2020.04.27 MM 第737号
エッラ・ロック(1350m) スリランカ(エッラ)
この山の私の印象等は・・・
「 簡単な説明文だけで線路を歩きたどり着いた エッラ・ロック 」
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2019年3月18日(月) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 エッラ駅近くの宿発9:56-10:00線路歩き-10:32小径へ-10:53集落-11:06展望所- 11:32エッラ・ロック〈1350m〉11:39-12:13線路歩き-12:28列車通過12:35-12:45宿着 【登り 1時間36分 下り 59分 合計 2時間35分】 *コースタイムは休憩を除き写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
ハイカーも住民も線路を歩く(写真1) | 花が楽しませてくれる(写真2) |
山からの流水で(写真3) | 見たことのない黄色の花(写真4) |
線路脇でヤシジュースや水を売る(写真5) | 彼が自ら案内してくれるが・・・(写真6) |
高台に上がり展望が開けてくる(写真7) | 車では来ることができない民家があった(写真8) |
歩いた跡だろう土は踏み固められている(写真9) | 展望所から山々を(写真10) |
地元民がアルバイトで道案内をする(写真11) | 山頂には立派な建物が(写真12) |
エッラ・ロックからの展望(写真13) | 日陰で休む欧米人(写真14) |
水場は気持ちがいい(写真15) | 列車が来ると避けて見送る(写真16) |
【感想 等】 2019年春に10日間スリランカを旅したのだが、その山歩きの記録整理6つ目、最後の1つである。 この日は、7時前にエッラ駅近くの高台にある宿を出てリトル・アダムスピークに朝の散歩に行った。 コロンボなどとは違い、エッラはそれほど暑くなく温暖な気候なので、リトル・アダムスピークの山頂では汗をかけば涼しい風が吹き最高の朝の散歩ができた。 宿に帰ってからのトースト&パン、フルーツジュースの朝食を美味くいただいた。 昨夜に引き続き、紅茶ポットからたくさんのおいしい紅茶も飲んだ。 10時少し前、荷物を預けエッラ・ロックに向かった。 宿のすぐ下に通っている線路を歩いて行く。 エッラロックに行く道はこの線路だけである。 日本では線路を歩いていると逮捕されてしまうが、1日4本しか通らないこの国の線路は道代わりでもある。 ハイカーも住民もみんな線路を歩いていく(写真1)。 線路脇に黄色やピンクの花が咲いていて目を楽しませてくれる(写真2)。 空色や藤色の花もある。 牛が1頭草を食べている。 民家があり男性が山からの流水で朝の洗面をしている(写真3)。 こんな市民の生活を見るのも楽しみの1つである。 枕木の幅で歩くので、線路を歩くのも疲れる。 疲れると線路脇の細い道を歩く。 見たことのない黄色の花がある(写真4)。 外国人ハイカーが相手だろう、おばさんが小さな店を出している(写真5)。 彼女から買わないかと声をかけられたが、水分は持ってきている。 その先の小さな店から小径に入っていく。 標識はないが、外国人が行くのが見えた。 男が私と一緒に歩きだした。 「エッラ・ロックに行くのか?」と聞いてくる。 「そうだ」と私。 「俺がエッラ・ロックに案内するよ」 「私は日本で登山ガイドをしている。道はだいたいわかるので案内の必要はない」 「もし一緒に歩いてもガイド料は払わないよ」 私がそう言っても彼は私と一緒に歩いていく。 茶畑を過ぎ、草ぼうぼうの中を進んでいく(写真6)。 もしかしたら別の所に行くのかもしれないと用心しながら彼についていく。 やがて高台に上がり展望が開けてくる(写真7)。 方向は間違っていない。 そのあと彼は上に行かないで、私の方を振り返りつつ右の方に水平に進んでいった。 また茶畑があり、民家があった(写真8)。 彼の家のようだ。 ここには車など車両で来ることはできない、徒歩以外は来る方法がない。 彼はこの家を見せたかったのだろうか。 そこから山頂に向かって歩き始めた。 林の中に入り、歩いた跡だろうそこの土は踏み固められている(写真9)。 その先は展望所になっていて、そこから山々を見渡せる(写真10)。 ずいぶん山深い所にいることが改めてわかる。 (「展望所」というのは私が勝手に付けた名前である) 宿を出発してから1時間余、線路から入ってから30分余である。 かなり上に上がって来た。 ここからは少しなだらかになる。 地元民がアルバイトで道案内をしているのを時々見かける(写真11)。 欧米人が多額のガイド料を払うので、この彼のように私のような外国人に着いてくるのだ。 車が通れそうな針葉樹林の中の道を進んでいく。 すると、目の前に立派な建物が現れた(写真12)。 この建物を造ったり、伐採した木々を運ぶために造った道路だったのかもしれない。 彼からここが「エッラ・ロック」の山頂だと聞くまでわからなかった(写真13)。 ここからこの上にあるピークへ行く道を探してしまった。 エッラ・ロックの山頂にいるのは西洋人だけである。 東洋人は私1人である。 彼らは暑いスリランカの避暑地であるエッラに来てウオーキングでやってきているのだ。 ここにいるのは、あとは彼らを案内してきた地元民と水分や果物を売る人たちである(写真14)。 眺めを楽しんだらすぐに下る。 帰りは別のルートで早く下れた。 線路近くの水場で休んでいる人たちがいた。 私もそこに寄り、水に触る。 水は冷たく気持ちがいい(写真15)。 その先の線路近くで、やはり一緒に歩いた現地人はガイド料を要求してきた。 何回も「ガイド料は払わない」と言っていたのだが・・・。 言葉通り、私はガイド料は払わずに彼と別れた。 エッラ・ロックへの標識はなく、いくつもの道がある。 別のルートを通っただろうが、朝リトル・アダムスピークからこの山を見ていたので私1人でも山頂には着くことができただろう。 線路には宿に向かう多くの西洋人が歩いていた。 また、線路の工事している人もいた。 そんな中、ゆっくり列車がやってきた(写真16)。 私が乗ったときもそうであるが、乗客はぎゅうぎゅう詰めで体が外に出ている人もいる。 のどかというか危険というか・・・。 学校帰りの中学生くらいの女の子が線路を1人歩いて来た。 もしかするとこの先の駅で下車し家に帰るのかもしれない。 13時前、宿に着いた。 山々や花々を見、のどかな風景に出会えスリランカで一番楽しかった山歩きであった。 この後、ベントタに向かったのであるが、バスを2回乗り継ぎ、宿に着いたのは10時半であった。 なかなかバスが来ず、またバスはスピードが遅い。 机上の計画通りいかないことを痛感した1日でもあった。 |