2017.05.23 MM 第603号
高麗山(こまやま 168m)・浅間山(せんげんやま181m)
神奈川県平塚市・大磯町
この山の私の印象等は・・・
「 住宅街の小さな自然林を快適に歩いた 高麗山・浅間山 」
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2017年4月19日(水) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 高麗山の北東山麓12:24-12:27東登山口-12:30登山道に合流-12:32見晴台-12:44東天照〈135m〉- 12:55八俵山〈160m〉-13:13浅間山〈181m〉13:19-13:33高麗山〈168m〉-13:50北東山麓P 【 歩いた時間 登り浅間山まで) 49分 下り(浅間山から) 31分 合計 1時間20分 】 *コースタイムは休憩を除き写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
東側にある古い登山道から登る(写真1) | 標識が整備されている(写真2) |
展望台には写真がある(写真3) | 相模湾の眺めがすばらしい(写真4) |
原生林の中を行く(写真5) | 東天照[135m](写真6) |
八俵山[160m](写真7) | 一面シャガが咲いている(写真8) |
浅間山[181m]には一等三角点が(写真9) | 樹林の間からようやく展望がある(写真10) |
高麗山[168m]山頂(写真11) | こちらは残念ながら通行止めである(写真12) |
【感想 等】 神奈川・千葉の海岸線の山、第二弾は高麗山(平塚市・大磯町)である。 こんな所に自然が残る山が残っているとは少し驚きである。 そして、山の名前からして朝鮮系である。 古代高句麗(弥生時代から大和時代)から渡来しているとのことである。 調べると、西端にある「湘南平」には駐車場があることがわかったが、国道1号線からすぐに行くことができる高麗山付近で車を止めることができる場所を探すことにした。 運良く、東側の山麓に駐車場を見つけることができた。 地形図を見ると東側から登山道がある。 行ってみると最近はあまり歩かれてはいない感じである(写真1)。 地形図に道が出ているので何とかなるだろうと、登り始める。 高麗山の東側は富士山型の山なので道を間違えても上へ上へ登ればピークに着くことができるので安心である。 山道はかなり荒れていたが、3分で登山道に合流した。 少し歩くと立派な標識がある(写真2)。 これなら安心して歩くことができる。 山道に出てから2分で「見晴台」である(写真3)。 地名入りの展望写真が取り付けられている。 すばらしい眺めである。 目の前には相模湾が広がっている(写真4)。 相模貨物駅がすぐ近くに見える。 三浦半島も見える。 高麗山の原生林の中を進んで行く(写真5)。 なだらかで歩きやすい。 歩き始めて20分で東天照(標高135m)に着いた(写真6)。 展望もないし、あるのはこの表示だけである。 数分進むと「八俵山」の表示があったので進んで行くと、それは高麗山を通らずに中腹を巻き八俵山に行くコースであった。 (浅間山まで行き引き返して車に戻るのでこのコースで困らなかったが、計画では先に高麗山に行く予定であった。) すぐに高麗山を越えた尾根に出て、八俵山(標高160m)に着いた(写真7)。 展望はない。 変わった山の名だと思い、説明文を見ると、八俵というのは仏教用語の隅から転じた名前だという。 高麗山の西の隅だという。 これから向かう浅間山は尾根続きに見えるが別の山になるのだ。 少し行くと大木があり、広い空間が開けている。 この空間には、かつては建物があったのだろう。 比較的新しい石柱があり「関東ふれあいの道」と書かれている。 そこにはシャガが群生している(写真8)。 焼津アルプス等でも山道の脇に群生しているがこれほど多くはない。 紫の花ダイコンも咲いている。 たいして標高を下げないで、快適に歩いていたら浅間山(標高181m)に着いた(写真9)。 周りに高い山がないからであろう。 この浅間山には一等三角点がある。 ここにも大量のシャガが咲いている。 自然の花で、かつどこにでも咲き、これほど綺麗で上品な花はないだろう。 母親に反対され断念したが、20代の頃には庭に植えたいと思ったくらいである。 浅間山の説明板を見ると、やはり富士山信仰の山であった。 富士山の周りには浅間神社が多数有り、富士山の噴火を押さえているのであるが、ふるさと富士や浅間山は富士山との関係が深い。 展望がいいという湘南平に行こうかと迷ったが、ここで引き返すことにした。 わざわざ人里に降りることはない。 少し行った所の樹林からの展望を楽しむ(写真10)。 平塚、大磯の辺りはまだ田畑もあり自然が残っていていい。 13時半、高麗山(標高168m)に着いた。 境内には人はいないが、行事用の白いテントが張ってある(写真11)。 注連飾りの付けられた家の形のような石もある。 歴史や時代を感じる石である。 今まで一度も見たことのない形である。 説明板には標高167.3mとある。 それに従うと、標高は168mではなく167mということになる。 (私は地形図やガイドブックの168mを用いた) ここでは高麗山のことがもっと良くわかった。 奈良時代、高句麗は唐の新羅に滅ぼされ、逃げてきた人達がこの辺りに住み着いたようである。 高来神社もかつては高麗神社と呼ばれていたという。 地球上では、現在もテロや戦争により難民が他国に流れ込んでいるが当時日本には多くの朝鮮人が渡来し住み着いたのだろう。 ここ神奈川県だけでなく、もっと近くの九州、四国、山陰山陽等にも多数の渡来人がいたのだろう。 想像はどんどん広がっていく。 古い石段を下って山から下りれば高来神社である。 そちらにも行きたかったが、北へ下る道を行くことにした。 少し行くと「大堂」方面は工事中で通行止めである(写真12)。 花水広場方向に下る。 あまり歩かれていなく、少し荒れていたが車近くの道路に出ることができた。 時刻は14時前である。 1時間半弱の快適な自然林歩きであった。 |