2010.04.26 MM第303号
*下に私の感想等の文があります。
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【歩いた日】 2010年3月23日(火) 【天候】 雨 【コース及び時間】 那智山バス停7:13−7:23青岸渡寺−7:45那智高原公園−8:15登立茶屋跡8:20−8:55舟見峠〈868m〉− 9:08色川辻9:13−10:00地蔵茶屋10:08−10:44越前峠〈870m〉10:50−11:28楠ノ久保旅館跡 11:42−12:03円座石−12:19小口−12:38小和潮登山口−(「小雲取越え」に続く) 【 登り(那智山バス停〜舟見峠) 1時間37分 舟見峠〜越前峠 1時間37分 下り(越前峠〜小和潮登山口) 1時間34分 合計 4時間48分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
出発は那智山、桜が咲く雨のを出発(写真1) | 倒木で通行止めの箇所も(写真2) |
歴史の残る石畳の中を(写真3) | 大雲取越えの最高点「越前峠」には記念の立て札が(写真4) |
「胴切坂」で雲海越しに山々が見えてきた(写真5) | 胴切坂には石仏が随所に(写真6) |
【感想 等】 前日、伯母子岳(メルマガNo.301)と護摩檀山(メルマガNo.302)に登り、那智山へのバスが出る那智に泊まった。 本宮からのバスが到着する新宮では始発のJRに乗っても、那智山行きの始発バスに間に合わないのである。 JRの本数が少ないのにはびっくりする。 朝起きるとやはり雨である。春分の日の3連休の最終日の前日は天気が良かったが、他は全滅であった。 私は連休明けの3月23日にここ那智山から熊野本宮までの「大雲取越え」「小雲取越え越え」を計画した。 まずは、中辺路「大雲取越」である。 外は小雨の降る中を出発の準備をする。 那智山行きの始発バスはJR勝浦を出て、JR那智には6時53分に着く。 6時半に用意ができたので、駅の南側に広がる海に行ってみた。 2、3人散歩をする人はいたが、夏の海水浴シーズンと違い静まりかえっていた。 バスは中高生くらいの1人を乗せて定刻に来た。 乗ったのは私1人。 大きなバスに2人の乗客でスムースに進んでいく。 途中で彼は降り、私は7時11分、「お寺前駐車場」バス停で1人降りた。 このバス停は4月1日からはわかりやすいように「那智山」と名前が変わった。 那智山は4年前、大門坂から歩き、那智大社、青岸渡寺、那智の滝を散策したことがある。 だからこの周辺のことは良く覚えている。 少し歩いて「那智山参道入口」から階段を見渡すと、そこには誰もいない。 店も全部閉まっている。 平日の雨の7時である。誰もいないのも無理はない。 石段を上がっていくと、那智大社の桜が私を歓迎してくれた(写真1)。 熊野古道の入口のある青岸渡寺に向かった。 青岸渡寺の木の扉は開けられ、「拝んでください」とばかり明かりがついていた。 私は本日の無事を祈り、鐘楼横の石段から「大雲取越え」をスタートさせた。 そこには標識ばかりでなく、「熊野道」という石柱もあり、わかりやすかった。 この「大雲取越え」は、『紀伊続風土記』に「峰の高き事雲を捕るへき形なるを以て、雲取ノ峰と称す」と名前の由来が記されている、と多くの本に書かれていた。雲に手が届くくらい高くて難所だったと言うことである。大変楽しみな山である。 それを「小雲取越え」と合わせて1日で歩こう、とは無理な計画かもしれない。 無理だった場合を考えて、小和瀬からバスかタクシーで戻る、小和瀬に宿泊する、下地橋からバスで新宮に戻る、本宮に宿泊する、等の代案を持って歩き始めた。 ただ、地形図で見ると標高は870mしかなく、百名山やアルプスの山々を歩いてきた私に無理か否かはやってみなければわからない、といったところである。 杉林の中を20分ほど歩くと、「那智高原公園」に着いた。 芝生の中に桜の並木があり、市民の憩い場になっているのだろう。 桜は3分ほど咲いていてきれいだが、平日の雨で私以外にはいなかった。 公園を抜け、熊野古道の石畳を30分ほど歩くと「登立茶屋跡」に着いた。 この茶屋はかつて、田辺からの日用雑貨、勝浦からの海産物を扱う商店でもあったと、看板に書かれている。 国道42号線が整備されるまでは幹線道路だった、とも書かれている。 (各地に車社会になるまでのこのような道があり、私はそれらの道との出合いを楽しんでいる。) ゆるやかな登りが続く。 石畳もある山道を30分くらい登ると、「舟見茶屋跡」に着く。 名前のように熊野灘の船が見えるという展望台もあるが、今日はうっすらガスがかかる雨である。 すぐ先に標高868mの舟見峠があり、休まずに歩く。 舟見峠からは「八丁坂」を少し下るが、そこに「熊野古道 この先通行止」と書かれた紙が石畳の上に置かれていた。 それは、雨で破けないようにビニルコーティングがされていた。 引き返さなくてはならないの?と、よく見ると「舗装道路(林道)を通ってください」とあった。 できれば、その紙に地図を付けてくれると通行止めの箇所が分かっていい。 この「八丁坂」は亡者との出会い、とも呼ばれ、死に別れた親兄弟や知人が白装束を着て歩いているのが見える、といわれたそうだ。 妖怪も出て、取り憑かれると動けなくなって死んでしまう、とも言われていたそうである。 あの有名な南方熊楠も妖怪に会い、気を失っているという。 そんなことを考えながら、雨の中を1人で歩いていると、恐くなる。 私は八丁坂の先で亡者ではなく、通行止めと出会ったのである。 地図を見ると、古道に並行して林道がある。 通行止めの箇所を詳しく知るために、古道を通り困ったら林道に出ることにした。 通行止めの紙から5分、「色川の辻」付近に多数の倒木があった(写真2)。 ここのことか、と思ってよく見ると歩けないことはない、また歩いた跡もかなりあった。 そこから20分ほど歩くと、また「この先通行止」の紙があった。今度はタフロープで道路を遮るようにぶら下げられていた。 その先も、やはり木が倒れ、通りにくくなっていた。歩きやすくはないが、困るほどの倒木ではなかった。 10時、木橋を渡り「地蔵茶屋」に着いた。 地蔵茶屋から色川の辻までが、通行止めで林道を迂回することになっていることが初めてわかった。 この「地蔵茶屋」には新しい休息所とWC、東屋がある。 雨宿りをするにはぴったりで、1人おやつタイムにした。 そして、名前の通り、地蔵堂があり、32体の地蔵が祭られている。 ここからは林道を離れゆるやかに登って行く。 作るのには大変であったろう石畳が至る所に残っている(写真3) 石畳の石に切り出して使ったのだろうか、石にノミの跡のある石がいくつかあった。 石倉峠を過ぎ、越前峠に向かう。 古道の所々にかつてその場所で読まれた歌の石碑があり、当時を偲ばせてくれる。 10時44分、標高870mの越前峠に着いた。 ここが「大雲取越え」で最も高いところである。 そのためだろうか、ここ大雲取越えの最高点「越前峠」には小学校卒業記念などの立て札がたくさんあった(写真4)。 地元の小学校であろうが、世界遺産の熊野古道にあるのがやや不似合いに感じた。 さあここからは「小口」に一気に下る。 最大の難所ということであるが、アルプスの山々に比べたら大したことはない。 しばらく下ると、「胴切坂」という標示が出ていた。 やがて樹林の間から雲海越しに山々が見えてきた(写真5)。 この場所の高さがわかる。 難所ということもあるのだろうか、石仏が随所にある(写真6)。 そこには木札が置かれている。大峰奥駆道にもたくさんあったが、修験者のような人達が置いたのだろうか・・・。 11時半頃、楠ノ久保旅籠跡に着いた。 かつてはこの近くに十数軒の旅籠があったというからその賑わいがわかる。しかも大正時代まで旅籠が営まれていたそうである。 12時過ぎ、「円座石(わろうだいし)」に着いた。 よくパンフレットに使われている、梵字が石に書かれている。 説明板によると、右が阿弥陀仏(本宮)、真ん中が薬師仏(新宮)、左が観音仏(那智)だという。 苔が生えて緑に染まった中にそれはあるので、より映えている。 どんどん下って、12時20分頃小口に着いた。 窓ガラスの割れた古い家があったので、どこだろうと思っていたら小口の集落であった。 標識あったので道路を進んでいったが、そのうちにわからなくなった。 工事をしている人がいたので「熊野古道はどこですか」と聞いたら、この上だと、墓地の方を指さし教えてくれた。 標示もない細い道を進んでいくと、民家の庭に出た。 これは間違っているだろうと、食事中の民家に道を尋ねた。 おばさんは嫌な顔1つしないで、優しく教えてくれた。 道は合っていた。この民家の角に「熊野古道」という消えかけた手作りの木の看板もあった。 みんな迷うようである。 ほぼ満開の桜の咲く赤木川沿いに歩き「小和瀬バス停」に着いた。 時刻は12時半過ぎであった。 だいたい予定通りで、休憩を入れて約5時間半かかった。 小雨の中であったが、快適に歩くことができた。 これから「小雲取越え」に続く。 |