2011.01.24 MM第336号
*下に私の感想等の文があります。
メールアドレスを登録していただきますと、この文章が「無料メールマガジン」で毎週あなたに届きます。
【歩いた日】 2011年1月5日(日) 【天候】 快晴 【コース及び時間】 鳥坂登山口9:24発−9:41尾根道−9:48梶原山〈216m〉9:53−10:02霊山寺分岐−10:03帆掛山(一本松公園) 〈304m〉10:11−10:23霊山寺−10:33霊山寺登山口P 【 登り(鳥坂〜梶原山) 24分 (梶原山〜帆掛山) 10分 下り(霊山寺) 22分 合計 56分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。歩き方で全く変わりますので、あくまでも参考タイムにしてください。 また、温泉等の料金もよく変わりますので、あくまでもその時の料金です。 |
「梶原山登山口」に引き寄せられ・・・(写真1) | 街並みと日本平が見えてくる(写真2) |
梶原山から三保半島と伊豆半島が見える(写真3) | 立派な門と注連飾りの帆掛山の山頂(写真4) |
帆掛山からも富士山が見える(写真5) | 立派な造りの霊山寺(写真6) |
【感想 等】 風も弱く快晴の正月5日、静岡市内の今まで気になっていた低山に出かけた。 その1つはJR草薙駅周辺から見るとの南にある200m〜300mの低い尾根である。 静清バイパスと東名高速道路が交錯しているすぐ南にある。 20歳代の頃、職場が草薙近くにあったので気になっていた。 また、長崎ICからバイパスを利用することも多いので、よく目にしていた。 近くには「大内観音前」というバス停もあり、どこに大内観音があるのかも気になっていた。 いつものようにシティーサイクルを車に積み、出かけた。 この尾根は里山なので、登山口はたくさんある。 また、車でも登ることができる。 どうせ歩くなら帆掛山から梶原山まで2つのピークを縦走しようと考え、大内から登り車を置くことができる光鏡院に下ろうと決めた。 9時過ぎに着いた瀬名にある光鏡院は葬式の準備をしていた。 トイレを借りながら山門の2体の立派な金剛力士像を見た。 寺の説明の看板もあり、15世紀に建てられた由緒ある寺であることがわかった。 車から自転車を取りだし、県道201号線から67号線に入り、東に進んでいく。 鳥坂で「梶原山」という標識を見つけた(写真1)。 何を思ったか、その標識につられ、左折して梶原山登山口に着いた。 地図を見れば当初の計画と違うのは明らかなのに・・・。 (いつもこんなミスばかりである) 自治会館先に駐車場があったのでその隅に自転車を置いて山の方に歩いていく。 山の裾には「梶原山入口」のうす茶色に着色したコンクリートの標識があった。 その前には軽自動車が1台止まっていた。 9時半少し前歩き始める。 手作りの「梶原山ハイキングコース ゆっくり歩いて40分」という看板もある。 荷物運搬用のモノラックのある急坂を登っていくと、すぐに眼下の展望が開けてくる(写真2)。 畑にはみかんの実が付いている木もある。 その向こうには日本平のなだらかな山並みが見える。 日本平といえば、好きでよく行ったものだ。 ほとんどが車で行き、展望を楽しむ、というものだったが、2004年には草薙神社から歩いて登った(メルマガNo.136)。 そんなことを考えていると、「あれ、霊山寺から登るんじゃなかったかな?」と思い地図を見ると登口を間違えていた。 登り始めて5分しか経っていないので引き返すことは簡単であったが、梶原山に登り帆掛山に向かうというコースに変更した。 (下山後、大内観音前あたりから自転車のあるここまで歩かなくてはならないが、自業自得) 西に延びる東名高速道路も見えてくる。 「昭和20年4月8日未明 米軍機B29より 爆弾投下現場」なる看板もある。 グアムから富士山を目印に飛来し、平野の人口集中地帯に爆弾を落とされたり、帰路の燃料を節約するために余った爆弾を投下していったりしたという。 自分が現在、戦争の遺族会の地域班長であることも思い出した(遺族年金はもらってはいないが・・・)。 父親の兄が戦死している。あれからもう60年以上が過ぎている・・・。 10数分で尾根道に出た。 尾根の道も木が少なく見晴らしがいい。 分岐からわずか4分で、梶原山(標高216m)であった。 山頂の東屋では年輩者が10人近く休んでいて世間話に花が咲いていた。 「梶原景時終焉之地」という石碑もある。12世紀、鎌倉幕府を開いた源頼朝の家臣であった梶原一族が亡くなった場所である。 そこからこの山名が付いたのだろう。 東に目をやると、三保半島が見え、その向こうに伊豆半島も見える(写真3)。 もちろん、北東には雪を頂いた富士山も見える。 高さもそれほどなく展望がよいこの山が整備され人気がある理由がわかった。 南西を見れば、市内が展望でき、だいだらぼっちが土砂をこぼしていったように小さな「谷津山」と「八幡山」が見える。 その向こうには焼津アルプスの山々が連なっている。 北方向には静岡市の多くの山々が見渡せる。 喉を潤し、「帆掛山(標高304m)」に向かう。 なだらかな尾根道を展望を楽しみながら歩く。 日陰の草はまだ霜が残っている。 高度を上げながら竹林を抜けると、こんもり盛り上がったピークが見えた。 その手前が霊山寺への分岐である。 分岐から茶畑を見ながら登っていくと「1本松公園」と書かれ、注連飾りの付いた立派な門があった(写真4)。 周りに高い山はないのでここが帆掛山であることはすぐにわかった。 「帆掛山」のプレートがないか、探したが見つからなかった。 どうも最近は「一本松公園」というのが正式名のようである。 (地形図には「梶原山」も「帆掛山」、「一本松公園」の表示もない。県別マップル道路地図にもそれらはでていない) 辺りを探すと、「標高304.30m」という表示と共に三角点があった。 標高も帆掛山資料と同じである。 ここも梶原山と同じように、東屋で年輩者が10人くらい楽しそうに話をしていた。 その中の1人によると、この山に帆を掛けて港に入ってくる船の目印にしたということである。 それが山名の由来だという。 この素敵な名前の表示がないのが残念である。 かつてはあったであろう大きな「一本松」も枯れたのであろう。見あたらない。 ここからも富士山がよく見える(写真5)。 もちろん、駿河湾や清水港、伊豆半島などもよく見える。 少し休んで「霊山寺」に下る。 杉林の中のよく整備された山道を下っていく。 10分余下ると中腹にある「霊山寺」に着いた(写真6)。 なかなか立派な寺である。仁王門は国指定の重要文化財であると書かれている。 寺からはきれいに造られた石段を下る。 参道には四丁目等の石柱が立てられている。 16世紀、室町時代末期から使われたであろう石段と表示である(新しい表示は作り直されたものである) 10時半、登山口に着いた。 ここには車が何台も止まっている。よい駐車場があるのだ。 約1時間の楽しい山歩きであった。 さあ、自分のドジから鳥坂まで歩かなくてはならない。 バス停3つ分であるから大したことではない。 「大内観音前」バス停近くに老婆がいたので「大内観音」はどこかを訪ねると、それは今寄ってきた「霊山寺」のことであった。 バス停はあっても地図上に大内観音がないという謎が1つ解けた。 |