった。 8月17日(月) 沖縄→羽田 →JR富士宮駅→富士宮口新五合目 宝永山見学 (表口五合目レストセンター泊) 8月18日(火) 朝食後出発 富士山頂 お鉢巡り (頂上富士館泊) 8月19日(水) ご来光鑑賞 朝食後富士宮ルート下山 (JR富士宮駅周辺で宿泊) 8月20日(木) JR富士宮駅 →羽田→沖縄 小さいお子さんがいるのでそれを充分考慮し、ゆとりのあるなかなか良い計画になった、と思った。 また、彼らは沖縄で週末にトレーニングを積んできたそうである。楽しく登るには体を山歩きに慣らしておくことが良い。沖縄は珊瑚礁でできた島である。だから山の標高は大変低い。沖縄県で最も高い山は526mの於茂登岳(石垣島にある)である。沖縄本島でも最高峰が500m余しかない。彼らが一番心配したのは高山病である。高度に慣らすことも兼ね富士宮口新五合目に着いた1日目に宝永山に足慣らしを勧めた。 さて、私であるがこの日程に全部つき合うことができればよいのだが、仕事のため充分につき合うことはできない。 休めるのは19日だけであった。 それで、サブタイトルのように「8時半に富士山頂で待ち合わせましょう!」ということにした。 他に考えられる方法は、ナイターで登り一緒にご来光を見る方法、登山口で下山を待って観光案内に徹する方法等があった。 ナイターで登り、その後の観光案内で交通事故でも起こしたら堪らない、ということで早朝から登る今回の方法を選んだ。 8時半という時刻は、最近の私の登る速さは休憩を入れて3時間半であるから、5時に登り始めれば8時半に着く、といった計算からきている。 5時少し前、富士宮五合目を出発した。 7月13日3トンの石が落石し車を直撃して死者がでたが、そこは近寄れないように囲われていた(写真1)。 そのため、登山口近くの駐車場が30台分ほど置けなくなってしまった(来年までに防御柵を作り修理するそうである)。 実際、かなり急な斜面であり、石は簡単に落ちてきたり乗り越えたりしそうな場所であった。 夜間もそうであるが、明るくなったので何人も出発し断続的な列になっている。 少し歩くときれいな有料トイレがある。 ここ5年ほど、7月・8月の富士登山のシーズンにあまり登ったことがなかった(メルマガやHPでこれまでに紹介したのは7月1日、9月、10月、11月である。)。だから久しぶりに見る入ることができるトイレを見た。 それは、山小屋も同じである。かたづけてしまい小屋の看板さえなく、自分が何合目にいるのかわからない小屋さえある。 少し歩くと、下の方に車で埋まった富士山の駐車場や愛鷹山の山々が見えてきた。 歩き始めて10分余、六合目の雲海荘に着いた。 地平線近くには雲海があり、その上に太陽が昇ってきた。 ピンク色に染まった雲の上に太陽が出てきた。 歩き始めは少し肌寒さを感じていたが、ちょうど良い気温になってきた。 今年から登山路の標示看板の色をコース別に変える、ということが新聞に出ていたが、すっきりわかりやすい標示になっていた。 外国人が多いので、英語、韓国語、中国語で書かれているのもいい。 古い看板はすべて外してあるのもいい。 ちなみに新しい富士宮コースの看板は空色である(上4分の3は焦げ茶色で統一)。 富士山にも高山植物が咲いている。 特に六合目小屋の上の方にある。 マメ科のようで、少しレンゲソウやスズメノッテッポウに似た感じの紫色の花が咲いていた。 帰宅後、図鑑で調べるとオヤマノエンドウかと思ったが、それは「ムラサキモメンヅル」のようだ。 7月8月は山は花の時期で、花々が登山者を迎えてくれる。 他にもイワオウギなども咲いていた。 もっと上の七合目にはイワツメグサも咲いていた(写真3)。 アルプスの山々を中心によく高山で見かけるこの花に出合えたのはうれしかった。 考えてみれば、標高でいうと3000mである。 六合目先では、自衛隊の集団に出会った(写真2)。 この時期、訓練で登るという。 15人くらいの6隊で登っている感じだ。 登頂に4時間を予定していると言った。 私は登頂予定時間は3時間半なので追い抜かさせていただいた。 30分おきくらいに休憩する彼らは通行人の邪魔にならない避け方が上手かった。 また、小隊に次々に追いついたが、すぐに道をあけてくれ気持ちよく歩くことができた。 6時過ぎ、七合目あたりを歩いている時、A氏から電話が入った。 「子どもが寒がっているので下山を開始する」という事である。 防寒着を用意はしていたが、沖縄育ちの彼らには富士山頂の気温は低すぎたようである。 「道は一本、下山中に会えるから下りてください」と連絡する。 2ヶ月間のシーズン中に登ると、これまでと違った風景に出合うものである。 写真4は七合目過ぎを歩いていたとき、見つけた光景である(写真4)。 富士山をきれいにしようと、多くの団体が活動している。 私も個人的にごみ拾いをしている。 しかし、ここまでまとまってペットボトルのごみが落ちているとは思わなかった。 休憩の時、邪魔になったペットボトルを下に投げ捨てているのである。 自分さえ良ければいいという、残念な行為である。 残念と言えば、残念な喫煙者がいた。 小屋の前で多くの人が休んでいる中、平気でたばこを吸っている。 みんな富士山のおいしい空気を吸いに来ているのである。 受動喫煙などしたくないのだ。それなのにみんなの迷惑を考えないで喫煙をしているのである。 私は2回言わせていただいた。「たばこの煙が来ます。ここでたばこを吸うのをやめていただけますか?」 言い返してきたら嫌だな、と思ったが彼らはすぐにたばこを消してくれた。 九合目まで休憩を入れて2時間で登ってきた。 全く疲れていないし、なかなか良いペースである。 小屋前で少し休憩し歩き始めると、A氏とお子さん3人が下りてきていた。 A氏とは17年ぶりに会ったが、若さといい感じといい全く当時のままの様子に思えた。 お子さん達も元気そうで安心した。 せっかく九合目のここまで登ったので、「ちょっと山頂に行って来るよ。すぐに追いつくから下りていてください」と言って別れた。 時刻はまだ午前7時過ぎ、A氏からの電話を受けてから1時間弱、七合目くらいで彼らに合流できると計算した。 山頂が近づくと、人が多くなった。 また、富士山にはいつ落ちてもおかしくない石が多数転がっている(写真5)。 地震や風雨で動き出せばどんどんスピードがつくだろう。 山歩きが危険と隣り合わせであることがこんな事からもわかる。 最後の胸突き八丁も難なく通過し浅間大社奥宮に着いた。 『胸突き八丁』を言語由来辞典で調べたら、「胸突き八丁の「八丁」は、登山で富士山の頂上付近の八丁(約872m)で険しい道のこと。本来は富士登山で用いた語であるが、他の山についても急斜面の登り道をいうようになった。さらに、物事を成し遂げる過程を登山にたとえ、大詰め一番苦しいところを「胸突き八丁」というようになった」と出ていた。偶然の発見であったが、うれしかった。 ここ浅間大社奥宮横には2カ月「富士山頂郵便局」が開設されている(写真6)。 そういえばかつてここから友人達に絵はがきを送ったな、何ていう記憶がよみがえると共に、郵政民営化されてもやっているんだ、ということも思った。 ここまでくれば、山頂「剣ヶ峰」はすぐである。 晴れが続いていたので、山頂下の砂地はからからに乾き滑りやすかったが、10分で剣ヶ峰に着いた。 予定より30分早い3時間の登頂であった。休憩を除くと2時間半である。 山頂には長い行列ができていた(写真7)。 「槍ヶ岳(日本百名山)」のように山頂が狭くて入れない、ということもないのに、どうしたことだろうとよく見た。 すると、山頂のプレート「日本最高峰富士山剣ヶ峰」を背に写真を撮るために並んでいるのであった。 8時過ぎ、私は上の展望台から西側を眺め、下山を開始した。 浅間大社奥宮前にはますます人があふれていた。 下山路にも多くの人がいた。 その中を下った。 狭いところでは、登りの人達を待ち、下りで遅い人があれば待った。 途中で座り込んでいる人も多数見かけた。 5人に1人は高山病等のため途中で諦めて下山するといわれている。 八合目を過ぎ、下山を開始してから1時間でA氏に追いついた。 思ったより早かった。子ども達もあまりの早さで驚いていた。 遅かったのは、1年生の子が転ぶのをおそれ慎重に下りていたからだ。 このままでは駐車場に着くのは昼過ぎになってしまう。 そこで、私が手を引き下ることにした。 そうしたら他の子と同じくらいの早さになり、みんなの下る早さで下りることができるようになった。 話をしながら、気持ちよく下りていった(写真8)。 合流してから約1時間で新六合目まで下った。 ここまで来れば、駐車場まではすぐである。 約10分で下った。山頂からA氏と合流まで1時間、その後の下山は休憩を入れて1時間半、合計で2時間半で下ったことになる。 疲れなかったしなかなか快適な富士登山であった。 下山後は富士山の全体像を見てほしくて国道139号線を朝霧高原に向かった。 残念ながら五合目より下に雲がたなびいていて周りからは富士山が見えなかった。 その後、富士山のビューポイントである本栖湖、精進湖に寄った(写真9)。 そこから富士山は見えなかったが、富士山に降った雨や雪解け水が湧き出てできる富士五湖を紹介できてよかったと思っている。 そして、白糸の滝・音止めの滝に寄った。 夏の滝は涼しくて人気があり、観光客で賑わっていた。 (富士山周辺は日本で一番地下水が豊富である。 だから富士山関係のミネラルウォーターがたくさん売られているのである。) その後、彼らが泊まる富士宮のホテルに送り届けてお別れした。富士山は翌20日に富士宮から見えたということである。また、富士宮浅間大社にも寄ったとの連絡を受けた。彼らは富士山の歴史を知る上でも貴重な体験をすることができたのではないかと思う。 富士山の登山とは違った特徴を紹介することができたと思っている。 富士山に来たら、是非、周辺にも足をのばしてほしいと思っている。 |