2008.11.17 MM第238号
*下に感想等の文があります。
【歩いた日】 2008年8月20日(水) 【天候】 晴れ 【コース及び時間】 琴電屋島駅10:35発−10:55不喰梨11:00−11:10屋島寺11:20−11:25獅子の霊厳−11:40談古嶺−11:50 瑠璃宝の池(血の池)−12:00屋島南嶺〈292m〉12:05−12:10元ケーブルカー駅−12:20山門−12:45琴電屋島駅 【 登り(周遊含む) 1時間10分 下り 25分 合計 1時間35分 】 *コースタイムは休憩や写真撮影などを含む私が実際にかかった時間です。 その時の体調や天候によって大きく変わってきます。あくまでも参考タイムにしてください。 |
市内からもよく見える屋島 「加持水」 弘法大師が仏の加護保持を祈祷したといわれる水 屋島への登りはよく掃除された石畳の道だ 第84番札所の屋島寺には白衣のお遍路さんもいた 「獅子の霊厳」からは女木島・男木島、高松港などが見えた 屋島(南嶺)の山頂を示す三角点
【感想 等】 8月に四国・中国地方の日本二百名山に登ってきた。 まず、1日目に高松から出発し「三嶺」に登り、2日目には筏津から「東赤石山」に登り、「笹ヶ峰」は笹ヶ峰林道登山口から登った。 2日目は1日で2座登頂できたので1日余裕ができた。 2日目の夜には高松市に戻ることができた。 それで、洗濯をし、香川名物の讃岐うどんを食べることにした。また、前回から行きたいと思っていた「屋島」に行くことにした。 源平合戦の歴史に登場する屋島は「屋島の戦い」で有名である。 また、四国遍路84番札所としてお遍路さんが訪れる場所である。 それらの様子を見たいと思い出かけた。 10時半、琴電屋島駅に着いた。 線路沿いに500mほど西に歩き、県道14号線(屋島公園線)を北方向に歩いていく。 曲がり角などに石でできた、お遍路さんのための標識があるので道は思ったよりわかりやすい。 以前からお遍路さんが88カ所を回るのに道はわかるのか疑問であったが、このように石でできた標識があればわかる。 また、小豆島や讃岐富士で体験したが、四国の人は親切で丁寧に道を教えてくれる。 進行方向の北に目をやると、上が平になった屋島の独特な山容が見える(写真)。 海抜0m近くから約300mの登りである。 10分ほど行くと、民家をはずれ登り口らしきところに来た。 そこには「同行(みちづれ)の杖」と書かれた棒が10余本置かれていた。 私はステッキや杖を使う趣味はないのでそのまま登っていった。 すぐに「加持水」に着いた。 弘法大師が仏天を供養し呪文を読み仏の加護保持を祈祷したといわれる水であると説明が書いてあった。 また少し歩くと「不喰梨」だ。説明には、弘法大師が屋島に登ったとき、梨がおいしそうに熟していたので1つ所望した。しかし、持主は「うまそうに見えてもこれは食べられない不喰の梨です、とうそを言って断った。その後この梨は石のように固く食べられなくなってしまった、と言うようなことが書いてあった。 そう言えば、子どもの頃よく食べた隣の地域で取れる「志太梨」はけっこう固く甘さも少なかった記憶がある。今は甘くてみずみずしい豊水や幸水をよく食べるが・・・。 ベンチがあったので少し休みながらそんなことを考えた。 道はお遍路さんの負担を軽くするためか、登りがゆるやかであり、よく掃除された石畳の道だ(写真)。 ボランティアだろうと思うが、掃除している老婆もいた。 またすぐ掃除できるように道沿いに竹箒がかけてある。 これらの人々のおかげで今日も楽しく歩けるのだ。ありがたいことである。 不喰梨から数分、木々の間から市内が見えてきた。 今日はあいにく、少し霞んでいるが何とか見える。 見えているのは新川と駅周辺だろう。 11時10分、歩き始めて35分、屋島寺の山門に着いた。 そこには「瀬戸内海国立公園屋島案内図」があった。南嶺だけの詳しい地図もあり、標高292mのピークの位置も出ていた。 ピークは寺とは反対側に行ったところにあるので、屋島寺に参拝してから周遊してから山頂をめざすことにした。 下から見てもわかるように台地状になっていて山の上はほとんど同じ高さである。 木々も生えているので標識がなければ山頂を見つけるのは大変だろう。 山道では普通服の数人に出会っただけであったが、お寺にはけっこう人がいた。 しかしほとんどが普通服の人であった。それらは観光客なのかもしれない。ちょうど数少ない白衣のお遍路さんが参拝していた(写真)。 あとでわかったことだが、広い駐車場があり3分の1くらいは車で埋まっていた。 また、高松駅からバスも出ている。 屋島寺に参拝後、西に回り「獅子の霊厳」に行った。 京都の愛宕山や丹沢の大山にもあった「かわら投げ」の素焼きの丸いお皿のような器が売られていた。 説明には「源平合戦で戦いに勝った源氏が陣笠を投げて勝関(かちどき)をあげた。その言い伝えにならい海に向かって飛ばす」とある。 他には源平の「屋島の戦い」の屏風のコピー展示もあった。 そこの展望台からは女木島・男木島、高松港などが見えた(写真)。 石のベンチや東屋もあり展望を楽しみながら休むのには最適だ。 時計と反対回りに回っていくと、「新屋島水族館」がある。展望・参拝以外には楽しむことはないのでそこに入る人が多い。 北嶺も見えてくる。南嶺と同じような形で標高は10m低い282mである。行こうか迷ったがやめた。 駐車場を越え進むと「談古嶺」だ。東側の展望が広がる。立石漁港や女体山が見える。 そこから道なりに「瑠璃宝の池(血の池)」に戻ってきた。 源平合戦の時、壇ノ浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため池の水で洗ったため血の池とも呼ばれるようになったそうだ。 近くには老朽化して放置してある大型ホテルがあった。 屋島寺山門に戻り、南嶺へ向かった。 地図を見ると、談古嶺からの道と交わった近くの松林の中にあるはずである。 辺りを探したが、どうも標識はないようである。 1カ所踏み跡があったので入っていくと、数mのコンクリートの塔があった。 その先に三角点はあった(写真)。 ピークは私のような物好きしか行かない松林の中だ。 比叡山も忘れられたように木々の中に山頂はあった。 ○○と鶏は高いところが好き、と言われているがピークの表示や三角点を見つけると「てっぺんに来た!」という登り切った達成感が増す。 そのあと、ついでなので南に延びた道を進んでみた。 かつては屋島ケーブルカーがあったところであるが、人影のない閉じた売店があるだけであった。 平家物語「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(高校時代覚えさせられた)」ではないが、朽ちたホテル・ケーブルカー、平氏と源氏・・・。 栄えるときもある、しかしその後は必ず廃れる。 人生を楽しく、プラス思考でやっていくのが一番かな。 アメリカのサブムライム問題から派生した金融・株、為替、老後等の不安がいっぱいの現在である。 健康に留意し、まっすぐ前を見つめて歩いていくのが一番だと思った。 山門に着いたのは12時20分。 元来た道をすたこらさっさと歩き25分で下った。 下山後はガイドブックで調べてあった人気の「讃岐うどん店、上原製麺所」(栗林公園近く)でおいしいうどんをいただいた。 安いし自分でいろいろアレンジできていい。 |