2010.04.04 MM第300号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus
       
                         

猿山(さるやま 1000m) 静岡県西伊豆町・河津町 

静岡の百山


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この山の私の印象等は・・・                                 

「 増水で登れず、チリ地震による遠地津波で帰路も散々だった 猿山 」

  *下に私の感想等の文があります。                                                                 
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【歩いた日】     2010年2月28日(日)

【天候】        小雨

【コース及び時間】


宮ノ原猿山登山口P10:20−(いろいろルートを探したり考えたが、増水のため断念)−10:40撤退


*コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。

【温泉】   修善寺温泉 「筥湯」 350円

  
林道に標識があった(写真1) 増水で渡れず(写真2)
かつては簡単な吊り橋か木橋があった?(写真3) 山頂近くには梅の花が(写真4)
修善寺温泉「筥湯」へ(写真5) 修善寺は桜が満開(写真6)

 【感想 等】

 「静岡の百山」という本がある。
存在は知っていたが、もう20年前に発行の本である。手に入らないとあきらめていたが、山から帰宅後、図書館から借りることができた。
1991年発行の静岡百山研究会編(明文出版社)のこの本をようやく手にすることができた。

このメルマガ・HPで取り上げてきた山々の最初の100山は日本百名山の100山である。
その後、日本百名山中心からその他の山々に範囲を広げていろいろな山々を紹介している。

日本二百名山、日本三百名山、山梨百名山、近畿百名山、関東百名山、静岡の百山・・・・。
ネーミングが「静岡の百山」だけ、見劣りするなぁと思ったのは私だけだろうか。

 前述の「静岡の百山」の最後に『座談会』の記録がありそのことについて触れられていた。
その中で、「静岡の百名山にするのはおそれ多いと思ったといった方が適切かもしれない(p.327)」とある。
他の文面からも、静岡人の謙虚さが感じられる。
100m以上の山が450山あり、その中から選定した100山である。
ほかの県と同じように「静岡百名山」と名乗ることは十分できたのである。
・・・前置きはこれくらいにして、「静岡の百山」の内、わたしにとっては伊豆の山の最後としてこの「猿山」があった。

 メルマガ・HPの300号としてふさわしいと思って選定した。
この山に登るために、「駿遠・伊豆の山(山と渓谷社)」「静岡県の山(山と渓谷社)」など10冊ほどの本を探したが、どれにも出ていなかった。
Webで調べても十分な情報を得られなかったので、町役場に電話したが、担当者はよくわからなかった。
代わりに紹介されたのが「伊豆森林管理所」である。
電話すると担当者は、「道はわかりにくくて、よく遭難騒ぎになるんですよ」という。
それなら標識でも付けてくれればいいのに・・・、と思った。
猿山は、静岡の百山の1つである。

 もう一度、Webで調べ直した。
検さくの項目を変えたらいくつかヒットした。
道に迷ったという記事もあったが、なんとか登れそうな手応えを入手した。
去年の正月、八丁山(メルマガNO.246)では、自分の帰り道がわからなくなったので、
今回はビニルテープを持参し迷いそうになったらテープを付けながら歩こうと思った。

 松崎町から県道59号線を走り、登山口に着いたのは10時20分であった。
県道から沢沿いに少し入ったところに「大入沢歩道」「山椒沢歩道」と書かれた木の標識があり、駐車スペースもあった(写真1)。
ここが西側からの登山口である。

この日は雨はさほど降らなかったが、前日、前々日の夜は大雨であった。
地形図を見ると、登山口からまずは沢を越えていく。
そして、その沢の水かさが増しているだろうことは見当がついた。

 まあ、飛び石に対岸に渡れるか木橋があるかだろうと、たかをくくっていた。
実際に見てみると、水深は深く木の棒で測ったが、50cmほどある。しかも流れが急である(写真2)。
かつて作ったであろう簡単な吊り橋か木橋の鉄線が木のくいを2〜3こぶら下げていた(写真3)。

 これからはそれほど水量が増えないことはわかっている。
この急な流れでは冷たい沢の中を渡渉することはできない。
しかし、丸太か適当な石が用意できれば沢に置き、渡ることができるかもしれない。
辺りを歩いて適当な材料を探したが、残念ながら発見することはできなかった。
伊豆での楽しみを残し帰路に着くことにした。

 県道59号線を北に向かってかなり走り、県道411号との分岐に出た(写真4)。
晴れていれば、展望もよくすばらしい高原だと思うが、視界10mの小雨である。
そのまま西方向の県道59号を下ると、国道414号に出る。
そこには「湯ヶ島温泉」がある。立ち寄ったが、13時からでまだオープンしていなかった。

 それで、修善寺温泉「筥湯」に行くことにした。
国道に出ると、天気は良くなくても週末の伊豆である。
渋滞で車はなかなか進まない。

 修善寺温泉に着いたのは12時過ぎであった。
日帰り公共浴場である「筥湯」は私の気に入っている温泉施設の1つである(写真5)。
露天風呂も石鹸も何もないが、ヒノキの香りとかけ流しの温泉がいい。

 温泉で2日間の汗と疲れを流して、すぐ近くにある修善寺に見学に行った(写真6)。
由緒ある寺であるので、しっかりお参りをし桜を眺めて車に戻った。

 朝からラジオはチリ地震の津波が14時頃沼津に来る、と報道していた。
通れないかも、とは思ったが渋滞を避け国道136号線から国道414号に向かった。

 沼津港近くを通過した時刻は14時前少し前であったが、警察や消防が動き始めたばかりであった。
車は多く、やや渋滞していたが、そこを抜けると国道1号線を富士市に向かった。

 あと少しで道の駅「富士」着くというところで全く動かなくなった。
国道1号も東名も通行止めになったのである。富士・清水間がである。
すなわち、東京・名古屋を結ぶ大動脈をすべて遮断したのである。
海に近い海岸に大動脈である国道1号線、東名高速道路、東海道新幹線、東海道本線とすべての輸送路が集中している。
海岸線が通れないとなると、細い山道に入り迂回する方法はある。

 津波警報の2時間くらいは通行止めでもすぐに解除になるからいいや、
と空き地に車を止めのんびり渋滞を見ながらNHKラジオを聴いて読書をしていた。
大学教授や専門家の話でわかったのは数時間は通行止めになる可能性があり、第1波より第2波、3波の方が大きくなるということである。
ただ、同じ内容の繰り返しばかりで知りたい報道がないのは残念であった。
16時には帰宅したいと考えていたが、夕食までには帰宅できないと言うことがわかった。

 また、時々見ていた、携帯電話のワンセグ放送でNHKラジオはテレビの内容をそのまま流していることもわかった。
映像があるとわかりやすいこともわかった。私の家のすぐ近くの地域まで避難勧告が出ていた。
携帯電話のバッテリーが残り少なくなり、情報収集はできなくなった。

 また、すぐに暗くもなるので空き地での読書は諦めて、富士市内の喫茶店を探す。
すぐに見つかり、コーヒーを飲みながら読書をして時間をつぶす。

 通行止めから7時間、時刻は21時になった。時々、チェックはしていたが通行止めはなかなか解除にならない。
また、せっかく入った喫茶店にはTVはなく、地元の人達は津波のことは気にならないようで、そんな話も聞こえてこなかった。
情報が十分ではなかったので、裏道をさがし帰路に着くことにした。

 裏道といっても、山が押し迫った由比の「さった峠(メルマガNo.233)」からの写真でわかるようにここが通れないと山梨県韮崎市から南下している国道52号線関係の道を通るしかない。
この国道52号線も清水IC手前で国道1号線に合流するので通行止めになっている。細い道を通って清水IC近くに出るしか方法がないのである。

 まずは、県道396号線から上流にある富士川橋をめざした。しかし、考えていることはみんな同じで、細い道さえ渋滞である。
橋を通過したのは21時50分頃であった。
富士川SAの横を通り山道の方に入ろうとしたが、そちらも渋滞であった。
逆に、川沿いに海の方向に車が流れている。よし、ついていこう!時速60〜70kmで快適に走る。

 着いたところは、「富士川河川敷スポーツ広場」近くの国道1号線であった。
前の車は国道1号線に入っていった。
対向車はなく、下りの車線もがらがらの国道を快適に飛ばす。
途中にゲートか警官の制止が出るのではないかとはらはらしていたが、清水ICまであっという間に着いてしまった。

 清水ICでは、東名高速に戻る他県ナンバーの多くの車が2列で渋滞していた。ETC1000円で遠出をして巻き込まれた人も多かっただろう。
その後もスムーズに走れ、1時間かからないで自宅に着くことが出来た。

 あとで、22時に通行止めが解除になったとの報道を聞いた(結局、富士市に8時間足止めされたことになる)。
まさに私が国道を通ったのが22時であったが、NHKラジオでも道路の標示でもそれを知ることができなかった。
民放はのんきに通常番組を流している所が多かった。
道路のきめ細かな通行止めや解除のなどの情報が知りたかった人は多いはずである。
(通行止めが具体的にどこなのか、迂回路はあるのか、ドライバーはどのように対処
したらよいのか、等々・・・)

 これほど厳しい交通規制をかけたので、影響を受けた人は多かったであろう。
有名人や政府高官にも足止めをされた人も大勢いたであろう。

 その後、津波避難の指示・勧告が出された地域の対象人数は167万人で従った人は3.8%であったことがわかった。
また、津波による「ビッグウェーブ」に乗るということで、1100人のサーファーが避難指示を無視していたこともわかった。
また津波の予想が過大だったため、気象庁は津波予測システムの改良を行うことになった。

 山には登れず、しかも帰り道で8時間も足止めされたが、ストレスをためずに帰宅することができた。
知り合いは東京から中央高速・国道52号と静岡に帰ってきたが、山梨県増穂町から渋滞が始まり、国道52号の裏道に大型車が入りすれ違うことができず、帰宅したのは午前0時を過ぎていたという。

 この2月28日は、多くの人にとって大変な1日であったであろう。次回の遠地津波の対応に生かされることを願っている。
  

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