2015.06.28 MM 第526号
七面山(しちめんさん 1982m) 山梨県身延町 山梨百名山
この山の私の印象等は・・・
「 裏参道から登り、表参道に下った信仰の山 七面山 」
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2015年6月1日(月) 【天候】 曇りのち晴れ 【コース及び時間】 出発角瀬(神通坊)4:55-5:35[十丁目]5:40-6:07[十六丁目]6:12-6:24安住坊[大トチノキ]-6:44[二十三丁目] 6:49-7:22[三十丁目明浄坊]7:27-8:01奥之院8:06-8:23敬慎院8:27-8:58/9:03-9:12七面山〈1982m〉 9:24-9:50敬慎院10:19-10:50[三十二丁目]10:55-11:25[十七丁目]11:30-12:00羽衣-12:03白糸の 滝12:10-12:42/47-12:54角瀬P 【 登り 3時間42分 下り 2時間59分 合計 6時間41分 】 *コースタイムは写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。 また、歩き方で全く変わりますので、あくまでも参考タイムにしてください。 |
裏参道は神通坊横から入る(写真1) | 身延山か、山頂が見える(写真2) |
杉の巨木の中を登っていく(写真3) | 安住坊横の大トチノキ(写真4) |
奥之院では無料のお茶が(写真5) | 敬慎院で坊さんと話す(写真6) |
七面山(標高1982m)山頂(写真7) | 新力坊そばの「白糸の滝」(写真8) |
【感想 等】 梅雨入り前にということで、前日布引山、笊ヶ岳(メルマガNo.524)に登り、その翌日には笹山(メルマガNo.525)に登った。 2日とも良い天気でよかったが、3日目の本日は曇りだ。 5時少し前、角瀬を出発する。 断ってから、神通坊前の「俵屋観光」の駐車場に車を止めさせていただく(羽衣には無料駐車場がある)。 神通坊入口に「七面山登山口」の標識がある(写真1)。 神通坊では白地に淵がピンクのツツジが満開できれいであった。 右手方向に「七面山」と書かれた真っ赤な立派な鳥居がある。 ここが裏参道入口である。 鳥居の近くに「熊出没注意」の黄色の看板がある。 七面山には熊はいないと思い、笹山から降りてから熊除けの鈴を外してあったがすぐにザックに付けた。 杉の木々が茂りうっそうとした山道を歩いて行く。 5時2分、もう「一丁目」の石柱に着いた。 山にはよく「○丁目」や「○合目」という表示がある。 目安になるのでありがたいが、赤鳥居から4分で一丁目である。 山頂までは何丁目なであるのか気になる。 1時間は60分である。 60÷4=15,1時間に十五丁目登るとして、山頂までは4~5時間かかると言われている。 山頂まで4時間として、15×4=60、ざっと六十丁目まであるのだろうか・・・ そんなことを考えていると1匹のシカが出てきた。 私と目が会うとあわてて右方向に逃げていった。 二丁目までも4分だった。 そこには石柱と共に小さな建物があった。 また、その近くには「山ヒルに二十丁目までは注意してください」の表示がある。 塩水を足元、靴にスプレイしてください。そして、山ヒルが靴やズボンに付いていないか途中で見ていけば被害が少ないと思います、とある。そしてペットボトルやスプレイが置いてある(ただ、中身が入ってないものがほとんどではあったが・・・)。 「七面山よ!おまえもか・・・!」 七面山は3回目になるが、1回目はGWに安倍峠まで縦走、2回目は表参道往復したが初めて見る表示である。 私は油断していて山ヒルにやられた篠井山(メルマガNo.113)を思い出した。 さすが、信徒の山、修験者の山である。 来訪者の無事参詣を願っての準備である。 山ヒルを意識して歩くか否かで、被害は全く変わってくる。 塩水のスプレイは使わないが、気をつけて歩くことにしよう。 3日前に雨は降ったが、山道は乾いている。 篠井山で山ヒルにやられた時とは湿り気が違う。 あの時は梅雨真っ只中でしかも、杉林の中で休憩した時にやられた。 五丁目を過ぎたところで身延山だろうか、山頂が見える(写真2)。 六丁目を過ぎると戸が閉まっている建物があった。 周りは明るくなったが、参道両側の杉の木は続いている(写真3)。 この七面山の歴史を感じると共に、山が大事にされてきたことがわかる。 5時半過ぎ、十丁目に着いた。 それぞれの石柱には手作りのザルが置かれ賽銭箱代わりになっている。 そこにはたくさんの小銭が入っている。 信仰の厚さを感じる。 そしてこの山の所有者は身延山久遠寺なのだ。 寺有林のして昔から木を植え管理し、それぞれの○丁目という標柱に簡単な賽銭箱用のザル等を置いているのだ。 所々にトタンの屋根を付けた簡単な休息用のベンチもある。 屋根があれば休息中、上から体に山ヒルが落ちてくるのを防ぐことができる。 6時半近く、安住坊に着いた。 シーズンには休憩所になったり宿泊したりできたりするのかもしれないが、戸が硬く閉められていた。 その先には大きなトチノキがある(写真4)。 裏参道を通る人達を見守ってくれている、と十分感じることのできる貫禄のある木である。 二十三丁目を過ぎた当たりでテンだろうか、顔は黒っぽく体が金色に輝く毛に覆われたネコくらいの動物が山道を横切った。 一瞬のことでカメラは持っていたが上手く写真が撮れなかったのが残念である。 その辺りから道はなだらかになる。 途中、単独の女性に会う(この裏参道で出会ったのはこの1人であった)。 7時半近く、三十丁目明浄坊に着いた。 なだらかな道は歩きやすい。 快適に進んで行く。 8時近く、三十七丁目に着いたが、そこには林業で使うワイヤが放置されていた。 多くの山で見かける光景である。 片付けるのに手間はかかるがこれらを片付けることができないものかといつも思う。 そこからはすぐに奥之院であった(写真5)。 ここは開いていて人がいるようであるが、静まりかえっていた。 休息所にポットが置いてあり、「ご自由にどうぞ」と書かれていたので、1杯お茶をいただく。 熱くておいしかった。 ここからは林道歩きである。 奥之院には軽自動車が2台置いてあった。 この道は下界とは繋がっていないので軽自動車をヘリで運んだのだろうか・・・。 奥之院から15分で敬慎院に着いた(写真6)。 本堂からは読経の声や太鼓の音が聞こえるが境内には人気がない。 時刻はまだ8時半前である。 本堂前には「五十丁目」と書かれた標柱がある。 ここまでの参道を50に分け「○丁目」と表示したのだろう、と言うことがわかった。 標柱や本殿等を見ているとお坊さんが出てきた。 「上がって休んでください」と、勧めてくれる。 「じゃあ、山頂から戻ったらそうさせていただきます」と言い、御来光遙拝所に向かって石階段を上っていった。 石段の両側にはミツバツツジが咲いている。 石段を登りきって下を振り返ると敬慎院の周りはガスに覆われつつあった。 そのガスは目の前の随身門にもかかってきた。 春分、秋分の日にはここからダイヤモンド富士が見える。 いつかそれを見たいものである。 今日はガスのため全くの展望なしである。 標識に従って山頂をめざす。 敬慎院まで来る人は多いと思うが、山頂をめざす人は物好きなヤマヤだけである。 うっすらガスのかかるカラマツなどの林の中を進んで行く。 敬慎院から山頂まではこんなに遠かったかな、と思い地図を見ると標高差が200m余もあった。 45分かかり9時過ぎに七面山(標高1982m)山頂に着く(写真7)。 写真のように方位盤もあるが、今は四方を樹木に囲まれ展望はない。 残念ではあるが、植物の自然の成長だから仕方がないことである。 (今日はこんな天気なので、どっちみち見えないが・・・) 休んだら元来た道を引き返す。 下りは25分で敬慎院に着いた。 行きの時出てきたお坊さんとは違う方が2人出てきた。 (信者や登山者が来たら積極的に話しかけるように言われているのだろう、珍しいお寺である) 彼らにいくつかの疑問を尋ねた。 ○丁目は1kmおきに表示してあるという。 (表参道も裏参道も敬慎院が五十丁目であり、その距離は違うが・・・?) 数百名泊まることができるが、昨日日曜日の宿泊者は4人であったこと。 山ヒルは裏参道に多いこと。 こんな山の上なのに2つの神秘的な池があること。 本殿は富士山に向かって「七面造り」と言われている独特の様式で建てられていると言うこと。 正面には、寺なのに太い注連飾りがあることなど・・・。 若い修行僧と話ができてよかった。 座敷に上がることはしなかったが、30分ほどお話を聞くことができた。 帰りは表参道を下る。 先ほどの話に出た池、「一の池」を見る。 水の色は透明感のない抹茶色で、ちょうど中央に薄いガスがかかり幻想的であった。 この敬慎院では水は十分にあり困っていないようである。 そこから鐘楼に向かう。 鐘楼もその先の参道も静かに佇んでいた。 四十六丁目の和光門を過ぎ、どんどん下って行く。 登りでこの表参道を利用した場合には、やっと山頂の敬慎院入口に着いたと言った感じだろう。 下りでは、ここから急な坂が待っているのだろう。 大きな杉の木の間の参道下って行く。 登ってくる人に会う。 やはり表参道は6月初めの平日でも登る人がいるのである。 下に集落が見える。 表参道の○丁目という標柱は新しい灯籠に変えられている。 たまに古いものも近くにあったりするが・・・。 11時過ぎ、真ん中の二十五丁目まで降りてきた。 二十三丁目にある中適坊では10人以上が休んでいた。 お経は聞こえなかったが、白装束の4人組も登って行くのに出会った。 十三丁目の肝心坊を過ぎ、二丁目の神力坊を過ぎると元丁目と書かれていて車道に着いた。 この辺りが「羽衣」である。 橋を渡りお萬の方像がある白糸の滝に寄る(写真)。 徳川家康の側室「お萬の方」がこの滝に打たれ祈念し女人禁制だった七面山に登られたという。 その後は女人にも七面山に参詣の道が開けたそうである。 また橋を渡り川の西側に行く。 さあ、ここからは車道を歩いて角瀬に戻る。 山では曇っていたが、下は晴れている。 アスファルトの道をてくてく1人歩く。 この道沿いに参拝者や登山者の車を置くことができる。 川の流れを眺めたりしながら40分余、ようやく角瀬まで戻ることができた。 この七面山は法華経の聖地ではあるが、誰にも門戸を開き参拝者や登山者に気軽に対話をしようとする姿勢に宗教の新しい姿を感じた。 その対話を通して、お互いに何らかの学びがあればすばらしい1日になるであろう。 天気こそ今一歩であったが、車道のない山頂付近で修行しているお坊さん達と話ができてよかった七面山であった。 |