04.07.26 MM第65号
【登頂日】 2000年01月02日(日)
|
正月から、少し後味の悪い登山だった。 というのは、鴨沢から1時間くらい登ったときだった。目の前に60歳くらいの男性がザックを背負ったまま倒れていて、2人がそれを見ていた。声を掛けても返事がない、しかも登山路を塞ぐように倒れていた。 始めは、疲れて休んでいるものと思ったが、触ると脈もなかった。脇に避け、周りの人が、彼のザックから服を取り出し、体にかけてやった。それを見ていた40歳くらいの女性が「触って悪くなると困るから触らない方がいいよ。」と言う。体温はどんどん下がっていった。携帯電話を持っている人は繋がるところを探し、1人は麓の村に救急隊を呼びに行った。30分くらいすると、友人2人が到着し、医者から許可が出たと言っても心臓が悪いから急ぐな、と言ったのに、と言う。 下の方からサイレンの音が聞こえたのは発見から1時間後、救助のヘリコプターが着いたのは2時間後であった。 (雲取山山頂からの展望) |
|
倒れた人の友人もいたし、人も多かったので途中で失礼して出発した。私は何回か心臓マッサージと人工呼吸の講習を受けたことがある。それを使うチャンスだとも思った。しかし、1人の女性の発言で誰も手を出せなかった。死や遭難などについて考えながら、重い気分で登っていった。(私はこの後『普通救命士』のライセンスを取得した。これについてはMMのmasarusのコーナーで)。 12時半、七ツ石山に着いた。雲取山までの稜線がはっきり見える。しかし、足下には少し雪が残ってはいるものの、山々には全く雪がない。私が正月を利用して山に登るのは雪に会いたいこともある。その楽しみの1つがないのは残念であった。 ここまで登ればあとは稜線を楽しく歩くだけだ。曇り空の中、雪のない山々を見ながら歩く。稜線は木を切ってあり風が強く寒い。目出し帽をかぶる。 (3カ月前に新築の雲取山荘) |
|
2時過ぎ、雲取山の山頂に着く。頂上すぐ下にある雲取避難小屋で行動食を食べながら休憩をする。そこから北に樹林帯を20分ほど下ったところに新築の雲取山荘はあった。 正月なので甘酒をいただき、夕食では樽酒をたくさんいただいた。(期待してはいけないが、これも山小屋での正月の楽しみだ)。 9時消灯で寝たが、いびき三重奏でよく眠れなかった。いびきが耳につくことはよくあるが、三重奏は余り経験がないのでこたえた。 朝起きると、積雪1cm、木々に霧氷が付いていた。急いで朝食を食べ山頂に向かう。そこには昨日とは全く違う風景が広がっていた。木々に付いた霧氷がかがやき美しかった(上の写真と比較)。また、富士山も顔を出した。 下山するのは惜しかったが、変化に富んだ2日をふり返りながら登って来たコースを下った。 (翌日は晴れの中、雪景色に。山頂からは富士山も見えた) |