03.10.27 MM第26号
【登頂日】 2003年 10月4日(土)・5日(日)
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NO.83の続きである。 出発当初晴れていたが、次第に曇ってきた。曇ると紅葉の輝きもなくなり残念に思っていると、ガスが少しずつ出てきた。写真を撮りながら歩いていたが、残りの3人とは歩く速さが違い、私が先に行ってしまいがちになる。中岳までは振り返ると3人が数十メートル後ろにいた。 また、前日4時間、前々日は出張で午前1時半まで飲んでいたので睡眠が3時間くらいだった。休憩すると寒くなり睡魔にも襲われる。また、頭痛もしてきた。歩いていても足が上がらなくなってきた。 そこで、荒川小屋で大休憩をして3人が来なければ、彼らを待たずに宿泊予定地まで行くことに決める。 大聖寺平を過ぎると、ガスで視界も悪くなってきた。尾根沿いの草には霧氷が着いていた。髪の毛にも付いた。 (写真は荒川小屋上から) |
16時、赤石岳山頂に着く。眠いので先を急ぎ、歩いて1分のところにある避難小屋に向かう。小屋には先客が2人いて寝ていた。歩くペースの遅い仲間の3人が少し心配だったが、ベテランでもあるしコースは1本道、危険なところはなかったので、私も寝ようと準備をする。そしたら20分遅れで彼らも到着した。(その後、彼らも急ぎ到着は大差はなかった。) 夜は睡眠不足だったのでぐっすり寝、早朝、ご来光を見に山頂に行く。雲が出ていてきれいな朝日は見えないかな、と思っていたら徐々に空が赤さを増していき、久々の感動を味わうことができた。 富士山を中景に、空が一瞬一瞬色を変えていく。1時間があっという間に過ぎていった。気温は低かったが寒さも忘れていた。 また、昨日はよく見えなかった縦走路も朝日を浴び輝いていた。そのあと、小屋に戻り朝食を食べ、7時に下山を開始した。(赤石岳山頂からの日の出) |
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9月いっぱい、管理人がいる赤石岳避難小屋も10月からは無人だ。紅葉の時期でもあるし週末は混んでいると思ったが、私たち4人と単独者名の計6人であった。そのうちの1人は赤石岳が日本百名山99座目で、残りは宮之浦岳だ、と言っていた。 仲間の3人は、下山が得意ではないと言うので各自が自分のペースで下りることにした。H氏とは小赤石岳への分岐まで一緒に行き、残りの2人が見えたところで、私は1人写真を撮りながら先に下山を始めた。 今回はHPの画像に使うデジタルカメラを含め、一眼レフとコンパクトカメラの3台を持参した。ザックからカメラを出して撮影しているとあっという間に30分くらい経ってしまう。今まで、写真を撮るために仲間を待たせるのは気の毒なので、単独行が多くなってしまった。(最近は興味が写真より、楽しく歩く方に重点が移っているが・・・)(赤石岳山頂から朝日を浴びる南アルプスの山々) |
昨夜、夜中に目を覚ますと19時16分だった。そんなに少ししか寝てないのかと思い、かなり経ってからまた時計を見ると、またしても19時16分であった。ここで、腕時計が止まっているのに気づく。携帯も入山前にたくさん使用したので午前7時過ぎ電源が切れる。それで、時刻がわからなくなる。 大自然の中でも、今までいかに時間をたよりに過ごしていたかを知る。コースタイムと比べることでその時の調子を知ったり、到着時刻を予測したりと・・・。 もう1つ、時刻がわかるものがあった。デジカメだ。しかし、頻繁に見ることで肝心の写真が撮れなくなっては困るので、要所要所の時間の記録のために1枚ずつ撮す。(上のコースタイムのデータはその方法で作った) 仲間3人と帰るので、今回はバスの時刻を気にして慌てる必要はない。時間を気にしないで思い切り写真を撮りながら下山した。(富士見平への下りから富士山) |
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雲は多いものの、富士山ははっきり見えた。富士見平からは富士山もいいが、千枚岳から荒川三山、赤石岳の展望がいい。 時間もあるので赤石小屋ではゆっくり休憩した。赤石岳避難小屋はトイレが閉鎖されていた。それで、自然を少しでも汚すまいと、大きい方を我慢してきていた。すっきりしたのでお腹がすいてきて食べたのだ。 赤石小屋は樹林帯ぎりぎりにあり、木々の上に対面の兎岳や聖岳の展望がいい。ここまで下ると暖かく、Tシャツ1枚でちょうど良い。 ここからは2時間半、木々の中をひたすら下る。登山者には1人も会わない。さわら島に着くと、12時半のリムジンバスで帰る人達が10人ほど待っていた。仲間が来るまでベンチで昼寝をしていた。帰りには井川湖の北部にある「しらかば温泉」で汗を流す。無料というのはありがたい。 (富士見平から荒川三山と千枚岳) |