2010.10.10 MM第322号
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2010年8月23日(月) 【天候】 小雨のち曇り 【コース及び時間】 10:10黄龍入口〈3200m〉−10:40蓮台飛瀑−10:50盆景池−11:38黄龍中寺−11:45ロープウェイからの道と合流− 11:54黄龍古寺(分岐)−(時計回り)−12:05五彩池〈3700m〉−黄龍古寺(分岐)−13:25迎賓池13:55−14:00黄龍入口 ( かかった時間 3時間20分 ) *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。歩き方で全く変わりますので、あくまでも参考タイムにしてください。 |
「蓮台飛瀑」だ。日本では見かけない感じの滝だ。(写真1) | 「黄龍」の名前にもなった黄色の龍に似た長い流れ(写真2) |
洪水で流された木道(写真3) | 「黄龍中寺」まで来れば五彩池は近い(写真4) |
「五彩池」は黄龍の目玉〈標高3700m〉(写真5) | 300mくらいの間隔でいる掃除人(写真6) |
【感想 等】 この「黄龍」は、「九寨溝(メルマガNo.321)」と共に1992年に世界遺産に指定された長さ7.5kmの渓谷である。 「九寨溝黄龍空港」から南東に位置し、九寨溝(空港の北東)よりやや近い場所にある。 私は、前日、九寨溝を歩き、その足でバスターミナルを確かめてから宿に戻った。 宿は、九寨溝旅遊センターから西に約2kmであったが、バスターミナルは東に2kmほどあった。 合わせて4kmの距離、やれやれであった。 途中の土産物屋は閑古鳥が鳴いていて、閉まっていたり店員が麻雀をやったりしていた。 小さなバスターミナルにはほとんど人がいなかったが、場所は確認できた。 黄龍行きのバスのことを訪ねると、「明日7時に来ればいい」という人と、「7時半にバスが出る」という人がいた。 どっちが本当なんだよ!、と思ったが中国語がそれほど流暢ではない。 私のガイドブックには1日1本、7時出発と出ていた。 ということで、朝6時に起き支度をした。 宿のフロントは起きていなかったので、部屋の鍵をそのまま置きタクシーでバスターミナルに向かった。 時々小雨の天気である。 バスターミナルには2台のバスが止まっていたが、「黄龍行き」のバスは見あたらなかった。 片言の中国語で聞いたが、十分な返事はもらえなかった。 7時10分前になってもバスはいず、途方に暮れてしまった。 何人かが行った建物の窓の所に行くと、そこが切符売り場になっていた。 そこで、「黄龍行きは何時か」聞くと、「明日7時」だという。 大足から楽山行きバスで同様なことがあったので、下見をして確かめたのだがまたしても失敗であった。 1日1本の公共バスが、客が少ないからといい1日おきに1本にするということは日本の常識では考えられない。 他にそこまで行く手段はないのである。 もっとも、個人旅行者はほとんどいず、外国人も中国人も団体旅行である。 九寨溝の中でも単独で歩いている人はほとんど見かけなかった。 仕方がないので、タクシーで行くことに決めた。 料金は400元(約5600円)だという。バスの10倍である。 200km以上あり、メーターで走ってももっと料金はかかる、という。 客待ちをしている何台かのドライバーに聞いたが、協定しているのか、ほぼ同じ答えであった。 そこで、私のように黄龍に行きたくてバスターミナルに来た相乗りできる人を捜した。 何人かに声をかけたが、なかなか黄龍に行く人は見つからなかった。 7時半、自分が決めたぎりぎりの時間に黄龍に行く外国人を見つけた(30分探していなかったら諦めようと決めた)。 しかし、彼女は黄龍行きは翌日の予定で、確かめにバスターミナルに来たのだった。 「先に黄龍に変えてもいいけど、相談させて」と5分ほど考え、「ごめんね。やはり、明日にすると言った。」 当初の計画を変えるのはそんなに楽ではないことはわかっているので、仕方ないことである。 あきらめて、また数台のタクシーと料金を交渉した。 40才代の女性ドライバーが250元でいい、と言ってくれた。 客は少なく、多くのタクシーが1日ほとんど収入もないまま終わってしまうのであるから彼女は現実的な選択である。 ラッキー!! これで決まった。 1人タクシーで黄龍に向かう。 彼女は、「話がしやすいように助手席に乗って!」と言ってくる。 交通事故の場合を考えて、なるべく助手席には乗りたくなかったがまあ中国語の勉強をしながら行こうかと、 荷物を後部座席に置き、景色が見やすい助手席に乗りシートベルトをしっかり締めた。 彼女は走りながら、なんと道路で待っている知り合いにどこに行くか、声をかけていく。 2人目の女性に声をかけたとき、「乗って!」と20代の女性を後部座席に乗せた。 自分がチャーターしたのに・・・とあきれたが、値切ったので、まあいいか、と思うことにした。 それは、発展途上国では時々あることである。 タクシーの4座席の空間と時間を客に売ったのだ、という意識がないのだろう。 女性は空港への途中にあるリゾートホテルに勤めているということである。 そのリゾートホテルは、信号もない道を飛ばし30分ほど走ったところにあったので、20kmほど離れているだろうか。 道路から奥まった山の中腹に立派なホテルがあった。 予定外のタクシー移動で、中国元が不足するのが心配である。 九寨溝と同様、黄龍の入場料も高い。値上げしていなければ、200元だ。 念のためこの大型リゾートホテルで、ATMでお金を引き出しておく。 (バスターミナル近くにも銀行にATMはあったが、お金の心配は思いつかなかった。) 7時半過ぎにタクシーに乗った。 かなりのスピードで走っているが、なかなか目的地には着かない。 私のガイドブックにも「九寨溝」、空港、「黄龍」の位置関係がはっきり書かれていないので、場所がイメージできない。 ガイドブックには、黄龍は「松藩」という町の近くなのか、その項目に書かれている。 空港への道から右折し、集落を通り過ぎた。 ここからは見たことがない街並みである。 しばらくすると登りになった。 どこまでも登って行く。 九寨溝黄龍空港が標高3500m、黄龍のゲートが3200m、それで標高差−300mだ。 なのでまさか登っていくとは思わなかった。 9時40分、山の上の道に着いたと思ったらなんとちらほら雪が降ってきた。 (ネットで調べると雪宝峠といい、標高は4120mであるようだ) 地球温暖化の影響もあり、暑い地球である。日本では連日猛暑日だというのに降雪である。 この辺の道は工事中の所も多く、未舗装になった。 そんな道をヤクの大群がのんびり横切っている。 もちろん、森林限界は越えているので、草や灌木が生えているところと岩がむき出しの所がある。 タクシーは峠を下っていく。 すると、道路に料金所がありドライバーから10元の請求があったので渡す。それは常設ではない感じだが・・・ 11時7分、黄龍のゲートに着いた。合計3時間半かかったことになる。ずいぶん遠かったし、多くのタクシーが400元というわけである。 私の片言の中国語はある程度通じたが、ドライバーの彼女は不十分と思ったようだ。 それで、日本語のできるという彼女の友人に携帯電話をつなげてくれた。 それで、帰路も送ってもらうということで400元で交渉がまとまった。 ただ、黄龍から下山後泊まるつもりでいた「松藩(紀元前からの歴史を持つ城壁で囲まれた街)」は途中までしか車が入れなく、乗り換えていかなければならないと言う。また、翌日のフライトが早いのなら空港まで遠いし、間に合うように出発するのは大変だ、と言う。 どこまで信じて良いかはわからなかったが、厚意を信じ泊まる予定を空港近くの集落にすることにした。そして、そこまでタクシーで送ってくれることになった(当初、下山後ゲート近くでタクシーを拾えばいい、と簡単に考えていたが、閑古鳥が鳴いているのでそれはやめた)。 登山中、荷物が心配だったので、預けるか持って歩こうとしたら、タクシードライバーはあわてて「重いから置いていけばいいじゃん」と言うように動作を交えて言った。 そうか、代金も払っていないし、逃げられないためには荷物を預かっておくという手があるんだ・・・、とわかり必要な物と、貴重品は持って切符売り場に向かった。まあ荷物が軽くなって良かった。待ち合わせの時刻は14時から14時半だ。 ロープウェイで行くか否か迷ったが、時間もあるので全部歩くことにした。標高差500m、片道4342mである。 切手も付いているハガキ付きの立派な厚手の入場券を手に、ゲートに向かう。 ゲートには軍人が直立不動で警備をしている(どうして?)。 しかも、小雨のためか、入場者が私以外にいない。 不思議でならない。 これじゃあ、バスも運休になってもおかしくない。 ゲートは標高32000mにあるが、松の樹林帯の中の立派な木道を進む。 九寨溝と同じように、入場料は高いがこちらも良く整備されている。 歩き始めて数分で、川底が黄土色の流れに出た。 そして、九寨溝の「五花池」に少し似た色の池が、樹林の中の棚田に現れた。 それらの風景は九寨溝同様、氷河の活動により作られたという。 また、この黄土色は、水酸化カルシウムが沈着した物だそうだ。 黄土色の川底はずっと上の方まで続いている。 ゲートから20分ほど歩くと「飛瀑流輝」に着いた。 これは九寨溝の「五花池」によく似た色の池が並んでいた。 その先には「蓮台飛瀑」が見える。 この蓮台飛瀑は、日本では見かけない感じの滝だ(写真1)。 黄土色の川底に苔が生え、独特な色合いを出している。 その先は「黄龍」の名前にふさわしい、長い黄土色の流れが続く。 黄色(イエロー)の龍(ドラゴン)、上空から見たらそのように見えるだろう。 そのイエロードラゴンのすぐ横を木道が続く(写真2)。 九寨溝の文でも書いたが、日本ではこれほどダイナミックな自然の中に木道は作らない。 自然を壊さないようにと言う発想が先に立ってしまう。 また、傾斜が急で川の流れが早い日本では、安全性を考え手に取るような場所に木道を作ることはできないであろう。 大水でこれらの木道は流されないのか、と考えつつ歩いているとあった! 流水の中州に向かう木道が流されていた(写真3)。 大水が出れば、いつ流されてもおかしくないところに木道は続いている。 人がいないと思ったが、10人ぐらいの中国人の団体に追いついた。 きっと多くの人達はロープウェイを使って上がり、帰りに見ながら下るのだ。 小雨の中、傘を差し、どんどん歩いていく。 花もそうであるが、松にしろ他の木々にしろ日本と同じアジアの気候帯に属するので似ている。 シャクナゲの木もあった。 11時半過ぎ、山の中腹に「黄龍中寺」が見えてきた。 疲れてはいないが、かなり登った感じだ。 黄龍中寺は戸が閉まり、辺りは閑散としていた(写真4)。 ここには唯一の休息センターがあり、昼食を取ることもできる。 この休息センターでもほとんど人がいないということは、いかに入場者が少ないか、という事である。 ここまで来れば「五彩池」は近い。 黄龍中寺から数分登ったところで、ロープウェイからの道と合流した。 100mくらいの間を開け、10人ほどのグループが3組歩いてくるのが見えた。 12時少し前、黄龍古寺に着いた。 ここから「五彩池」に行く道が2つある。右回りと左回りである。 どちらでもたいして変わらないが、右回りに歩いていく。 徐々にあのライステラスの棚田のようになったいくつもの池に水色のきれいな水面が見えてくる。 それを眺め眺め登っていく。 小雨のためか、やや発色が良くない。 十分きれいだが、写真が思ったようには撮れない。 一番奥まったところが広々とした半円形の板敷きになっている。 ここがゴールだ。 しばらく眺めていた。 濡れていて座ることもできないので、少し下がったところにある東屋で休憩することにした。 木道は少し登りやや上から五彩池を見下ろせるところに出た(写真5)。 ここからが一番きれいだ。 少しガスがかかった上の山も見える。 黄龍古寺の少し先にある東屋で行動食を食べながら休憩する。 お菓子の袋が落ちていて、その中にあるビスケットのかけらを小鳥がつついている。 私から1mも離れていないのに逃げない。 人間が危害を加えないことを学習しているのだ。 さあ、あとは下りだけだ。 まだ十分時間はある。のんびり下る。 雨は上がったが、空はそれほど明るくない。 黄龍は九寨溝のように渓谷脇に車道がない。 巾2mくらいのコンクリート道はあるが、大雨で所々が崩れ不通になっている。 山の中だという事もあり、見所には監視所のようなものがあり、監視員がいる。 また、300mおきくらいに掃除人がいて、ごみを掃いている(写真6)。 監視員といい掃除人といい、地域住民の雇用にはいいが・・・。 日本を観光した中国人が驚くのは、日本の道路等にゴミが落ちていないというきれいさである。 しかも掃除をする人はそれほどいない。 私は「日本人の公徳心」で説明する。 かつて、天安門広場から故旧博物院に向かったとき、道路脇にあまりにもゴミが散乱していたのを今でも思い出す。 他の街で似たようなものであった。 この黄龍の掃除人は世界遺産としての黄龍の美しさに恥じない木道のきれいさを保つために頑張っていた。 13時半、入口近くのビューポイント「迎賓池」に着いた。 まだタクシーとの待ち合わせには30分もある。そこで、景色を見ながらここで休むことにした。 今回の中国旅行もあとは成都経由で昆明に行くだけだ。 いろいろなハプニングがあり楽しめた旅行を振り返った。 14時過ぎ、ゲートを出るとタクシードライバーが笑顔で手を振ってきた。 すぐにホテルに向かって出発したが、4000mを越える峠では道を修復する工事が行われていてまたされた。 工事の人達は、軍人が着る冬用のオーバーを着ていた。本物の軍人かもしれないが、いかに寒いかということである。 1時間ほど走り車は峠から下り、空港近くというその町に着いた。 その町は廃墟であった。 建物も道路も修理中で、タクシーが入れず上の道路から10mくらいの坂を歩いて町に入った。 しかも道路はどろ道で歩きずらかった。 あとでわかったのは、2008年5月の四川大地震で崩れその修復をしているということであった。 田舎の町は地震から2年経ってもほとんど修復できないでいたのだ。 「ホテルまで送る」という約束をしてあったので、渋る彼女を連れてどろ道を歩いていった。 大きめのホテルを見つけ、ようやく交渉がまとまった。 そのホテルも建物の半分は修理中であった。 部屋に荷物を置き、町を歩いた。 土産物店では日本語が聞こえてきた。 ここには日本人観光客も来るのだろう、店のおばさんが日本語を話せるのだ。 ヤクの手袋を買わないか、と言うので「10元なら買う」と言ったら、それでいい、という。 あまり必要ではなかったが、買ってしまった。毛皮の手袋がわずか140円である。 いくら閑古鳥が鳴いている廃墟の町でも安すぎである。 15時過ぎから過ごしたこの町では、まだまだ面白いことがあった・・・。 この空港近くの廃墟の町の名前を知りたくてフロントで聞くと、「川主寺」という名前であった。 空港まで30分だという。朝早いのでフロントを通して予約して早めに就寝した。 |