2010.06.19 MM第310号
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2010年6月7日(月) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 富士宮五合目P8:31発−8:47新六合目(雲海荘)8:52−9:29新七合目(御来光荘)9:34−10:06元祖七合目(山口山荘) 10:13−10:41八合目(池田館)10:52−11:22九合目(萬年雪山荘)11:30−12:02九合五勺(胸突山荘)12:20− 12:44浅間大社奥宮13:06−13:21剣ヶ峰〈3776m〉13:25−13:32浅間大社奥宮13:40−13:52九合五勺− 14:00九合目14:05−14:16八合目14:21−14:43七合目14:48−15:09新七合目15:14−15:40新六合目15:45 −15:58富士宮五合目P 【 登り(富士宮ルート) 3時間29分 下り(富士宮ルート) 2時間00分 合計 5時間29分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
落石に対するコンクリートの壁を作っていた(写真1) | 新七合目はこんな雪だ(写真2) |
九合五勺は雪一色アイゼンで慎重に登る(写真3) | 浅間大社奥宮も屋根まで潜っている(写真4) |
最後の登りはアイゼンが効き夏より滑らない(写真5) | 剣ヶ峰の標識も雪に沈んでいた(写真6) |
【感想 等】 週末には梅雨前線が北上し梅雨に入るだろう、という天気予報であった。 それじゃあ、その前に富士山に行こう。 「6月の富士山に登る」、前々からそんな構想があった。 1月には山梨県側から6合目の経が岳(メルマガNo.295)まで歩いた。 佐藤小屋の親爺にも聞き、6月ならば私の技術でも何とか登れそうな感触を掴んだ。 この日はあいにく、不燃物の日であったので、回収開始の6時半を待ち古紙や空き缶を出してから家を出た。 月曜日ということもあり、国道139号線は富士宮で渋滞したが、8時過ぎには富士宮登山口に着いた。 車は2〜3台あった。 8時半、アイゼン、ピッケルを持ち出発した。 いつもは5時か6時には出発している。 今までの経験から、この時間に出発しても十分下山できるし、アイスバーンが溶けて歩きやすくなるのではないかと思い登ることにしたのである。 今日は晴れで、暖かだったので服装は普段着の長袖である。 持ってきていたフリースは置いていくことにした。 一番上の駐車場は進入禁止で工事をしていた。 昨年の7月に大きな石の落石があり車に直撃して亡くなるという事故があったので、頑丈な防御壁を作っているのだ(写真1)。 7月の山開きに間に合うように工事を進めているのだろう。多くの工事人が働いていた。 売店・食堂前のいつもの登山口から登り始める。 そこには日本語だけでなく、英語、中国語、韓国語など5カ国語で「雪が多いため6合目から上は通行止めになっている」と書かれた看板が付けられている。 標高2400mと書かれた看板のある登山口上からは山頂方向が見える。 登山口は森林限界にあるが、灌木の新芽はやっと芽吹いたばかりである。 上を見ると、8合目付近に雪が見えるが、雪はやや少なそうである。 公衆トイレを過ぎ、十数分で6合目雲海荘に着く。 どちらもまだ営業等はしていない。 7月・8月以外はトイレを使うこともできないし、山小屋でジュース等を買うこともなかなかできないのである。 富士山を紹介する本によっては、混み合う7・8月以外の登山を薦めるものもあるが私は初心者には7・8月を薦める。 いざというときの休息や暖等の安心がそこにあるからだ。 ここから宝永山への道と富士山頂への道が分かれる。富士宮口からの登山道は標識の下に青色が付けられている。 山小屋の名前「雲海荘」の通り、ちょうど雲海が目の高さに広がっている。 ここにも「通行を禁止する」という看板がある。 5分ほど休み、出発する。 中年女性2人がピッケルは持っているもののやや軽装で登ってくる。 私と同じように、遅いこの時間に山頂をめざすのか・・・。 歩いていくと、宝永山方向にガスが上ってきた。 ガスってしまったら嫌だな、と思いつつ歩いていたが、その心配はすぐに消えた。 雲海荘から30分ほど歩くと、雪があった。 下からは見えなかったが、はやり前回の7月1日の山開きの時より雪は多い。 そして、9時半頃、新7合目に着いた(写真2)。 写真のように雪は多いが、山小屋は日溜まりになっていて雪はない。 昨夏の富士登山に比べて、重く感じる。 体が重いのか、靴が重いのか・・・。 冬季用の登山靴は30年ほど前の底を張り替えた皮靴である。 重さは両方で2.6kgある。 無理をしないように、各駅停車で登ることに決めた。 すなわち、6ヶ所の山小屋で休憩しながら山頂をめざすことにした。 上の方で機械音がしていたが、それがキャタピラー車とショベルカーであることがわかった。 運搬用のブルの道を作っていた。 その車に追いつき、下に見えるようになった。 ただ残念がことは、その排気ガスが臭ってくることであった。ちょうど風上に車がいるのだ・・・。 10時過ぎ、元祖7合目に着いた。 ここまで来るとさすが雪の中を歩く。 まだアイゼンを付けなくても何とか歩くことができる。 10時半過ぎ、8合目に着いた。 これから先は全部雪の上を歩く。 傾斜も急になるので、スパッツとアイゼンを付ける。 真っ白な中を歩く。 光が当たるとサングラスに変わるという偏光眼鏡でもまぶしいくらいである。 なるべくきれいな写真を撮りたくてこの眼鏡にしたが、もっと色が濃いサングラスにすればよかったと、後悔した。 11時半近く、9合目に着いた。 山小屋はかなり雪で埋まっていてかろうじて屋根が出ている。 また、近くには雪に斜めの割れ目がいくつかある。 気を付けないとスポッツと足がはまりそうである。 12時、9合5勺に着いた。 山小屋は完全に雪に埋まっていて、少しだけ屋根が見える。 お腹がすいてきたので、座って休める屋根の所に行った。 昼食を取りながら山頂近くを登る人達を見ていた(写真3)。 彼らはザックにスキーやスノボーを付けて登っていた。 帰りはこの真っ白な雪面をあっという間に滑り降りるのだろう。 うらやましい限りであるが、私にはとうていそんなことはできない。 ここからが急な登りである。 帽子も目出し帽に換え、セーターを着た。 ここは雪がなければ、ジグザグな道が付いている。 足跡を見ると、みなさん直登である。 私も息を切らしながら、ゆっくりまっすぐに登って行く。 アイゼンが効くので、余程のことがない限り、滑落することはない。 ただ、場所によって雪質は違うが、ザラメ雪の下には凍った雪があり慎重に登る。 12時半過ぎ、富士宮口の山頂、浅間大社奥宮に着いた。 スキーやスノボーを担いで登ってきた人達が休んでいた。 雪は思ったより深く、神社の鳥居が半分埋まり、奥宮も屋根下までの雪であった(写真4)。 汗はかかなかった。 寒くもなく暑くもない。 歩く速さもちょうどよかったのだろう。 少し休んでから、カメラだけを持ち3776mの剣ヶ峰に向かった。 頂上富士館の裏にある立派な公衆便所も雪で多くが埋まっていた。 風は少しはあるものの、体が飛ばされるほどではない。 スキーを履いた2人組が散策から戻ってきたので、山頂方向に向かっているのは私1人である。 正面に見える頂上付近は真っ白である(写真5)。 7月から11月までの5ヶ月は登ったことがあるが、そこが今まで登ったどの月とも違うところである。 また、火口の壁面も岩肌は見えるものの、雪が付いている。 13時過ぎ、奥宮からは15分で剣ヶ峰(標高3776m)に着いた。 富士山頂は雪が飛ばされてそれほどたくさんはないと想像していたが、旧測候所の建物があるので「日本最高峰富士山頂」の標識は半分ほど雪に埋まっていた。(写真6) また、建物も屋根まで雪が覆っていた。 山頂に立っているのは私1人である。 今、日本のてっぺんに立っている。 雪は多いものの、そこには毎年見ている風景が広がっている。 昨夏の標識前での写真取りの順番待ちが、うそのようである。 雪が多く、山頂には休むような所はない。また、荷物も置いてきている。 それで、奥宮に戻ってから休むことにする。 下りもアイゼンがよく効き、滑ることなく下山する。 7分で戻ったが、もうスキーヤー達は下山した後であった。 頂上富士館の屋根に腰をかけ水筒の甘い紅茶と行動食を食する。 一時的に雲がかかり少し暗くなった。 もしかすると今富士山の高いとことにいるのは私一人か、と少し不安になってきた。 時計の針は、まだ13時40分である。暗くなるまでにはまだ4時間以上ある。 少し寒くなったので、下山することにした。 いつものように、ゴミを拾いながら・・・。 9合目近くで単独で登ってくる人に会った。 まだこの時間に登ってくるのか、と少し驚いたが・・・。 私と同じ時刻頃登り始めていた中年女性2人組が見えないので、会ったか否か聞いてみた。 彼女たちは宝永山の方へ向かったという。 重い冬用の登山靴はつま先に力がかかりやすく爪を痛めやすいので、下りは気をつけて降りるようにしている。 無理をしないように山小屋で休憩を取りつつ下る。 アイゼンは7合目ではずした。 軽装の70歳くらいの髭をはやした男性がよろよろと思ってきた。 「山頂までは無理ですよ。山小屋はやっていないし、明日は雨ですよ。」と声をかけると、 「そうですよね。」と言いながらもゆっくり登っていった。どうするつもりなのだろうか。 また6合目の上では、中国からの4人家族に出会った。 厚底靴を履いた40歳代の奥さんが転んだりしていた。 7合目の山小屋を指さし、「あそこまで行きたい」という。 9歳くらいの子どもはいるし、普段着のお母さんが危なっかしいので、「もうすぐ4時です。だんだん寒くなりますよ、小屋までは遠いですよ。」と、日本語と片言の英語・中国語で話す。 久しぶりに使った片言の中国語であったが、通じた。 15時半過ぎ、新六合目近くまで降りた。 ハイマツのような背の低い木はまだ新芽が出たばかりであった(ハイマツは常緑樹であるからいつも青々と葉がある)。 上を見るとあの中国人の家族は同じ場所でまだ止まっていた。 宝永山方向や山頂付近からガスが下りてきていた。 16時近く、駐車場に着いた。 駐車場にある「売店・食堂」の入口に『営業中』の立て看板があった。 車も数台有り、10人前後の観光客が歩いていた。 観光客にとっては16時という時刻は、それほど遅い時刻ではなかった。 下山中に回収したゴミはそれほど多くはなかったが、ペットボトルや電池等あった(写真7)。 特に今回はティッシュが多かった。 拾えなかったが、新6合目の雲海荘の下にはペットボトルやゴミがたくさん投げ捨てられていた。 帰りは春を満喫するドライブであった。 No.8から14までの写真を見ていただきたい(写真8〜写真14)。 標高2400mの5合目から下っていくと、徐々に木の芽の芽吹きが多くなる。 そして、道路脇の草は黄色や白の花を咲かせている。 桜の木もちょうど満開である。 もう少し下るとミツバツツジが満開だ。 平地は6月で初夏であるが、高度を上げるに連れて徐々に、晩春、盛春、初春、晩冬・・・と変化していく。 しかも、その変化は日本一である。 これが日本で一番高い山の良さである。 雪は多かったが梅雨前の富士山に楽しく登れて良かった。 また、駐車場から車で移動した富士山スカイラインも春を堪能できて良かった。 下山後、3日で顔の皮がむけてきた。 それほど、日差しや紫外線が強かった。 |
富士山下山中に拾ったごみ(写真7) | 早春がそこにあった。ヘビイチゴの花?(写真8) |
道路脇に一面の花である(写真9) | 写真8のシロバナか?(写真10) |
桜も咲いていた(写真11) | 麓は夏、ここは春、そして山頂は冬、1年がある(写真12) |
ミツバツツジも満開だ(写真13) | 新緑もきれいだ(写真14) |