03.09.08 MM第19号
【登頂日】 2003年08月18日(月)
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8月9日(土)に台風10号が日高地方を襲い、死者、農業への被害だけでなく、道路などにも多くの被害が出た。私は山のMLでそのことを知った。また、幌尻山荘に取り残された29人が12日自衛隊のヘリで救助されたのを新聞で知った。私は登山予定の18日に登れるか否かをインターネットで検索をすると共に、平取町役場、新冠町役場、日高町役場、日高町森林管理所等に連絡を取り情報収集を行った。その結果「振内からの道は橋も落ち通れない。」「日高山岳会の会長は当分の間日高山系すべて入山禁止と言っている。」「千栄からなら歩いていけるかもしれない。」等という情報を得た。 |
R237振内からの入口にある案内板には「入山できない」という表示はない。(写真は17日夕方) 私は入山できないという情報を入手できていたので、R274千栄に向かう。R237沿いの沙流川は台風から9日経過しているが、未だに茶色の濁流であった。千栄からの分岐点には他の標識に混ざって小さな木の標識で幌尻岳登山口とあった。 そこから8kmほど行くと林道は、沢が大量の土砂を流し込んでいて行く手を阻んでいた。仕方ないので、そこに車中泊した。 朝起きると、快晴。テント泊を覚悟し、ツエルトテントとシュラフ・食料を持っていざ、出発した。 |
車から数百m歩くと「チロロ林道」のゲートがあった。しかし、どこにも「幌尻岳登山口」とか「北戸蔦別岳登山口」等の表示がなく不安になった。 ガイドブックによると二岐沢二ノ沢出合まで1時間40分だ、幸先いいぞとスピードを上げる。林道には1kmおきに何キロか表示があった。 2時間かけ10km歩くと何とまたゲートがあった。二岐沢二ノ沢出合どころか、これがガイドブックの「チロロ川本流ゲート」だと始めてわかる。(急遽コースを変えた事もあり、2.5万分の1の地図も持っていない・・・トホホ) もちろん、ここまでも何十カ所も崩れていて車は通れない。歩くのも大変であった。 |
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林道はいたるところで崩壊や土砂崩れがあった。来年の夏には修復できるのだろうかと思うくらい、ひどい壊れ方であった。台風の時には水位が10m以上上がり、林道も水没してしまったようだ。そのような形跡がいたるところにあった。 (写真は崩壊した林道) |
また、林道にはいたるところに流木があり、川の水が流れた形跡があった。(写真)これでは、登山者は台風の水が引くまで下山できないだろうと思った。登山者が林道を流れている川の水に流されたり、崩壊した林道から踏み外し川に転落することも十分考えられる。 | ||
林道が痛まないように1.5m以上ある管を林道に埋め沢の水を川に流しているのだが、水量がそれ以上だったため、道路が決壊していた。(写真では大きく見えないが深さ5m以上あり越えるのに苦労した場所の1つであった) | ここも川まで下りないと通ることができない場所の1つであった。(写真) このような箇所があまりにも多かった。 林道歩きだけで台風の恐ろしさを嫌というほど知った。私たちは天気がよいときに大自然の一部の山や海に触れさせてもらっている、というところか。 |
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北電二岐沢取水施設からはいよいよ細い登山道だ。しかし登山道が全く見えなかった。河原に下り川を渡って探すと、10mくらい上流の高さ3mくらいの所にかすかにあった。登山道が山の土砂さら流されていたのだ。手にとげを刺しながら草を掻き分け3m上の登山道に入る。 ようやく見つけた登山道には、熊の新しい足跡がたくさん付いていた。そこでラジオのボリュームをいっぱいにし、鈴が鳴るようにリックを揺すりながら歩いた。 その登山道は何カ所も切れてなくなっており、崖は大量の水を流す沢に変わっていた。そのため、どれが「二岐沢二ノ沢出合」なのかわからないくらいであった。 立て看板の標識どころか、テープやペンキのマークも全くない。(もしかするとそれさえも台風で流されたのかもしてない) (写真は先が流された登山道、この後どこに続くのか見つけることができなかった) |
「二岐沢二ノ沢出合」では台風の時しみこんだ雨がまだたくさん残っていて、沢のような水流がたくさんあり、本物の2つの沢の「出合」がなかなか見つけることができなかった。ルート図によると、そこから右の沢に入るのだがわからず1時間近く迷った。 そして、「出合」らしきものも見つけ、川沿いに進んでいくと、初めて「矢印」の標識を見つけた。「やった、コースはあっているぞ。ここを登っていけばいいんだ。」と元気が出てきた。ここから地図上の「急坂」だろうと。 このコースを歩いていて初めての「矢印」の標識であった。うれしかった。 沢が少し新し過ぎると思いながらも30mほど登っていくと沢は終わり、山肌から大量の水が噴き出していた。いかに日高に降った雨が多かったのか新しくできたこの沢でまたも思い知らされた。 仕方なく下りて、辺りを探すとかすかに登山道の形跡を見つけた。またしばらく川沿いに歩いていった。これまで何回か徒渉を繰り返している。 |
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ルート図では川から別れ急坂を登っていく。その入り口がどこなのか全くわからない。 いくつかを上がっていったが、登山道は土砂と共にそっくり流されていて、どれが正しいのか判断できなかった。 ここまで要した時間は5時間。写真のこの新しい沢を登って行けばヌカビラ岳に出そうな気もしたが、撤退を決定した。 |
前方の山肌には登山道らしいラインが見える(写真)が、日高の大自然を十分楽しんだと言うことで下山することにした。 何回も迷い体力もいつも以上に消耗していたし、台風後10日経つが足跡は全くない。熊、エゾシカ、ウサギ等の林道や登山道のぬかるみにたくさん付いていた。熊のテリトリーを歩いているわけで、遭遇するのが怖い、ということもあった。 |
車まで戻ると、1台の軽自動車が止まっていて2人の若い男性が辺りを見ていた。 |