2019.05.13 MM 第688号

   私の出合った日本百名山 他の山々 by masarus 

電子書籍  「焼津アルプス登山ガイド」 デジタル版『18切符風ドイツ貧乏旅行』 

   

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スリー・パーダ(アダムス・ピーク 2238m) コロンボの東 スリランカ


この山の私の印象等は・・・                                     

「 まさか5時間の渋滞があり10時間かかるとは思わなかった スリー・パーダ 」
 

  *下に私の感想等の文があります。                                                                         
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【歩いた日】     2019年3月17日(日)

【天候】        晴れ

【コース及び時間】

ナタラニアの宿2:40発-2:51登山口-3:27/32-4:00/05-4:33/37-4:52渋滞-10:17スリー・パーダ

〈2238m〉10:38-11:31/36-12:09/14-12:20登山口-12:35宿着


    【登り 6時間22分  下り 1時間43分   合計 8時間5分】


*コースタイムは休憩を除き写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。
 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。


  
宿から10分、登山口だ(写真1) 階段は3mほどの幅がある(写真2)
東の空がピンクに染まってきた(写真3) 1時間以上経つが進まない(写真4)
90%以上がスリランカ人である(写真5) 橙色のこの花は何だろう(写真6)
歩いてきた道が見える(写真7) 雲の隙間から光が差してきた(写真8)
寺院にあげる花を売っているとことに着いた(写真9) 寺院のゲートは目の前だが・・・(写真10)
ゲート中に入る、ここがスリー・パーダ山頂(写真11) 山頂からの展望(写真12)
これは寺院にあげる物だろうか(写真13) 水を浴びる下山者たち(写真14)
日本山妙法寺(写真15) あと少しで登山口だ(写真16)
 

【感想 等】 

3月中旬に世界遺産と山を1人で歩く10日間のスリランカを楽しんだ。
(その1ヶ月後にスリランカで同時多発のテロが起きた。治安がよかっただけに大変驚いている。)

スリランカの1人旅の内、山の部分を紹介する第3弾はスリー・パーダである。
今回の旅のメインがこのスリー・パーダ(標高2238m)である。

多くの国でもそうであるが、スリランカでもレジャーで山に登る習慣はない。
山のピークが好きで、老いも若きもあちこちの山の山頂をめざすというのは日本くらいのものである。

そんな中、このスリー・パーダは、スリランカ随一の聖地として山頂にある聖なる足跡のある寺院をめざしてたくさんのスリランカ人が登る山である。
しかも3月の満月前後に登る人が多いという。3月の満月は21日であり、混み具合はどうなのかなぁと思いながら出かけた。

スリランカの70%を占める仏教徒はブッダが残した足跡だと信じご利益に預かるために登頂をめざすのである。
不思議なことにその足跡をヒンドゥー教徒はシバァ神、キリスト教徒はアダムが付けた物と考えているそうである。
と言うことで、あらゆる宗教のスリランカ人もここには一度は訪れたいと考えているそうである。


キャンディーからぎゅうぎゅう詰めの列車で前日の11時半にハットン駅に着き、登山口のあるナタラニヤの宿には13時半に着いた。
ここは小さな村なので何もすることはない。
土産物屋を見たりレストランを探したりし、登山口まで歩いてみたりした。
土曜日ということもあり、たくさんのバスが走って行った。
1本道を約10分で登山口に着くことがわかった。

夜中に歩くのは好きではないが、ガイドブックでは暑さ対策で夜中に登りご来光を見ることを勧めていた。
どうせなら刻々と色が変わっていく夜明け前の空を見たいと2時半に起き、出発することにした。
目覚まし時計をセットし早めに床についた。

夜中の12時近くまで外から音楽が聞こえていた。
どこかの宿から聖地巡礼の人たちを励ますためのものなのか、車が音楽を鳴らしながら走り去っているのかはわからなかった。


2時半予定通りに起き、2時40分に出発した。
ヘッドランプを持ち、天候の急変に備え雨合羽、防寒服や着替えを入れた。

この時間には辺りは静かであった。
街灯はついていたのでヘッドライトはポケットに入れた。
また、途中の商店がやっていたので、追加のペットボトルも購入した。

約10分で登山口に着いた(写真1)。
登る人はわずかであり、下ってくる人は何人もいる。
山頂でご来光を、というのも日本人ほど好きではないのかもしれない。

5分ほど歩くと右側に寺院があったので寄ると、僧侶が私の所に付いてきて記帳するように言われた。
それに従うと、その先には賽銭箱があった。
そういうことだったのか・・・と20ルピー入れる。

登山道は街灯が付けられた階段である。
懐中電灯を付けている人はほとんどない。

私はザックの中にヘッドライトをかたづけた。
道沿いには休息所のようなものや足をマッサージする機械を置いたテントなどがある。

1時間ほど歩くと橋の下に滝のように細い水が落ちる所があり山頂から降りてきた人たちだろうか水を浴びている。
時刻はまだ3時50分である。

この山は夏の富士山と同じで、24時間眠り知らずなのだろう。
やはり日中は暑すぎて避けているのかもしれない。

この辺まで来ると階段の隅で休んでいる人がいる。
階段は幅3mほどあるので通るにはそれほど困らない。

一生に一度は来たいという巡礼地のためだろうか、家族連れが多い。
歩くのに大変そうな老人や子どもも少なくない。

集団で歩く時は一番遅い人の速さになる。
だから登る速さが遅くなったり休憩が多くなったりする。

4時40分、白くて細い糸を木にたくさん張った所に着いた。
「イディカトゥパーナ(針の斜面)」と呼ばれる所で、釈迦がこの山に登った時破れた衣を繕ったという伝説がある所だとガイドブックに書いてあった。

だいぶ人が多くなり追い抜かすのが大変になってきた。

5時前、進まなくなった。
あとどれくらいで山頂なのだろうか。

5時45分、東の空が筋状にピンクに染まってきた(写真3)。
予定では山頂でこれを見ることにしていた。
1時間近く経つがほんの少しずつしか進んでいない。
私は何時に山頂に立てるのだろうか。

5mほど前に並んでいた3歳、5歳の子を連れた西洋人夫婦は諦めて下っていった。
小さな子には酷な山の斜面での渋滞である。

少し明るくなってきたが、ほとんど進まない(写真4)。

下の方に雲海が見えてきた。

明るくなり顔が見えてきたが、90%以上がスリランカ人である(写真5)。
しかもほとんどの人はぞうりで登ってきている。
中には裸足の人もいる。
石ころは落ちていないコンクリートの階段なのでぞうりでも裸足でも大丈夫なのだろう。

足下に目をやると橙色のシランに似た感じの花が咲いている(写真6)。
日本でも見た記憶はあるが名前は忘れた。


6時45分、振り向くと眼下が開けていて歩いてきた道が見える(写真7)。
白い塔のある建物は日本山妙法寺だ。
登ってくる時には白色のLEDで、きれいなイルミネーションがついていた。

今日は曇りである。
暑くなくてよかったが、天気の変化が心配だ。

雲の隙間から光が差してきた(写真8)。
幻想的な風景である。

自然の変化や様子が長い待ち時間の退屈さを和らげてくれる。

9時、ようやく寺院にあげる花を売っている所に着いた(写真9)。
と言うことは、寺院まではそれほど遠くはないだろう。

宿を出てから6時間以上が過ぎている。
3時間で登る予定が、2倍の6時間が過ぎても山頂に着けないでいる。

宿からバスで1時間行った所にあるハットンの駅からエッラに向かう列車は13時半だ。
列車は1日2~3本しかないが行くことができるのだろうか・・・?

ここまで来ても行列はなかなか進まない。
時間がかかっているのでトイレに行きたくなる人もいる。

女性は列を抜けて所々にある売店のトイレを借りてまた列に戻ってくる。
男性は藪の中に入っていき自然の中で用をたしてくる。

私もどうしようもなくなり、踏み跡をたどり行く。
そこはゴミも捨てられていて汚れていた。
聖地にはきれいなトイレがたくさん必要である。

ブッダに供える花を買った人の中には藪の中に投げ入れている人もいる。
長時間の日差しで萎れてきたのだ。

9時半、寺院が見えてきた。
寺院のゲートは目の前だが進まない(写真10)。

その内に小雨が降ってきた。
私は雨カッパ、こうもり傘、ジャンパーと持ってきたのであるがどれを出そうか?

現地の人たちは何もしない。
標高は2200m以上だ。
雨が降り寒くなってきた。

私はジャンパーを出し羽織る。
ウインドブレーカーを着た人もいた。

列はなぜ進まなかったか、ここまで来てやっとわかった。
山頂には寺院しかなく、入れる人数には限りがある。
それで警察官が門を開けたり閉めたりして山頂の人数を制限していたのである。

ガイドブックにこの寺院には回り方があり、3周回ることが書いてあったことを思い出した。
それでは余計に時間がかかるわけである。

10時過ぎ、やっとゲート中に入ることができた(写真11)。
寺院の中は撮影禁止だ。
ここがスリー・パーダ(2238m)の山頂である。

5時間近い渋滞の末到着した山頂である。
流れに乗り、参拝をする。
そして、外にある鐘の所に行く。

老夫婦が鐘をついていた。
その婦人は1回、男性は連続で鐘をつき数えると14回だった。
この寺院に参拝した回数の鐘を鳴らすことができることがガイドブックに書いてあったので知っていたが、この男性は14回目とはたいしたものである。
彼と話すと、誇らしげに微笑んだ。

登頂1回目の私も1回鳴らし展望を楽しみながら寺院のまわりを1周する。
天気は今1歩ではあるが360度の展望がある(写真12)。

そして、少し休んだら下山開始だ。
今夜の宿は列車で行くエッラである。
少し急がないと行けない。

もう宿のチェックアウト時刻11時には間に合わない。
1日分の宿泊料を請求されるのだろうか・・・。

下りも混んではいたが、階段の隅を追い抜かすことができた。
しかも、登りの渋滞の列はかなり短くなっていた。

日曜日の今日は昨日の土曜日より登ってくる人は少ない。
旗や神社にあげる物を持って登ってくるグループもいくつかすれ違った(写真13)。

登りでも暗い中で見たが、下山した人たちで水浴びをしている人もいる(写真14)。
汗をかいた体に気持ちがよいだろう。

11時50分、日本山妙法寺に着いた(写真15)。
この白い塔はよく目立ち、山の上からも見えた。

ここまで来るとなだらかで、土の道もあった(写真16)。
暗い中登った時には、全部がコンクリートで固められていると思ったがそうではなかった。

道の脇には子供用のおもちゃ屋、土産物屋が並んでいる。
12時20分に登山口に着き、12時半過ぎには宿に着いた。

5時間で登る予定が2倍の10時間かかったスリー・パーダだった。
時間がかかりうんざりではあったが、スリランカの一般の人たちの信仰や生活を知ることができた山歩きであった。

宿では広げてあった荷物を詰め、バス停に急いだ。
バスにすぐに乗れば、14時半の列車に間に合うかもしれないというかすかな希望を持って・・・。

卵チャーハン300ルピーだ、持って行かないか?と宿の主人が言う。
バスの中で食べるように私は買った。

チェックアウト時間に間に合わなかったのは無料にしてくれた。よかった。


バスは10分ほどで出発したが、付近の村をいくつも回り着いた所はハットン駅ではなく、ハットンのバスターミナルで15時になっていた。
完全に今日のエッラ行きの列車はない。

途方に暮れつつ、エッラへの行き方を出会った人たちに聞く。
バスを乗り継げば行くことができることがわかり、4回バスに乗り継ぎ宿に着いたのは20時半であった。
宿の女主人は遅い到着を呆れながらも、紅茶で取り持ってくれた。
この日に寝たのは22時半であった。

本日は、午前2時半から20時間という活動の長い長い1日であった。



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