2004.04.12(2017.08.10更新) MM第50号
【登頂日】 1999年08月01日(日)
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今回は百名山のちょうど半分の第50号である。 以前からの読者の皆さんは、私のドジさはわかっていると思う。その中でも、今回は最大のドジであった。というのは、東北ツアーの予備日が1日あったので、全国ロードマップを見ながら小出町からR352号を会津駒ヶ岳に向かった。登山図はガイドブックからコピーした簡略なものしかなかった。それでも登りたくて向かった。しばらく走ると「駒ヶ岳」の標識があった。急いで登山口に向かった。登山口「枝折峠」は私の登山簡略図にはない地名だった。聞くと、山頂までは4時間くらいで登れる、という話だったので午後1時半登山を開始した。 (登山路から雪渓の残る山を) |
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山頂近くには駒ノ小屋もあるので食事をいただき泊まることもできると安心して出発した。 なだらから登りで距離をどんどんかせいだ。小倉山までは1時間半であった。私の簡略図には出ていないので、違う山に登っているのかも・・・、という思いがしてきた。私の持っている地図にも、登山口には「駒ノ湯」があり、山頂近くには「駒ノ小屋」があった。 小倉山から1時間で百草池に着いた。午後のため、登って行く人はいないが、日曜日のためか下山者はまだ何人もいた。 (登山路から山々の展望を) |
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駒ノ小屋に着いたのは16時半だった。荷物を置き、すぐに山頂に向かった。山頂にも「駒ヶ岳」という表示しかなかった。17時、小屋に戻った。小屋に泊まろうとして、小屋番に聞くと、素泊まりのみだという。下山することも考えたが、ここに泊まることにした。 翌朝はご来光を見て、5時前に出発した。下山も快調に歩き、2時間半で登山口の駐車場に着いた。下山後わかったのは、自分が登ったのが「会津駒ヶ岳」ではなく、「魚沼(越後)駒ヶ岳」であるということだ。ロードマップには「会津駒ヶ岳」「魚沼駒ヶ岳」の文字はなく、どちらも『駒ヶ岳』だった。全くドジな自分にがっかりした。 (夕食は各自自炊で、駒ノ小屋にて) |