05.05.02 MM第99号
【登頂日】 1974年7月29日(月)
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学生時代、42日間かけて10の山に登りながら北海道一周サイクリングをした。その時の記録の一部である。 テント、シュラフ、登山靴、自転車の修理キット等を持ち、函館から時計と反対周りに2900km走破しながらの山歩きだった。 雄阿寒岳・雌阿寒には襟裳岬から釧路に走り、前夜、阿寒湖に宿泊して登った。 朝、友人と阿寒湖畔と泥火山ボッケを散策した。ここでは何と高校時代の同級生サイクリストにばったり会った。世の中は狭い。 10時、4km先の雄阿寒岳登山口の滝口に向かって国道を歩き始めた。 雄阿寒岳は針葉樹に覆われた死火山である。何カ所も木が倒れ登山道を遮っていた。そして苔むしていた。誰も整備する人はいないのだろうか、と思った。(雌阿寒岳火口) |
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緑いっぱいの木々に囲まれていて気に入った。しかし、行けども行けどもで平で、登ったと思ったらすぐ下りだ。しかし、1時間歩くと五合目まできた。辺りはガスがかかっていて全く展望はない。人もいない。つまらなくなって昼食をとり、下山した(今から考えると登頂しておきたかった)。そして歩いて宿に戻った。 荷物を積んで自転車で雄阿寒温泉に向かった。15時、宿に着き、すぐに荷物を置いて雌阿寒岳に向かった。宿で山頂まで往復3時間と言われたから、急いだのだ。翌日でも良かったが、天気も少し回復してきたので行くことにした。 雌阿寒岳は雄阿寒岳とは対照的に現在も噴煙を上げている活火山である。そして登山道も対照的だった。アカエゾマツの原始林の中をまっすぐに伸びていた。そして、いたるところにアカエゾマツの根が露出していた。(青沼と噴煙を上げる火口) |
山頂まで2時間と言われていたが、1時間で着いた。春に登った九州の高千穂峰を思い出していた。火山特有の美しさに圧倒されていた。赤茶けた山肌、火口からの噴煙・・・。足元を見ると硫黄の固まりが落ちていた。 山頂の阿寒富士側には大勢の子ども達がいた。今までの静寂とは全く違った。聞くと、オンネトーでキャンプをしていてみんなで登って来たという。 16時半前、子ども達とオンネトーへ下る。子ども達は下るのが早く追いついたと思うとすぐ離されそんなことをしている間にオンネトーに着いた。オンネトーは北海道の三大秘湖の1つ。神秘的な湖である。それは、原始林に囲まれ、うしろに雌阿寒岳と阿寒富士がある。すばらしいロケーションである。 しかし、その美しさと静寂とは裏腹に300人くらいのキャンパーがテントを張り夕食の準備で大声を上げている。多くは学校の生徒であろうが、ちょっと幻滅した。 まあ、ホロナヤントーで見たトラックに積んだ薪と畳、ガスボンベや茶碗・なべなどの日常品を持参してのキャンプで夜遅くまで酒宴の大人のキャンプよりはましだが・・・。 宿まで歩いて帰ろうとしたら車が通ったので乗せてもらう(ラッキー!)。 (雌阿寒岳山頂の私) |