2017.06.05 MM 第605号
三浦富士(みうらふじ 183m)・武山(たけやま 200m) 神奈川県横須賀市
この山の私の印象等は・・・
「 183mの富士山に是非登ろうと歩いた 三浦富士 」
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2017年4月20日(木) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 警察犬訓練所14:13-14:21三浦富士〈183m〉14:23-14:42砲台山〈204m〉14:45-14:56武山〈200m〉 15:08-15:17砲台山分岐-15:32三浦富士〈183m〉15:37-15:43警察犬訓練所P 【 歩いた時間Ⅰ(警察犬訓練所~三浦富士) 8分 Ⅱ(三浦富士~砲台山) 19分 Ⅲ(砲台山~武山) 11分 Ⅳ(武山~警察犬訓練所) 30分 合計 1時間8分 】 *コースタイムは休憩を除き写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
警察犬訓練所前の登山口(写真1) | 自然林の中を行く(写真2) |
地蔵が山の歴史を感じる(写真3) | 三浦富士[標高183m]山頂(写真4) |
途中にある見晴らし台(写真5) | 三浦半島の先端が見える(写真6) |
砲台山分岐(写真7) | 砲台山の山頂(写真8) |
武山に着く(写真9) | ツツジの名所でちょうど咲き始めていた(写真10) |
展望台からの眺め(写真11) | 武山の不動さん、不動院(写真12) |
【感想 等】 神奈川・千葉の海岸線の山、第4弾は三浦富士・武山(横須賀市)である。 私は静岡県に住み毎日富士山がどのように見えるかを楽しみに生活している。 その「富士山」が地形図の別の場所に出ている。 しかも高さはたったの183mである。 全国に「郷土富士」はたくさんあり、別名として○○富士と呼ばれている。 例えば、羊蹄山(後方羊蹄山)は蝦夷富士と言うように。 地形図上には「羊蹄山(蝦夷富士)」と表記されている。 しかしこの山は地形図にしっかり「富士山」とたけ書かれている。 と言うことはれっきとした富士山なのである。 日本一のあの富士山と同じ名前である。 一般的には「三浦富士」と呼ばれているが、恐れ多くてそうしたのかわからないが三浦半島にあるので「三浦富士」と呼ばれているのだろう。 登山ガイドなどもこの表記が使われている。 私は大楠山から下山後、自家用車で三浦富士の登山口に向かった。 津久井浜から駐車場を探しながら走っていったら警察犬訓練所前まで来てしまった。 そこに駐車スペースを見つけ車を置かせていただき出発した(写真1)。 三浦富士は183mと、もともと標高の低い山である。 それに加え、出発点の標高は140mほどである。 ほぼなだらかな山道をすいすい進んで行く(写真2)。 ウラシマソウが咲いている。 砲台山だろうか樹林から少し覗く。 その先には地蔵が通行人の安全を守ってくれるように立っている(写真3)。 階段を上がれば三浦富士(標高183m)であった(写真4)。 浅間神社奥宮の石碑や明治時代の登山記念碑がある。 信仰の山であることが分かる。 わずか8分で着いてしまった。 山頂は樹林に囲まれ、あまり展望はない。 なだらかな尾根を武山に向かおう。 雑木林の中を進んで行くと、タチツボスミレが咲いている。 このコースはハイキングコースとしてよく整備されていて、標識もしっかりしている。 三浦富士から10数分歩くと、見晴らし台に着いた(写真5)。 初めてすばらしい展望が広がった。 金田湾の向こうに三浦半島西側が海に向かって伸びているのが見える(写真6)。 周りは低い山々が続いている(写真7)。 見晴らし台の先には砲台山への分岐があった(写真7)。 分岐から2分で砲台山(標高204m)に着いた(写真8)。 第2次世界大戦中に置かれた砲台跡だそうである。 東京湾に入ってくる敵船を阻止するために、敵機を打ち落とすために造られたのかもしれない。 白い小さな建物は無線中継所である。 戦争の史跡を良い状態で保存し生かしてほしいものである。 武山まではちょうどあと半分である。 進んで行くと大きな無線中継塔が見えてきた(写真9)。 「防衛省」の表示がある。 山道の階段を登っていくと武山の山頂である。 そこには不動尊と展望台があった。 ここ武山はツツジで有名だそうであるが、ちょうど咲き始めていた(写真10)。 約2000本のツツジがあり、4月末から5月上旬までが見頃だそうである。 ここへは細い車道も通じている。 まず展望台へ上がろう。 展望台からは360度の展望があり、海ホタルや伊豆半島まで見えるというが今日は少し霞んでいて遠くは見えなかった(写真11)。 方位石版には富士山やこれから向かう鋸山も図示してあった。 横にある武山不動尊にも寄る(写真12)。 武山は沿岸漁業の船の目印にもなっていたようである。 帰りは元来た道を戻る。 三浦富士も武山も地域の人達の歴史のある歩きやすい山であった。 |