2011.08.18 MM第359号
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2011年7月27日(水) 【天候】 雨のち曇り 【コース及び時間】 [ 1回目 (No.358)] 富士宮口5:00出発−5:12六合目雲海荘−5:45新七合目5:50−6:18元祖七合目6:23−6:45八合目6:50− 7:12九合目7:19−7:34九合五勺7:41−8:03浅間大社奥宮(富士宮口山頂)8:08−8:21剣ヶ峰〈3776m〉 8:26−8:32浅間大社奥宮8:42−9:00久須志神社(富士吉田口山頂)9:03−9:24本八合目9:30−9:34 吉田・須走り分岐−10:15七合目トイレ10:21−10:41六合目指導センター−11:04小御岳神社(富士スバルライン五合目)− 【 登り 2時間47分(富士宮口から) 下り 2時間13分(富士吉田口へ) 計 5時間 】 [ 2回目 ] 小御岳神社(富士スバルライン五合目)11:08発−11:41六合目指導センター−12:06/14−12:43七合目12:48− 13:24八合目太子館13:29−13:54八合目白雲荘14:00−14:26本八合目トモエ館14:31−15:01九合目15:06− 15:32久須志神社(富士吉田口山頂)15:41−15:55浅間大社奥宮(富士宮口山頂)16:00−16:10剣ヶ峰〈3776m〉 16:13−16:18浅間大社奥宮−16:43九合目萬年雪山荘16:48−17:19元祖七合目山口山荘17:24−18:00六合目 雲海荘18:05−18:13富士宮口(富士スカイライン五合目)P 【 登り 4時間14分(富士吉田口から) 下り 1時間45分(富士宮口へ) 計 5時間59分 】 *コースタイムは道迷いや写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。歩き方で全く変わりますので、あくまでも参考タイムにしてください。 また、温泉等の料金もよく変わりますので、あくまでもその時の料金です。 |
小御嶽神社から2回目の出発だ(写真1) | 落石防止の柵と小屋が続く(写真2) |
雨がやみ低い位置に虹が出る(写真3) | 岩がごつごつして登りにくい(写真4) |
山頂が見えてくる、あと少しだ(写真5) | 富士吉田山頂の久須志神社は静かだ(写真6) |
1日2度目の剣ヶ峰3776mに着く(写真7) | 下っていると258人の高校生が登ってくる(写真8) |
【感想 等】 私にもできるかやってみようと言うことで今回挑戦することにした富士山1日2回登り。 前半の富士宮口から登り、剣ヶ峰に立ち富士吉田口に下るコースは前号で書いた(メルマガNo.358)。 今回は「富士吉田口(富士スバルライン五合目)から3776mの剣が峰に登り、富士宮口(富士スカイライン五合目)に下るコース」である。 午前11時過ぎ、富士スバルライン五合目にある小御岳神社ではお参りするだけにして出発した(写真1)。 天候が良くない日の登山口では、他に見所があるわけではないので、小御岳神社は人でごった返していた。 雨は本格的に降ってきた。 富士山上部はガスがかかり、全体もぼんやりしか見えない。 その中を団体や小グループがいくつも断続的の登っていく。 私も先ほど下ってきたなだらかな道を登って行く。 六合目指導センターには11時半過ぎに着いた。 疲れは全くないので、休まずに登ることにする。 ここからは下山道と登山道が別々になる。 落石防止の柵の横をジグザグに登っていく(写真2)。 私にとって、今まで歩いたことがない道である。 富士山の上の方にはたくさんの小屋が並んで見える。 20万人を収容するにはたくさんの小屋が必要である(日帰りもいるので20万人というのはオーバーではあるが、小屋を地図で数えたら16軒あった)。 やや傾斜が増し、徐々に疲れがたまってくる。 少し無理をして下って来たのが足にきているのだろうか・・・。 ちょっと休憩してから、また歩き出す。 休憩した人が忘れたであろう金剛杖が落石防止の柵に立てかけてある。 沸き立った雲の向こうに河口湖が見えてくる。 この悪天候の中、大団体で登っている人達もある。 10人を超えるとリーダーは大変だろうと思いながら後をついて行く。 12時半、その30人くらいの団体をやっと追い抜き、最初の小屋「花小屋」に着いた。 ここからは少し風景が変わる。 火山灰の小石混じりの砂地から固まった火山灰の岩になる。 場所によっては足だけでなく、手も使って登らないと安全には歩けない。 前の人を追い抜くタイミングも考えないと行けない。 まあ、そんなに混んではいないので、なんとか自分のペースで歩けそうではあるが・・・。 「日の出館」「七合目トモエ館」「鎌岩館」「富士一館」「鳥居館」と数珠つなぎに並んでいた。 砂地や浮き石の斜面より固まった岩の方の中の方が落石はない。 岩ばかりでは造れないが、この辺はちょうど小屋が造りやすいのかもしれない。 また岩場になった。 登ってきたところを振り返ると眼下に虹が見える(写真3)。 半円ではなくやや直線的な弧を描いてかなり下の方に虹が見えるなんて、久しぶりの光景である。 山の上ならではの虹である。 またまた団体である。しかも小学生の子供たちの団体である(写真4)。 いくら遅くても、こんな場所では追い抜くことはできない。 体力をためてこの上の小屋で抜こう。 13時半、やっと八合目だ。「太子館(3020m)」に着いた。 雨はほとんどやんだが、風が出てきた。 しかも向かい風である。 傾斜も急になり2倍疲れる感じである。 「蓬莱館」を過ぎ、次の「白雲荘」が遠い。 やっと山頂の稜線が見えてきた(写真5)。 近くに見えても遠いのが山である。 太子館から白雲荘(標高3200m)までは30分近くかかった。 ここまで上がると富士五湖の河口湖も山中湖もはっきり見える。 周りの山々も遠くの北アルプスも雲海から顔を出している。 また山小屋の列である。 「元祖室」「富士山ホテル」「トモエ館」と続いた。 しかもすべて八合目にある。 太子館から1時間かかったことになる。 山小屋をたくさん越えてきたので山頂へ着くくらい歩いた感じである。 14時半過ぎ、八合五勺の「御来光館(標高3450m)」の所でガスが出てきた。 というより、富士山上部にあったガスの中に入った。 向かい風の影響もあり、足取りは重い。 歩いている人も少ない。 ここからは山頂まで山小屋はない。 「九合目久須志神社(標高3600m)」で少し休んでから山頂に向かう。 あと少しであるが、なかなか前に進まない。 どうしても疲れたら宿泊も考えればいい。 暗くなったら山小屋に泊まってもいい、なんていう思いも浮かんだ。 15時半過ぎ、やっと富士吉田口山頂である久須志神社に着いた(写真6)。 4時間半近く掛かった。 富士宮口山頂である浅間大社奥宮に3時間で着いたことを考えるとずいぶんかかった。 (もっとも登りはじめの標高が100m違うし、コースも違うので簡単には比較はできないが・・・) 久須志神社周辺は9時に来たときよりもっと人影がなかった。 神社の戸も閉まっていてひっそりとしていた。 ここ久須志神社が山頂ではない。ここの標高は3715mである。 しばらく休んでから3776mの剣ヶ峰に向かった。 火口の周りはガスってぼんやりと見えるだけである。 風を受けながら進む。 それほどの登りではないのでこれまでの向かい風の登りに比べれば大変ではない。 16時近く、浅間大社奥宮(富士宮口山頂)に着く。 ここにも人はほとんどいない。 近くの有料トイレでは担当者が閉めていた。 ボランティアか何かの人だと思ったが、山頂にある小屋の人が交代でやっているそうである。 馬の背もガスで霞んでいる。 一人、一歩一歩登っていく。 16時10分、本日2度目の剣ヶ峰の山頂に着いた。 不思議というかラッキーというかガスが晴れてきた。 私はその空に向かって「やった2度目の登頂だ!」と手を上げ写真に納めた(写真7)。 人がいない富士山頂、剣ヶ峰。 ガスが晴れて見えてきた噴火口をまじまじ見る。 登ったことのない人にはわからないこの荒涼とした男性的な風景。 遠くから眺める女性的でなだらかな姿とは全く違った荒々しさである。 私はその両方が好きである。 もう16時を過ぎている。 1日25000人が昼夜関係なく登る富士山ではあるが、日が暮れるまでに下りたい。 さあ、慣れた山道を下っていく。 富士吉田からの登りで感じた疲れは忘れ、思った以上に歩ける。 でも、膝が笑わないように定期的に休憩を取りながら下る。 山頂にはいなかったが、私と同じように今下っていく人達もいる。 七合目を過ぎるとすごい人数の高校生の団体が登ってきた(写真8)。 聞くと258人だという。 17時半、休んでいるところを交差してつづら折りの道を下っていく。 と、20cmくらいの石が2つ落ちてきた。 10mくらい手前に転がっていったが、危ないところである。 その形からして、富士山は落石が多い。 事前に、彼らにどんな指導をしたかはわからないが、休んでいる人が斜面の石を触りそれが落ちたのである。 隅で休みすぎない、石を触らない等の指導を徹底してほしいものである。 けがをしてからでは遅い。 18時、最後の山小屋「六合目雲海荘」に着いた。 クールダウンのため少し休み、五合目駐車場に向かった。 18時13分、日没前に駐車場に着くことができた。 スバルライン五合目の富士吉田口から剣ヶ峰山頂まで登りに5時間(正味4時間14分)、富士宮口に2時間5分(正味1時間45分)で下ることができた。 雨合羽を忘れ一時はどうしようかと心配になり、富士吉田からの登りで久しぶりに疲れたが、充実した1日であった。 |