2010.02.07 MM第295号
*下に私の感想等の文があります。
メールアドレスを登録していただきますと、この文章が「無料メールマガジン」で毎週あなたに届きます。
【歩いた日】 2010年1月23日(土) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 富士吉田口馬返しP7:04発−7:37二合目−7:54三合目8:05−8:32五合目−9:00佐藤小屋9:08−9:25経ヶ岳 〈2450m〉9:30−9:43六合目 安全指導センター9:55−10:15泉ヶ滝−10:22富士スバルライン五合目10:35−10:50 泉ヶ滝−10:59佐藤小屋11:06−11:36三合目11:49−11:59二合目−12:23馬返しP 【 登り(馬返し〜経ヶ岳) 2時間2分 散策(経ヶ岳〜六合目〜富士スバルライン五合目〜佐藤小屋) 1時間5分 下り(佐藤小屋〜馬返し) 1時間4分 合計 4時間11分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
二合目からは雪も多くアイスバーンだ(写真1) | 「33回記念」富士登山の歴史が随所に(写真2) |
八ヶ岳が見えてくる(写真3) | 佐藤小屋に着いたが閉まっていた(写真4) |
経ヶ岳からの富士山頂(写真5) | 静まりかえったスバルライン5合目(写真6) |
【感想 等】 富士登山をする人の多くは富士吉田口から登る。 それは、東京方面から富士吉田口が便利であるからだ。 その富士吉田口は、富士山の北側にある。 私は富士山の南側にある静岡に住んでいるので、反対側にある富士吉田まではなかなか遠い。 富士山の歴史に少し興味があり、これまで田子の浦から富士山村山古道を通り富士宮五合目まで歩いたりした(メルマガNO145他)。 歴史もあり、山小屋放置問題も上がっている富士山の北側にある「吉田口コース」を是非歩いてみたいと思っていた。 しかし、旧道を登ったら山の上には車で着いた普段着の観光客が一杯ではつまらない。 そこで、冬場を選んだ。冬場は吉田口コースがメインのコースである。 また、私が毎年行っている「雪に会う山歩き」にもちょうどいいとも思った。 「北口本宮富士浅間神社」から歩くことも考えたが、馬返しまでは県道701号線が延びている。 そこまでは昔も馬で来ることができたので、現代の馬である車で「馬返し」に向かった。 雪が多いと「中の茶屋」までしか入ることができない、と佐藤小屋の主人は言っていた。 実は、一昨年も行きたくて佐藤小屋に連絡を取ったが、宿泊希望者が少ないと小屋は開けない、とのことであった。 ちょうど、一昨年行こうとしたときは佐藤小屋も閉まっているし、雪が降ったばかりで中の茶屋までしか車が入れなかった。 今回はほとんど雪がなく馬返しまで来ることができた。 一昨年の大雪の時とは大違いだ(メルマガNO.206「石割山」) 私は7時過ぎに出発したが、その前に2台の車の人達が出発した。 2002年に「歴史に道百選・富士山吉田口登山道」として整備されたというが、立派な地図付き案内板が登山道入口にあった。 10分ほど歩くと、「禊所(みそぎじょ)」に着いた。 写真付きの説明板があった。 「禊所」は村山古道の出発点である村山浅間神社にもあったが、ここで身を清めてから登山を開始したのだ。 ここ馬返しは標高が1450mだ。 10数分登ると、一合目に着いた。 そこには「鈴原天照大神」と書かれた老朽化した建物がある。 正月飾りが付けられていて、壊れてはいないが廃屋だろうか。 山小屋なのか神社なのか・・・(多分、両方を兼ねていたのだろう)。 その先には古い石畳が残っている。 南側の村山古道よりいろいろ歴史の跡が残っている感じがしてきた。 下ってきた若い2人連れとすれ違う。彼らは普段着であった。この付近の散策か。 やがて木の段が付けられているところに出たが、両側に少し雪が見える。 出発から30分すると、道いっぱいに雪が現れた。 一度溶けて凍結したところもある。 7時37分、二合目に着いた。そこには「御室浅間神社」がある(写真1)。 屋根に穴があり空が見える。 廃墟のようになった神社ほど悲しい物はない。 神社は「かみのやしろ」「かみのいえ」であるから。 そこにいたであろう神はどうしたのだろうか、と思ってしまう。 奥(写真の右)にある柵の中の物が本当の神社かもしれないが・・・。 ここからはかなりの雪がある。 先日静岡で降った大雨は、ここでも雨だったようでその水分が凍ってアイスバーンになっている。 ここで1度林道を横切り、登って行く。 20分弱歩くと、三合目に着いた。 当時の絵をプリントした説明板には、ここは「三軒茶屋」で、茶屋(山小屋)が2軒あったとある。 また、見晴らしが良く多くの登山者がここで休んだという。 ここには唯一ベンチもあるが、残念ながら現在は展望は良くない。 ベンチに荷物を下ろし、10分ほど休む。 やはりこの建物も屋根に穴が空いたり柱が傾いたりしている。 そんな端に「講登山三十三度大願成」という石碑があった(写真2)。 年号は昭和31年とある。それほど古いものではないが、現在の登山ブーム以前、すなわち50年以上前の物である。 太平洋戦争後10年、まだ庶民には自動車もなかった時代である。 その時代に富士山登頂33回というのは、すごいことである。 (私はまだ11回しか登っていない。) そこから30分弱で、四合目大黒天だった。 樹林が少し薄くなり、富士山の山肌が見えてくる。 山道の雪はますます多くなり、凍結もひどくなる。 しかし、まだ気温はそれほど高くならないので、選んで歩けばそれほど滑らない。 8時半過ぎ、五合目御座石に着いた。ここは井上小屋だという。 「御座石」とは、神の寄りつき岩で、この小屋の左手にあると、説明板に書いてあった。 雪の重さで倒れないようにつっかえ棒をしてある。 木々の間からは上半分を真っ白にした八ヶ岳が見える(写真3)。 やがて「中宮」と呼ばれていた場所に着いた。 江戸時代には、そこには4軒の山小屋があり、入山料を取っていたという。 (現代社会でも、環境保護の名目で入山料を取るのは時間の問題かもしれない) 1軒残る小屋を過ぎると、佐藤小屋が見えてきた。 そこまで登ると、河口湖やその後にそびえる御坂の山々、秩父の山々などが見えてくる。 なかなかの展望である。 9時ちょうど、佐藤小屋に着いた(写真4)。 残念ながら入口はシャッターが閉まり、雪に覆われている。 今夜は営業しているということであったが、まだ来ていないのだろう。 ということは、多分、今富士山五合目以上にいるのは私だけだろう。 冬季小屋である佐藤小屋が閉まっている、馬返しにあった2台の車の人達は下山していった・・・。 急にすごいところにいるような気がしてきた。 小屋横の空き地でしばらく展望を楽しみながら休み、そんなことを思った。 夏であれば、ここまでは簡単に車で登ることができる。 だから、ここで、初めて黄色のラインがある山頂への標識を目にすることができた。 昨年、道迷いを防ぐために付けられた登山口毎の色付きの標識である。 そして、「お知らせ」の看板も立てられている。 「五合目〜山頂 平成21年10月1日から平成22年6月30日まで冬季閉鎖」とある。 それが、英語、中国語、韓国語で書かれている。外国人の登山者も多いから当然ではあるが・・・。 9月1日から閉鎖だと思っていたが、10月1日からであった。 2〜3年前の冬、富士山頂に登ったスノーボーダーが下山できなくなり遭難騒ぎになったことは記憶に新しい。 木々の間を15分ほど登ると経ヶ岳であった。 日蓮聖人が修行したところだそうで、お堂のような物と像などが建っている。 そこから見る富士山頂はまた違った感じである(写真5)。 やがて山中湖もはっきり見えてくる。 そして、「富士スバルライン五合目」への分岐に出る。 そこは、吹きっさらしで急に寒くなる。 そこには「富士山安全指導センター」がある。 その建物の影で休むことにした。 ザックからダウンの上着と手袋の上にはめるオーバーミトンを取り出し付ける。 保温水筒の中のお茶がおいしい。 見渡す限り、私以外は誰もいない。 寒さも増し、厳冬期の山に1人いる感じだ。 しかし、富士山の頂付近には雪煙は上がっていないので、全く登れない感じではない。 (今回は山頂まで登るつもりはないので、12本爪のアイゼンやピッケルは車に置いてきた) 10分ほど休んでから「富士スバルライン五合目」へ向かった。 できれば、奥庭まで行きたいと考えた。 道はアイゼンは付ける必要はないが、滑りやすい所があるので慎重に歩いた。 少し前の踏み跡があり、そこを利用したが、時々雪を踏み外し、膝まで靴がもぐった。 靴の中に雪が入ると困るのでスパッツを付けた。 久しぶりに体験する雪の山道歩きである。 20分ほどで「泉ヶ滝」に着き、下の車道に合流した。 車が通れる巾のある道は上からの落石で埋まっている。 夏場はどうなっているのだろうか。 土砂をどかし、林道として使っているのだろうか。 ガスがかかってきた。 それほど濃くはないが、太陽もぼんやり光っているだけである。 10時20分過ぎ、「富士スバルライン五合目」に着いた。 さすが富士山一の登山口である。レストハウスなどがたくさん建っている。 冬でもここまで来ることができると思っていたが、人っ子1人いない。 大きな駐車場もがらんとしている(写真6)。 夏には人がごった返しているだろうな。 全く静かだ。 この静寂が好きだ。 がらんとした駐車場の向こうには雪をかぶった南アルプスがきれいに見える。 写真でもわかるように少しずつ雲がでてきたのは残念ではあるが・・・ 10時半過ぎ、佐藤小屋に向けて出発した。 「奥庭」に行くことも考えていたが、多分誰も歩いた跡のない雪面を寂しく2時間半はきつい。 次回の新緑の散策時に回すことにした。 泉ヶ滝までは同じコースを戻り、その後も車道を歩くと五合目の佐藤小屋だ。 ごろごろした火山灰の落石に埋まった車道は大変歩きにくく、2度滑って転んだ。 11時に佐藤小屋に着くと、煙突から煙が出ていた。 少し前に着いたという小屋の親爺と手伝いをする若い男女がいた。 今年は毎週末入山し、この日も宿泊者が多いと言うことであった。 しばらく雑談をしてから、下山を開始した。 小屋から出て少し行くと、団体2グループが上がってきていた。 年輩者が多いが、しっかりした装備である。 山頂へアタックなのか、中腹で冬山訓練かはわからないがいいな、と思った。 その後も数グループに出会った。 合計40人くらいか、全員がアイゼンを付けていた。 私は登りから下りまでまだアイゼンを付けてはいなかった。 11時を過ぎ、氷も溶け滑りやすくなっているのは確かであった。 三合目までは30分、馬返しには12時半前に着いた。 今年も雪に触れることができ、楽しかった。 2〜3年後には、冬の富士山頂に立ちたいと思う。 |