05.03.12 MM第92号

                     私の出合った日本百名山 by masarus   

NO.48  剣岳(つるぎだけ 2999m)  富山県

    
この山の私の印象 

    「 重い荷物で死の恐怖を味わった 剣岳 」

   *剣岳の標高は’04年に国土地理院の再計測により 2998m から 2999mに変更になりました。(05.03.26変更)

【登頂日】            1979年7月31日(火)

【天候】              晴れ

【コース及び時間】 

7月30日(月)

 9:30剣御前-11:00一服剣-12:00前剣12:40-14:30剣岳避難小屋

7月31日(火)

 5:00小屋発-5:40剣岳〈2998m〉6:10-8:20伝蔵小屋(現:早月小屋)-11:00松尾平11:40-13:00馬場島


  【 登り(剣御前から) 5時間  下り(馬場島まで) 4時間50分 ) 

  *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む実際にかかった時間です。
   その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムです。

 信濃大町から黒部アルペンルートを使い、雷殿まで行き、そこから立山・剣を3泊4日で縦走をした記録の第2弾だ。
 一の越山荘を出発し雄山、大汝山〈3015m〉、富士ノ折立、別山、別山乗越、剣御前と歩いてきたのはNO49に書いた。
 剣御前は9時半に通過し、一服剣に向かった。天気は快晴になり周りの展望を楽しみながら歩いた。また足下には夏の高山植物がたくさん咲いていて写真を撮りながら歩いた。
 ミヤマリンドウ、ヨツバシオガマ、ハクサンイチゲ、ミヤマダイモンジソウ、ツガザクラ、ハクサンシャクナゲ、ゴゼンタチバナ、クルマユリなどなど。また北アルプスに多い雷鳥も1羽歩いていた。
この日は雨上がりで空気が澄んでいて美しかった。ただ、3日続きの風雨で多くの花は痛めつけられていた。
 これらの高山植物は冬の風雪だけでなく、夏の風雨にも耐え生き延び花を咲かせている。それらに感動しついついたくさんの写真を撮ってしまった。
 (剣岳避難小屋付近からの剣岳) 
 11時一服剣に着く。目の前には前剣が聳えている。ここからが剣岳の剣らしい箇所だ。ペンキのマークなどを頼りに登っていく。27kgの荷物が重く肩に食い込み後ろに反りそうになる。12時、へとへとになり前剣に着く。昼食を兼ねしばらく休み疲れを取った。そこからはクサリが次々と現れる。背負子式のザックは安定が悪く体力を消耗した。落ちるかと思った。
 2時半、ようやく平蔵避難小屋に着いた。剣岳山頂から早月尾根の伝蔵小屋(現:早月小屋)まで行こうと考えていたが、疲れ果て避難小屋に泊まることにした。途中何度かルートを間違えいやに難しいコースだなあと思い岩を登り、あとから正規のルートを見つけたり、行き止まりになり戻ったりを繰り返した。今までここまでルートがわかりにくいコースは歩いたことがなかった。しかも荷物は重いし、自分1人しか登山者はいない。
そして、この岩場ではとてもテントを張るところは見つかりそうもないと思った。しかし、避難小屋はレモンの皮などが落ちていて大変汚かった。外にも写真のように空き缶が一杯だ。また、便所もついているが壊れかけ通行の妨げになっていた。(現在は宿泊不可)
(剣岳避難小屋)
 宿泊を決め休んでいると、2人組が来て避難小屋からの大雪渓を下って行った。いくらザイルで結ばれていても1人が滑れば2人共滑りそうではらはら見ていた。
 夕方単独行の男性が2人来て一緒に泊まった。
 翌日、5時出発。重い荷物を背負ってのカニのタテバイなどを苦労して通過した。今回ほど荷物の多さに参ったことはなかった。寝袋やテント、食料などを捨てて登りたいと切に思った。
 5時40分、ようやく剣岳山頂にたどり着いた。思ったより早かった。昇ったばかりの朝日を浴びて立山や北アルプスの山々が輝いていた。
 下山は高低差2200mの早月尾根だ。しかも浮き石とくさりの連続だった。その後も花の写真を撮りながら下った。イワウメ、ミヤマオダマキ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、キヌガサソウなどなど。8時過ぎ伝蔵小屋に着いた。そこからが長かった。
 14時半のバスには楽に間に合ったが、もし遅れたらどうしようという心配もあった。
この日は上市鉱泉に泊まり翌日、滑川から糸魚川に出てアルプス8号で甲府経由で帰宅した。。(剣岳山頂付近から朝の立山・剣連山)

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